れるお姫様とエトランジェ Phase-2 その2


Phase-2:『お泊まり』

2-7:お姫様の横顔

「はぁ…せっかく、みゆちゃんに聞いてもらおうと思って、久々に心を込めて弾いてたのに…」
「まぁまぁ、悪かったってば…」
 その後、宿題に取り掛かる時間になっても、むくれた様な表情をしたままで溜息を付く柚奈に、既に何度目か分からない台詞で宥めるわたし。
「全く、みゆもつれないよねぇ?」
「…その原因の半分は、あんたにもあるんだけどさ」
 そもそも、茜が思わせぶりな事を言い出したのが悪いのであって。
 …いやまぁ、勿論わたしも全然悪くないかと言われれば自信はないけど。
「そーいえば、さっきは2人で何を話してたの?」
「んー、柚奈がピアノから離れられないスキに、みゆを口説いてた」
 そう言って、ぐいっとわたしの肩を自分の方へと引き寄せる茜。
「あんたね…」
「あー、ずるいっ!!」
 すると、柚奈はわたしの片手を引っ張って自分の方に引き戻そうとする。
 …だから、あんたもいちいち乗るなって、柚奈。
「ふふん、油断してたら、あたしがもってっちゃうわよ?」
「むぅ…っ、こうなったら…みゆちゃんを賭けて勝負よっ!!」
「えええっ?!」
 おいおい、どーいう展開なのよ、それは…。
「いいわよ。んで、勝負の方法は?」
「んじゃ、先に宿題を済ませた方が勝ちって事で」
 そこで、冷めた口調で横槍を入れてやるわたし。
「…うう、みゆちゃんがつれない…」
「だって、元々宿題を教えてもらうのが目的で来たんだし」
 従って、その目的を果たしている時間を茶化させるつもりは毛頭無かった。
「そう言われると、私的には結構複雑なんだけど…」
 すると、柚奈は頬を膨らませながら不満そうに呟く。
「まぁまぁ、さっさと終わればその分、遊ぶ時間が増えるでしょ??」
「あはは、それじゃ速攻で済ませちゃうよ〜おー♪」
 今度は宥める様にそう告げると、柚奈はころっと態度を変えて、開いたノートに手早く解答を書き込み始めていった。
「…案外扱いやすいのね、柚奈って」
 こいつは、策士の一面がある癖に単純すぎる。
「ついでに、少しずつみゆも墓穴も深くなってる事だし」
「……ううっっ」
 でも、柚奈の気持ちを利用しているという罪悪感よりは、まだその方が気分的に楽だと思えてしまうわたしもいたりする事も事実ではあるけど…。
『失う事に怯えながら、少しずつ失ってる状態ですか?つまり』
 何を失っているのかは、敢えて考えない事にするけど。

「…でも、ただ宿題をするだけじゃつまんないよね?」
 しかし、静寂の宿題タイムも長くは続かず、それから15分もした辺りで視線を上げてそんな事を切り出してくる柚奈。
「全然つまんなくないけど?」
「実に充実してるよねー?」
 そんな柚奈に、わたしと茜は殆ど同時に返してやる。いつもは茜は柚奈の味方だろうが、今だけはわたしと完全に利害が一致しているのだから。
「むぅ…多数決だと、私が不利…」
「とにかく、これが終わらない事には話は進まないと思いなさい」
「…はいはい、分かりましたよーだ」
 そんな茜の台詞を聞いて諦めた様に溜息を付くと、柚奈はしぶしぶと視線をノートに戻し…。
「……」
 これまでとは一転、真剣な表情を浮かべて視線を問題集とノートの間に往復させながら、すらすらと書き込んでいく。
 まるで流れ作業の様に、殆ど止まる事無く回答を書き込んでいくのは、流石は優等生。脱線しながらでも、一生懸命にやっていたわたし達よりは全然早そうなのが悲しくなってくるというか。
「……」
「……」
 それでわたしはと言えば、柚奈のそんな表情をぼんやりと眺めていた。
『…やっぱり、黙っていると綺麗だよね…』
 先日のクロッキーの時もそうだったけど、思わず見惚れてしまう。柔らかで艶々と光る美しい黒髪に、黒曜石の様な澄んだ瞳と、淡い色で大きすぎない上品な唇。目鼻立ちのバランスも完璧で、正に”お姫様”というイメージをそのまま具現化した様な柚奈の容姿は、性別の如何に関わらず、思わず視線を引き寄せられてしまう様な魅力が存在していると思う。
 更に学年トップクラスの頭脳に加え、料理、裁縫、書道や華道と何でもこなしてしまう器用さ。性格に関しても、素直で優しくて…とっても一途。多分、わたしが「自分以外の前で笑顔を見せるな」と言ったら、本当に実行してしまうんじゃないかと思うほど。
 それは、生まれ持った星というだけでは無くて、育ち方とか歩んできた道とか、色んな要因が絡み合ってるんだろうけど…。
『本当に、どうしてわたしなんかに惚れちゃったんだろうねぇ、このお姫様は』
 もう、そろそろ飽きてくる位に反芻し続けるこの疑問。わたしが転校した初日、偶然通学路でぶつかったのを運命の出会いと思い込んでるというのは茜から聞いてるけど、柚奈が運命の出会いを果たすべき相手は、ホントにわたしで良かったのだろうかと考え込んでしまう。
 …というか、この際性別の問題はどうでもいいとしても、やっぱり柚奈の事を改めて分析するたびに、何だか「分不相応」という言葉がわたしの脳裏に浮かんできていた。
 柚奈と並んでいると卑屈になるとまではいかないものの、それでも何となく感じてしまう違和感。まだ通っているのが女子校だから中和されているんだろうけど、これが共学だったら、この違和感は更に強くなってたんだろうなと思う。
『女の子ならぬ、男の子達からイジメを受けたり、不幸の手紙とか貰いそうだもんねー…』
「……」
「……」
 それで、わたしが耐えられなくなってまた転校したりしたら、柚奈は泣くのかな…??
 それとも、当たり前の様に追いかけてくるのか。
「……」
「…あれ、みゆちゃんどうしたの?分からない所でもあった?」
「あ、う、ううん…ちょっと考え事…」
 やがて自分の視線に気付いた柚奈から向けられた声で、ぼんやりと浮かんでいた妄想からわたしの意識が呼び戻されると、わたしは首をぶんぶんと振りながら慌てて視線を下げる。
 いけない、いけない。せっかく柚奈を宿題に集中させたのに、わたしからその雰囲気を壊してどうするよ。
「一応、分からない所は全部教えてあげるけど、出来る範囲は自分で解いてね?」
「分かってるって。それに、丸写しだとバレちゃうし」
「……」
 まぁこれも、時間が解決してくれるのかな…?
 柚奈達と一緒にいる日常が、空気みたいに当たり前として感じられる様になれば。

2-8:お待ちかね

「ふい〜〜っ、おなかいっぱい…」
「う〜ん、もう食べられない…」
 宿題が終わって夕食後、わたし達は柚奈の部屋に戻ると、そのまま茜と肩を寄せ合う様にソファーへ身体をだらしなく預けて、満腹になったお腹をさすりながら満悦感を味わっていた。
「お粗末様でした。でも、御満足いただけた様で何よりです♪」
 そして、そんなわたし達の幸せそうな顔を見て、招待者の柚奈も満足そうにぺこりと頭を下げる。
 実は柚奈がお嬢様と知ってから、厚かましくもちょっとだけ期待していたんだけど、今夜の食卓には思った以上の、今まで精々TVとかでしか見た事の無い様な豪華な食材をふんだんに使った料理が次々と運ばれてきたのだった。
 何でも、柚奈のお母さんがいつも来客時に依頼しているというお抱えのシェフを呼んで、特別に申し付けてくれた特別メニューという事で、わたしと茜は遠慮なくそのご厚意を限界までお腹に詰め込ませてもらい、今の御満悦に至るという訳で。
「はう〜っ、幸せだよぅ…だんだんと柚奈が羨ましくなってきた…」
「んー、柚奈の家に嫁いだら、毎日味わえるんじゃない?」
「あはは、毎日とはいかないかもしれないけど、精一杯のおもてなしはするよー?」
「そりゃ嬉しいけど、お嫁に行っておもてなしってのも変な話だよねぇ…」
 そもそも、まだ柚奈の両親とも上手くやっていけるか分からないしさぁ…。
 あ、両親と言えば…。
「そう言えば、食堂にいたのはわたし達だけだったけど、芽衣子さんや柚奈のご両親は…?」
 茜はともかく、わたしはまだ一度も会った事が無いし、出来れば御挨拶をしておきたかったんだけど、生憎、給仕のメイドさん以外はわたし達だけだった。
「お母さんは仕事が忙しくてまだ帰ってないし、お姉ちゃんは気を利かせてくれたんじゃないかな?」
「んー、まぁ確かに友達が泊まりに来てる時は別々になるかぁ…」
 多分、うちでもわたしの部屋で食べたりとか、似た様な感じにはなるんだろうけど。
「あ、でも明日の朝ごはんは一緒に食べようってお母さん言ってたよ?」
「そうなんだ。御挨拶が遅れるけど、まぁいいか…」
 機会が全く無かったよりは全然マシではある。
「ふふ。柚奈も、紹介したくてたまんないんでしょうしね?」
「うんまぁ、どっちかって言うと、早くみゆちゃんのお母様に会いたいんだけど」
「……」
 つまり、「将を得んと欲すれば、駒を射よ」を地で行くつもりですかい。
 まぁ、別にいーけどさ。

プルルル

 そんな会話の最中、不意にインターホンの呼び出しメロディーが抑え目のボリュームで響き、柚奈は静かに受話器の方へと向かっていく。
「はい……ん。分かった。ありがと」
「みゆちゃん、茜ちゃん、お風呂沸いたって?」
『…きたか…』
 そして手短に通話を済ませて受話器を置いた後で、特に何らかの感情も込めた様子もなく、あくまでさり気なくそう告げる柚奈に、わたしは夢見心地から我に帰ると心の中で身構えた。
 わたしにしてみれば、いよいよやってきた最大の難関。…とは言っても、何か回避策があるワケでもないけど。
 さすがに、いきなり仮病を使うにはワザとらしすぎるし。
「どうする?もう入る??」
「あ、ううん…わたしは後でいいよ」
 とりあえず、手近なやり方から足掻いてみるわたし。
「そう?それじゃ、後にしよっか?」
「いや…別に後にするのは、わたしだけでもいいんだけど…」
「どうして…?」
「どうしてって…えっと…」
 とは言え、さすがに一緒には入りたくないとも面を向かって言いたくはない。
 …これが修学旅行だとかならともかく、彼女の家にお邪魔してお持てなしを受けているという立場が、いつもなら割とあっさりと言えそうな台詞を封殺していた。
 うう、我ながら小心者だなぁ…とは自覚してるんだけど。
「別に、お風呂の広さ的には問題ないよ?窮屈する事は無いと思うけど」
「い、いや…それでも、つい話しこんじゃったりして、全員のぼせて倒れても困るし…」
「え〜?さすがにそれはないと思うけど…ねぇ、茜ちゃん」
「あはは…そこまで子供でも無いわよねぇ?」
 …いや、わたしもそう思う。けどね。
「そ、それとか、やっぱり広いとついつい泳ぎたくなったりするかもしれないし、そうなったらやっぱり1人の方が何かと…」
「……みゆ、見苦しい抵抗はやめなさいって」
 やがて、いい加減見るに見かねたのか、ぽんっと肩を叩きながら溜息混じりにそう告げる茜。
「うう〜っっ」
 見苦しいのは自分でも分かってるもん…。
「……」
「…分かった。んじゃ、茜ちゃん。先に入って来よっか?」
「え…??」
「え…??」
 しかし、そこで突然飛び出した柚奈の意外な台詞に、わたしと茜は同時に目を見開きながら視線を彼女の方へと向ける。
 わたしにとっては理想的だけど、多分この場で柚奈から引き出すには最も難しい台詞だというのは、誰の目にも明らかだった訳で。
「みゆちゃんがあとでゆっくりしたいって言うなら、私は出来る限り尊重したいし」
 そして、そう続ける柚奈。
「……??」
 突然どうしたんだろう。毒電波か、何かその辺を漂っていた変なモノでも憑依しましたか??
「茜ちゃんは、それでいい?」
「まぁ、あたしは別にどうでもいいんだけどね」
 やっぱり茜も納得してないのか、きょとんとした顔のままでそう答える。
「んじゃ、ちょっと行って来るね。私達がいない間にお部屋とか漁ったらダメだよ〜?」
「…やんないわよ。そんな事」
 そこまで厚かましくは出来てない…と言うか、藪から蛇を突付いて出す趣味もないし。
「むぅ…残念…」
 しかし、何故かそこで言葉通りに残念そうな顔を見せる柚奈。
「残念って、何が…??」
「あはは、複雑な乙女心って奴じゃない??」
「知らないわよ、そんなの…」
 わたしは、自分の嫌がる事は他人にもしません。
「まぁ、すぐに戻るから待っててね?」
「…いいえ、わたしの事は気にせずごゆっくり」
「んじゃ、のぼせるまで入ってるから、みゆちゃん看病してくれる??」
「もう、いいからさっさと行ってきなさいって…」
「は〜い♪」

ぱたん

 そして、結局柚奈と茜はわたしを残して部屋を出て行ってしまった。
「……」
「……」
 まさか、こんなにあっさりと最大の危機が回避できてしまうなんて。
 何かが腑に落ちない気がするんだけど。
「……」
「…あ、そう言えば…」
 そこで、色々と考え事を進行させていく中で、わたしはある重要な事を思い出す。
 後で1人で入るのはいいけどわたし、お風呂場の場所分からないんだった。
「……」
 となれば、当然…。
「……」
「…しまった。謀られたか」 
 思わず零れた独り言と同時に、がっくりと項垂れるわたし。
 って事は、柚奈の奴があっさりと折れて茜と入ったのは…。
「まったく、相変わらず油断も隙も無いというか…」
 ホントに、しょーもない事に優秀な脳みそ使いまくってるんだから。
 勿論、わたしの方としても、いい加減そんな柚奈の性格を把握していない事もないんだけど。
「まぁ、それはいいけど…暇ね…」
 とりあえず、柚奈のお陰で宿題は終了済みだし、帰ってくるまで何をしていようかな。
 一応、テレビのリモコンらしきものも、ゲーム機の本体もテレビのすぐ目の前にあるんだけど、さすがに勝手に起動するのもなぁ…。
「……」
 なるほど。こういう時は色々と漁ってみたくなったりするものか。
 …柚奈達をわたしの家に呼ぶ時には注意しよう。
「せめて、何か漫画でもあったら借りようかな…」
 ともあれ、やらないと言った手前はやらないけど、本棚を物色する位はいいよね?
 そう自分に言い聞かせると、早速自分の身長くらいある本棚の一番上の段から、興味を持ちそうな本を探し始める。
 えっと、まずは『百合姉妹』の創刊号から2、3…。 
「……」
 …いきなり、お約束なモノが見つかってしまった。

「ただいま〜」
 その後、勝手に借りたコミックスの1冊目をちょうど読み終わった辺りで、柚奈達がお風呂上りで上気させた顔を浮かべながら戻ってきた。
「はいはい、おかえり」
 そしてそんな柚奈達を、読んでいた漫画を閉じながら出迎えるわたし。
 …別に、例の百合姉妹を借りたワケじゃないよ?言っておくけど。
「ゴメンね、1人で寂しくなかった?」
「まぁ、多少手持ち無沙汰ではあったけど、別に…」
 とりあえず、ドラえもんのコミックスが大量にあったので、読み耽ってたし。
「本当に…??」
「うん。別に嘘ついてもしょうがないでしょ??」
「ん〜。私達がいない間、ベッドの上で『このシーツ、柚奈の匂いがする…』とか呟きながら1人Hしてなかった??」
「誰がするかっっ!!」
 アホの子ですか、あんたはっっ。
「……むぅ。つまんない」
「…と言うか、なんであんたのコトなんて考えながらやんなきゃなんないのよ??」
「んじゃ、普段はどんなコト考えながらしてるの?」
「あ、いやそれは……」
 だからって、いきなりなんて事を聞きやがりますかこいつは。
「本当は、私にHなコトされるのを想像しながらしてるんだよね?」
 動揺するわたしに、柚奈は手をとりながら、じっとわたしの目を見つめてそう続けてくる。
「そっ、そんなワケないでしょ…っっ」
「んじゃ、証拠を見せてよ?」
「証拠…??わわっっ」
 そうこうしているうちに、ゆっくりと体重をわたしの方へと預けてきた柚奈に、わたしはゆっくりとソファーへと倒れかけさせられてしまう。
「そう…ここで実際に見せてくれたら、信じてあ・げ・る…」
 そして、密着してきた柚奈の身体からお風呂上り特有のボディソープの香りがふわりと鼻腔を擽っていく中で、ふうっと首筋に吐息が吹きかけられる。
 その絶妙に甘くもくすぐったい攻撃に、ちょっと変な気分になってしまうわたし。
「…そ、そんなに言うなら……って、いい加減にしなさい…っっ!!」

すぱあんっっ

 しかし、そろそろ潮時と思ったわたしは、柚奈の身体を押し返したあとで、手元にあったハリセンを持って後頭部に力一杯のツッコミを入れてやった。
「あたたたた…っ、いつの間にそんなもの…??」
「こーいう事もあろうかと、荷物に入れといたのよ。使う機会があって良かったわ」
「むぅ…完璧な流れだと思ったのに…」
「うっさい。要求が図々しいにも程があるっての」
 まぁ、だから助かったという話も無くもないんだけど。
「やっぱり、王様ゲームの方が良かったんじゃない、柚奈?」
「…やんないわよ、そんなもん」
 何、そのわたしにとっては死のルーレットにも等しい危険なゲームは。
「とにかく、お風呂空いたんでしょ?とっとと入ってくるわよ」
「うんうん、そうだね♪」
 用意していた着替えを片手に抱えてそう宣言すると、それまで痛そうな顔をしていた柚奈の表情が満面の笑みに変わり、わたしの腕をがっしりと掴む。
「…やっぱり、一緒に来るの??」
「だって、ちゃんと案内しないとね?」
「いや、分からなくなったらあのメイドさん…芹沢さんだっけ?に聞くからいいって」
「栞ちゃんは今お母さんの部屋で仕事中だから。さっ行こ行こ♪」
 しかし、わたしの小賢しい抵抗に今度はあっさりとそう切り捨てると、そのまま引きずる様にしてドアまで移動していく柚奈。
「ち、ちょっと待って…もしかしたら芽衣子さんとかが入ってるかもしれないし、やっぱりもう少し後に…っっ」
「大丈夫♪今日はみゆちゃん達が来るからって事で、一番先に入ってもらってるから」
 うわ、用意周到。根回しも完璧ですかい。
「そういう事でぇ、後の事は気にせずにゆっくりと入っていられるよ?」
「…ううっ…」
 そう告げると、んふっと小悪魔の様な笑みを浮かべる柚奈に、わたしの背筋がぞくっと震える。
「さ、心置きなく行きましょうね〜?」
「あ、茜ぇ…っっ」
「あはは、お達者で〜♪」
 そして、ひらひらと手のひらを振りながら浮かべる茜の無情な笑みに見送られて、わたしは半ば強引に連れ出されてしまった。
『何だか、前回とパターンが変わってないんですけど…っっ』
 結局は、こういう展開になるのねとしか言いようがないと言うか、なんと言うか。

「はい、着きました〜♪」
 やがて、部屋を強引に連れ出されてから数分たった辺りで、ようやく柚奈の腕がわたしから離れてくれる。
「…へいへい、目的地に着いたのね」
 と言うか、いかにもお風呂場の入り口と言った感じの引き戸に加え、その上にはちゃんと”浴室”と書かれたプレートがあるだけに、間違えようは無い。
『と言うか、これだけ目立ってるなら、自分でも充分見つけられた気がするんだけど…』
 多分、こういうのを後の祭りというのだろう。
 …まぁいーや。ここまで来たら、ジタバタしても仕方が無いし。
「ありがと。んじゃ、さっさと上がるから部屋で待っててね?」
「んーん。せっかくだからゆっくり入っていってよ?帰り道は大丈夫?」
「ええ、もちろん大丈夫だから。…だから、大人しく待っててよね?」
「……」
 そこでもう一度念を押すと、柚奈はにこにこと肯定とも否定ともつかない笑みを返してきた。
「……」
 何か納得はいかないけど、これ以上は堂々巡りね。
 そう感じたわたしは、何も言わずに引き戸を引いて脱衣所に入ると、何はともあれ鍵を探すが…。
「うーっ、無い…」
 しかし、生憎浴室の入り口には鍵が付いてない様だった。
「微かな希望も、これであっさりと否定されちゃったか…」
 引き戸を隔てたすぐ向こうに柚奈がいると思えば落ち着かないけど、まぁ仕方が無いわね。
「…さーて、さっさと脱いで…」
「……」
「……」
 ううっ、何だか脱ぎにくい。
『と言うか、何か引き戸の向こうから視線を感じる様な…』
 別に透過してる訳ではないので、向こうからどんなに目を凝らしたって見えるという事は無いハズだけど、多分柚奈はじっとこっちを見ている気がしていた。
「……」
 ダメだって、そんな意識しちゃ。
 それこそ鍵がかかってないんだから、いつ柚奈が入ってくるかも分からないのに。
 …そう、目の前の引き戸を少し引くだけで…。
「……」
 そんな意識が、首に巻いていたリボンのストールを解き、ブラウスのボタンを1つ1つ外していくわたしの身体に火照りを与えていく。
「ねぇ、柚奈…まだいるの?」
「……」
 やがて、ミニスカートを下ろして下着姿になった所で扉の向こうに向かってそう尋ねるが、返事はなかった。
『やっぱり、部屋に戻ったのかな…??』
 いや、柚奈に限ってそんな事は無いはずだけど…。
 きっと、わたしを油断させようと、だんまりを決め込んでいるだけだろう。
『…だから、そういう風に考えないでってば、わたしっっ…』
 ますます、下着が脱ぎにくくなるじゃない。
 いつの間にか、心臓もこんなにドキドキと鳴ってるし。
「…はぁ、なるべく使いたくはなかったけど、やっぱり必要かなぁ…??」
 この調子じゃ、ゆっくりとお風呂どころじゃないし。
 わたしは小さく溜息を付くと、いそいそと予定通りに入浴の準備を進めていった。

がらがらがら

「うわぁ、広い…」
 やがて準備が整った後で、折り畳み式の磨りガラスになっている浴室への出入り口をくぐると、もわっとした湯気と共に、圧倒的とも言える風景がわたしを出迎えた。
 脱衣場がそれ程広くはなかったので油断していたけど…なるほど。大浴場というのはこういうのを差すんだろう。
 白系統で統一された清潔感溢れる色合いの浴室には、おそらく10人以上は楽勝で浸かれそうなメインの浴槽の他に、ジャグジーみたいな特殊なのも各種取りそろえられていて、更に獅子とか女神像みたいなオブジェクトも飾ってあるし。
 当然の如く、浴室全体もピカピカに掃除されているみたいで、あまりベタベタと触るのにも躊躇いを覚えさせられたりして。
「良く見たら、この浴室の殆どが大理石で出来てるみたいだし…」
 既に、床の感触がいつもの慣れたタイルとは違っていた。
 良く分からないけど、スイートルームとかに泊まると、こんな感じなのかな??
 …少なくとも、個人の邸宅のお風呂とは全然思えないんですけど。
「う〜っ、なんか気が引けるなぁ…」
 元々、くつろぎの空間を目指した極地でデザインされた空間という事は頭では分かっていても、実際に何だか落ち着かないのは、庶民にとっての嘘偽り無い本音であって。
『やっぱり、茜達と入った方が良かったかな…??』
 他人様の広い空間の中にぽつんと1人というのは、思いのほか落ち着かないってのを実感させられてしまう。
 …とは言っても、相手があの2人だと別の意味で落ち着けなさそうだから、やっぱり1人で入るに越した事は無いんだけど。
「…まぁ、いいか…まずは身体を…」
「みゆちゃーん、湯加減どお?」
 シャワーで身体を流そうと、備え付けてある壁側の近くに腰掛けようとした所で、少し離れた脱衣場の方から、フィルターのかかった柚奈のくぐもった声が聞こえてくる。
「……」
 …予想はしていたけど、やっぱり来たか。
 まぁ、こない訳ないわよね。これが目的で邪魔者(茜)を先に入らせたんだろうしさ。
「んー、ちょうどいい感じだよー」
 しかし、それでも動じる事無く、暢気な返事を返すわたし。
「それじゃ、私が背中を流してあげよっか〜?」
 まぁ、当然そう来るわよね。ここで素直に帰ってくれるのなら、最初から警戒なんてしないし。
「え、いいよ…別に…っっ」
 しかし心の中の余裕を押さえ込み、わたしはワザと慌てた様な口調でそう返してやる。
「まぁまぁ、遠慮しないでいいからぁ〜♪」
 …と、その言葉が終わるや否や、がらがらっと風呂場のドアが開いて、湯気の向こうから柚奈のシルエットが浮かび上がってくる。
 どうやら、先に脱衣場で踏み込んでくる準備をしてから声をかけたらしい。
「ち、ちょっと…っっ」
「やっぱり、お風呂で背中の流しっこは外せないスキンシップよね〜?」
「そんなの、知らないってばっっ」
「んー、こんなの一般常識だよぉ?」
「……。ふ、ふふふふ…」
 そう。ここまでは完全に予定通り。柚奈にとっても、わたしにとっても。
 …だから、わたしは。
「あ、何か不敵に笑ってる…??」
「じゃじゃーーーんっっ♪」
 わたしは内心込み上げてくる笑いを台詞に乗せて、やがてバスタオル一枚に包まれた姿で現れた柚奈に、あらかじめ用意していた対抗手段を見せ付けてやった。
「み、水着を着てるぅ…っっ?!」
 案の定、顔を引きつらせながら動揺を見せる柚奈に、わたしは桃色のワンピース水着姿でVサインを向けて勝ち誇る。
「ふっふっふっ、あんたがこういう行動に出る事ぐらいはお見通しだったからね」
 まぁ、水着だと何だか落ちつかないのも確かだけど、柚奈が諦めてから脱げばいいだけだし。
 これで柚奈の奴も冷や水を浴びせられた形で、すっかりと意気消沈…。
「……」
「……」
「…ん…?」
 しかし、柚奈はそんなわたしの姿を無言でしばらくじっと見詰めていたかと思うと、やがてそのままツカツカとわたしの元まで近寄り…。

するり

「…きゃあっ?!」
 彼女の手がわたしの身体に届く距離まで近づいた途端、殆ど問答無用で水着の肩紐を外されてしまった。
「い、いきなり何すんのよ…っっ?!」
「…お風呂に水着なんて、邪道です」
 外された肩紐を慌てて直しながら後ずさりするわたしに、据わった目でじりじりと迫りながらそう告げる柚奈。
「…あう。だ、だって最近じゃ修学旅行とかでも…」
「その様な悪しき風習は、私の目の黒いうちは絶対に認めないから」
 そう言って、わきわきと手を動かしながら問答無用の迫力で柚奈が迫ってくる。
「わ…わわっ」
 どうやら、柚奈の中で何か変なスイッチが入ってしまったらしい。
『も、もしかして、ヤブヘビだった…??』
「ましてや、この桜庭家の中においては断じて…っっっ!!」
「ひ、ひぃぃ…っっ」
 そんな中で、わたしはいつの間にか壁際に追いつめられてしまう。
「さぁ…自分で脱ぐか、私に脱がされるか選んで?」
「あぅぅ…っ」
 それは正に、わたしは追いつめられたトラに睨まれたウサギも同然だった。
『そう言えば、柚奈はトラ年でわたしはウサギ年だったっけ…??』
 うあ、どう考えても勝ち目がなさそう。
「さぁ、みゆちゃんどうするの?」
「う〜っっ、分かった、分かったってばっっ」
 こうなったら、ある程度は妥協して被害を最小限に留めるしかない。
「…もう、背中を流すだけだからね」
 わたしは観念の溜息を付くと、腰掛を手に取って柚奈に背を向けて座り…。
「ほら、上だけなら脱がせていいから…」
 そして、背中越しに顔が赤くなるのを感じながらそう促した。
「えへへ、そうこなくっちゃね♪」
 すると、ようやく落ち着いたのか、いつもの調子に戻って自分の腰掛けを取りに行く柚奈。
『…あーもう、結局こうなっちゃうのね…』
 最早、運命だと諦めるしかないのかなぁ。
 ”本当はこうしていたら良かったかも”という後悔すらも、あまり思いつかないのがなんともはや。
「んじゃ、脱がせるよ…??」
「…うん。肩紐からゆっくりね…?」
 やがて戻ってきた柚奈に小さく頷くと、今度こそ水着の肩紐がわたしの腕から外れていき、胸を覆っていた部分がするりと下にスライドされていく。
 そこで慌てて胸元を抑えると、そのままお腹の辺りまで下ろされていった。
「わぁ、みゆちゃん綺麗なお肌だね〜?うなじも色っぽいよ??」
「べ、別に、感想はいらないってばっっ」
 胸を隠した手越しに、どきんどきんと胸の動悸が伝わってくる。
『う〜〜っっ』
 本当は女の子同士なんだから、別に見られた所でこんなに恥ずかしいって事は無いはずなのに。
 やっぱり同じ女の子でも、そっち系の人の視線だという意識があるとこんなものなのかな…?
『それとも、柚奈だから…?』
 …でも、それはあまり認めたくは無いけどね。
「……」
「……」
「…何よ?」
 その後、何故か柚奈はそのままわたしに触れる事無く、じっと視線だけを向けてきていた。
「いや、みゆちゃんが一向に胸元から手を離さないなぁって思って」
「…ちょっとでも油断したら、『あ、ゴメン手が滑っちゃったぁ♪』ってやってくる事ぐらいは読めるわよ」
 しかも、絶対一度掴んだら、そのままなし崩し的に襲い掛かってくる気だろうという事も、バレバレであって。
「あはは、そんなベタな事なんてしないよぉ」
 そう無邪気な笑いを浮かべる柚奈だけど、台詞の後で微かにため息を付いたことをわたしは見逃さなかった。
「…というか、この前は触らせてくれたじゃない?」
「だって、あれは制服越しだし…」
「んじゃ、水着の上からならいいの…?」
「ばか…」
 一番の理由は、この胸の動悸を気づかれたくないからよ。
「せっかく、ついでにみゆちゃんの胸が大きくなる様に協力してあげようと思ったのに…」
「だから、そんな迷信わたしは信じないってば…」
 そりゃまぁ、もう少しくらいは大きくなりたいとか思わなくも無いんだけどさ。
「ん〜、やってみないと分からないよ〜?試してみる前から諦める者に、成功の道は開かれないって言うじゃない…ね??」

つつつーーーっ

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ?!」
 その次の瞬間、背筋の中心部に柚奈の指先が一本線を描くように這い、びくんっとわたしの全身の肌が粟立つ。
「あは。やっぱり感度いいよね、みゆちゃんって♪」
「こっ、こらっっ、悪戯しないでよっっ」
「ん〜、この程度は悪戯には入らないもん。例えば、悪戯っていうとやっぱりこんな感じで…」
 そう告げると、今度は柚奈の10本の指が、それぞれ脇腹の下辺りをさわさわと擽ってくる。
「…あふ…っ?!ちょ…やめ…ひぃ…っ!!」
「うふふ、すべすべして気持ちいい…」
「あひっっ、や、やめ…きゃははははは…っっ」
 胸元を隠した手だけは離さない様にしながら、柚奈の攻撃に何とか耐えようとするものの、わたしの身体は抑えられない声と共に、びくんびくんっと強く脈打っていく。
 …これ、腹筋にも随分と負担がかかってきそう…あうっっ。
「そんなにくすぐったいなら、抵抗してもいいんだよ〜?みゆちゃんの可愛い胸が見えちゃうけど」
「…くぅぅ…っ、覚えときなさいよ…っっ」
 しかし、確かに柚奈の言う通り、両手が塞がれた状態では大した抵抗も出来ないワケで、胸を隠しているのを逆手に取られた形で為すがままに近い状態だった。
「ほらほら、この辺りとか結構敏感なんじゃない??」
「んはぁぁぁぁぁ…っっ?!…ごほっ、かほ…っっ」
 やがて、柚奈の指先が背中のあるポイントに辿り着いた所で、ひときわ強い刺激を受けて背中が弓なりに反り返りながら、思わず大きな声と共に咳き込んでしまう。
「あらら…もしかして、みゆちゃん背中にも性感帯あるの??」
「し…知らないわよ、そんなの…こほっっ」
「ふむふむ。ならば尚更の事、確認してみないとね〜??」
 しかし、柚奈はそんな反応を見て止めるどころか嬉しそうにそう続けると、今度はわたしの両手を固定させた後で、自分の顔を背中に埋めてきた。
「え……?ちょっと何する……ひ…っ?!」
 その直後、何やらぬめぬめとした柔らかい感触が、わたしの背中の表面を這っていく。
 …それは、多分間違いなく柚奈の舌の感触だった。
「ち、ちょっと…ん…っ」
「ん…っ、指先よりも、こっちの方が分かりやすいかな…って」
「ば、ばか…っ、余計なおせ…はぁぁ……っ」
 そう言って、ゆっくりと味わう様に這ってくる柚奈の舌が、わたしの背筋にゾクゾクっとした刺激が走っていく。
「ひ…っ、それに…まだ洗ってないんだから…汗とか染みて…んく…っ」
「あは。確かにちょっとしょっぱいけど、全然気にしないから」
「もう…それって変態っぽいよぉ…っっ」
 向こうが気にしなくても、こっちが気にしてるんだってばっっ。
「…だって、みゆちゃんってばお風呂なのに髪留め外してないんだもん。私の為に背中を開けておいてくれたんでしょ?そう思うと、何だか嬉しくなっちゃって」
「ちっ、違うわよ…っっ、あんたを警戒してたから気が回らなかっただけ…くぅ…っっ」
 本当に、ただのど忘れだったんだけど…また墓穴掘っちゃったみたい…。
「んふふ、こういうのはどう〜?」
「ん…っ、はぁ…っ、んん…っっ」
 だんだんと攻められるうちに慣れてきているのか、先ほどみたいに身体が弓なりに反ってしまう様な強い刺激ではなかったけど、柔らかい感触と過敏過ぎない適度なくすぐったさが混ざり合って、それがあながち不快な感触とも言えないのが困った事になっているというか。
「はぁ…はぁ…っ、くぅ……っっ」
 せめて、声だけでも抑えないと…と思うものの、唇を噛む位が精一杯だった。
「別に声を抑えなくてもいいのに?2人きりなんだし、外にも漏れないよ?」
「そういう問題じゃないぃ…っっ、あふぅ…っっ」
 しかし、わたしの精神面での抵抗とは別に、身体の方が何だか熱くなってくるのを感じていた。
 このままだと、抵抗力が弱まって…力が入らなくなって…。
「…ね、そろそろ止めて欲しい?」
 その後、しばらく好き勝手に弄んでいたかと思うと、不意にぼそりと何か秘密の取引でもする様な口調で囁いてくる柚奈。
「はぁ…はぁ…っ、や…やめてくれるの??」
「んじゃ、これから私がみゆちゃんの背中にある単語を書くから、何を書いたのかを当てられたらやめてあげる」
「え〜っ、それはそれでくすぐったい様な…」
「それとも、このまま何処までくすぐり攻撃に耐えられるかの、我慢大会の方がいい?」
「…分かったわよ。乗るわよ」
 そう言ってニヤリとした視線を向ける柚奈に、わたしはしぶしぶと承諾する。
 もとより、この状況でわたしに選択権は無かった。
「あは。そうこなくっちゃね。…んじゃ、いくよ…?」
 わたしが承諾したのを受けて、ようやく柚奈は背中から顔を離すと、再び指先をわたしの背中に軽く押し付けた。
「……」
 ともあれ、この流れを断ち切るには、何とか正解するしかない。
 わたしは一字たりとも逃さぬようにと、意識を背中に集中させていった。
「……」
「……」
「…え、えええっ…?!」
 しかし、それから柚奈の指の動きを追うにつれ、わたしの身体が瞬間湯沸し器のごとく急激に沸騰していく。
 それはもう、年頃の娘さんがとても口に出せないような卑猥な単語だったりして…。
「さぁ、みゆちゃん。分かったらはっきりと大声で…」
「言えるワケないでしょ、馬鹿っっ!!」
 堪忍袋の尾にヒビが入るのを感じながら、柚奈の台詞が終わる前に即答するわたし。
「むぅ〜…つまんない…」
「拗ねた様に言ってもダメっっ!!」
 つーか、学校で憧れの的になってる美少女ともあろう者が、何というはしたない言葉を使いやがりますか。
「仕方が無いなぁ…んじゃ、第2問ね」
 ともあれ、わたしの剣幕に折れたのか柚奈はそう続けると、新しい言葉を背中にゆっくりと刻んでいく。
「もう、エロ系は禁止ね?」
「分かってるよん。今度は、もっと綺麗な言葉だから…」
「…だといいけど…ん…っ」
 相変わらず、鳥肌がぷつぷつと立ちそうな程にくすぐったいが、今度はH系の単語では無いみたいなので我慢して辿ってみる。
 …えっと、今度のワードは…「あ」、「い」、「し」、「て」、「る」、「ゆ」、「い」…。
「……」
 ああもう、この女は……っっ。
「んふ。分かった?今度は大声で高らかにお願いね♪」
「……。大嫌い、柚奈」
 残った堪忍袋がぶちっと切れたのを確認すると、わたしは胸を見られるのも厭わずにヘッドロックをかけてやりたくなるのを抑えて、替わりに素っ気無くそう答えてやった。
「……」
 すると、その途端にわたしの背中から柚奈の指が離れたと思うと、そのまま動きが止まってしまう。
「……」
「…ん…??」
 それで、何をやってるのかと思って首を回してちらっと後ろへと視線を向けると、柚奈は腰掛けにしゃがみこんだまま、床にのんの字を書きながらいじけていたりして。
「……」
 おいおい…。
 元はと言えば、身から出た錆でしょーが。
「……」
「……」
 全く、身勝手なんだから…。
「ああもう、いつまでいじけてんのよ??」
 そして、わたしは深い溜息を付くと、自分から切り出してやる。
 結局、こうなるんだよね。柚奈を突き放しきれない弱みとでも言うのか。
「…う〜っ、だってぇ…」
 よく見ると、柚奈は目を潤ませながら、まるでこの世の終わりの様な顔をしていた。
 …あれ、もしかして本気で傷ついてる??
「だっても何も、あんたがそうやっていじけてたら、わたしはどうすればいいのよ??」
「…え…?」
「だから、背中を流してくれるんでしょ?このままじゃ湯船にも入れないし」
「……いいの?」
「まぁ、もう脱線して暴走しなきゃ…ね」
「…うん…っ」
 そう念を押すと、柚奈はようやくにっこりとした笑みを浮かべた。
「……」
 ああもう、何をやってるんだろ、わたし…。

「んじゃ、今度こそ綺麗に洗ってあげるね?」
「ちょっと待ってっっ」
 その後、嬉しそうにわきわきと手を動かしながらそうのたまう柚奈に、わたしはストップをかける。
「んー??」
「背中流すって、まさか手でやるつもりじゃないでしょーね??」
 それじゃ、さっきと全然変わらないんですけど。
「あはは、さすがに手じゃ背中を流すのは無理だよぉ」
 すると、柚奈は屈託のない笑みを浮かべながら、スポンジを手にとってそう答える。
「…まぁ、分かってるならいいけど…」
 さすがに柚奈と言えど、そろそろ真面目にやるわよね。
「んじゃ、ちょっと待っててね。準備するから」
 そしてそう告げると、柚奈は足下にあったボディソープの容器を手にとって、手持ちのスポンジに馴染ませていく。
「ほいほい、よろしく」
 それを見てとりあえず安心したわたしは、視線を前方の壁に戻して、柚奈の準備が終わるのを待つ事に。
「……」
「……」

はらり

「……」
 …今、微かにバスタオルが落ちた音がした気がするけど、まぁいいか。
「……」
「……」
 んー、遅いわね。そんなに念入りに準備しなくてもいいのに…。
「……」
「……」
「んじゃ、いくよー?」
 それからしばらくした後で、ようやく背後から開始の声が届く。
「へいへい。ちゃっちゃとよろしく」

むにゅっ

「……??」
 そして、程なくしてわたしの背中に、何やら妙に柔らかい感触が広がる。
 とは言っても、もちろん今度は舌では無い。触れられた感触が明らかに違うし、今度は面積もそれなりに広いし。
「どうかな…??」
 その後、すぐ首筋から柚奈の声が届く。
 何か随分と密着してきているみたいだけど、まぁこの程度で今更どうこう言う気はないし。
「う…うん…別に痛くはないけど…」
 それにしても、やけに柔らかいスポンジね…??
 お金持ちのお屋敷に備え付けられているだけに、新素材か何か??
「そう、良かった。それじゃ動くね…?」
 そう言うと、背中に触れたスポンジが、ゆっくりと上下していく。
「う、うん……」
「……」
「……」
 割と気持ちいいけど、一体何なんだろうね?この、まるでシリコンのような柔らかさに、適度な弾力も兼ね揃えているこの感触は…。
「ん……っ」
 それに、風船を押しつけられたみたいにべったりと張り付いている割には、先端の弾力だけがやや強い感じだけど。
「……」
「……」
 待てよ、シリコンの様な感触…??
「…ん…っ、んん…っ」
「ふぅ…っ。みゆちゃん、この体勢のままだとやっぱり辛いから、腕をお腹の方に回してもいい?」
「別に、その位ならいいけど…って…」
 どうして、スポンジでわたしの背中を流しているはずの柚奈の両手が、わたしのすぐ目の前にありますか??

むに

 そして、柚奈の腕がわたしの身体を包むと同時に、更に柔らかい感触が押しつぶす様にしてわたしの背中に張り付いてくる。
「……」
 以上の要因から考えて、導き出される答えは…。
「ちょっと待って、柚奈…」
「ん〜?何かな?」
「さっきから、あんたがわたしの背中に押し当ててるのって、もしかして…」
「もちろん、私の胸♪」
 ある確信めいた推測を胸に、口元を引きつらせながらそう尋ねるわたしに、柚奈はあっさりと口を割った。
「だあーーーーっっ!!なんで普通にスポンジで洗えないのよぉ…っっ?!」
「だって…こっちの方が、お肌に優しいかなーって」
「…あんたね、どこぞの風俗店じゃないんだから」
「うにゅ…?みゆちゃんそういうお店、行ったことあるの?」
「無いわよっっ!!」
 なんでわたしがそんな所へ行かねばならんっっ。
 …しかし何はともあれ、女の人の胸の様に柔らかいと思っていた感触は、紛れもない柚奈の豊満な胸だったらしい。
「まぁまぁ…こっちの方が、普通のスポンジで擦るよりも気持ちいいでしょ?」
 しかも、わたしに突っ込まれて止めるかと思えば、そんな開き直りの台詞と共に、再びすりすりと押し当てた胸を上下させていく柚奈。
「…いやまぁ、確かにイヤな感触じゃないげさ…」
 確かに、どっちかと言えば気持ちいい部類の感触ではあるんだうけど…。
「なら、いいじゃない♪」
「…う〜っっ…」
 80のBカップにも届かないスペックを持つわたしには出来そうもない芸当だけに、何だかムカついてきたりもして。
「どう?こういうの、気持ちいい…??」
 やがて、最初は上下だった柚奈の動きが、次第に左右に動いたり、更にカーブを描きながらと、だんだん本格的…というか、変則的になっていく。
「なんかくすぐったくて…変な感じだよ…」
 むず痒いというか、次第に先端部分の堅さと弾力が増して、コリコリとした感触が柚奈の動いた軌跡をわたしの背中に刻んでいた。
「…ん…っ、私もちょっと変な気分になってきたかも…」
 そして、柚奈の声も微かに上気して、艶かしさを含んきているのに気付く。
「……」
 えーっと、これはちょっとまずいかも…??
 このまま続けて、柚奈の気分がすっかりと出来あがっちゃったら…。
「ゆ、柚奈…もうそろそろいいよ…」
 その前に、歯止めをかけるべくそう告げるわたし。
 もう少し、この感触を味わっていたい気もしないでもないけど、取り返しのつかなる前に。
「ん…っ、そう…??」
「うん。もう充分だから…」
「分かった…んじゃ、次はみゆちゃんの番だよ?」
 すると、柚奈は割と素直に従ったかと思うと、続けてごくごく当たり前の事を要求する様に、そう促してくる。
「…え…?」
「だから、今度はみゆちゃんが私の背中を流して?」
「流してって…柚奈はさっきお風呂に入ったんでしょ?」
「うん。入ったよ?」
 しかし、それがどーしたと言わないばかりにあっさりと返してくる柚奈。
「……」
 どうやら、決して曲げない強固な意志の前では、一般常識などは意味を為さなくなるらしかった。
「……。はいはい、分かりましたよー」
 まぁ、別に背中を流す位ならいいんだけどね。
 最早、余計な抵抗なんてするだけ無駄だと感じたわたしは、返事と共に今まで自分が腰掛けていた席を柚奈に譲ろうと立ち上がる。
「……っっ」
 その次の瞬間にわたしの目の前に映ったのは、先程自分の胸でわたしの背中を洗う為にバスタオルを下ろした柚奈の一糸まとわぬ姿だった。
 胸から流れ落ちたボディーソープの泡が柚奈の身体にまとわりついて、辛うじて肝心な部分とかは隠れてたんだけど、それが逆に艶めかしく見えたりして。
 そもそも、柚奈の肌は粉雪の様に真っ白で繊細で…。プロポーションの良さと相まって、それだけでドキマギさせられるのに充分だったり。
「…ん…?どうしたの…?」
 ついでに、当の柚奈は一瞬硬直してしまったわたしの反応にきょとんとした顔を浮かべながら、上目遣いでこっちを見ているのがなんと言うか、その…。
「と、とにかくっっ、さっさと座りなさいってば」
 思わず、見ているこっちの方が恥ずかしくなったわたしは、慌てて後を向きながらそう促す。
「う、うん……。座ったよ?」
「よし。んじゃ、わたしも」
 そして、柚奈が大人しく座ったのを見て、わたしもすぐ後にある、先程まで柚奈が腰掛けていた場所へと座り、足下に転がっていたスポンジを手に取った。
『…うわぁ…綺麗…』
 それはまるで、積もりたてで誰にも汚されていない状態のゲレンデみたいな、真っ白できめの細かいなだらかな傾斜が目の間に広がっていた。
 さっきも思わず見惚れそうになったけど、こうして間近で見てみると、改めて感嘆させられてしまう。
「……」
 ここまでくると、コンプレックスと言うより、独占欲が沸いてきそうだっりして。
「あれ…?どうしたのみゆちゃん?」
「あ、ううん…何でもない。それより、わたしの許可無くこっちを振り向いたら、殴るからね」
 ともあれわたしは気を取り直すと、柚奈の背中を流し始める前にクギを差しておく事に。
「あはは…そろそろ裸のおつき合いが出来るかなーとか思ってたんだけど、やっぱりまだ恥ずかしい?」
「当たり前でしょ?それに、わたしは柚奈と違ってスタイルに自信ないし」
 とりあえず、自慢げに見せびらかせる様なプロポーションでは無かった。
「ん〜、そうかなぁ?みゆちゃんの身体、わたしは好きだけど…」
「…あんたはそうでも、世間的にはそーいうものなの」
 フォローなのか本音なのかは分からないが、そう呟く柚奈にわたしはぶっきらぼうな返事を返すと、手に持ったスポンジでがしがしと柚奈の背中を流していく。
「いたたたた…っ、ちょっとみゆちゃん、もう少し優しく…」
「え…あ…ゴメン。つい苛立ち紛れに力が…」
 しかし、そこで柚奈の痛そうな声で我に返ると、慌てて手を離すわたし。
 やっぱり繊細なだけに肌は弱いのか、そこまで強くしたつもりはないのに、確かにわたしが擦った辺りは少しだけ赤くなってたりして。
「うーっ、そのスポンジって結構目が粗いから、乱暴に擦るとヒリヒリしてくるんだよ…?」
「だから、悪かったってば…って言うか、多少強くしても大丈夫なのはないの??」
 自分の身体を洗うならともかく、人の身体の場合は加減が難しいしね。
「…あるよ?」
「あるの?何処に…??」
 そこで殆どダメ元で向けた質問なのに、あっさりと肯定の返事が返ってきたので幾分驚きながらも切り返すわたし。
「それはもちろん、みゆちゃんの身体に…ね♪」
 …しかし、それはとんだやぶ蛇だったりして。
「…うーっ、もしかして、わたしにも胸でやれと??」
「だって、それだったら少々荒っぽくても全然OKだし♪」
 ジト目でそう返すと、柚奈はしれっとそう答える。
 …しまった。またうまくハメられてしまったかも。
「でもさ、わたしの胸でやったって…」
 行為への恥ずかしさも勿論の事、それ以外の要因もあるだけに抵抗感は強い。
「そんな事ないよ。私はしてもらえたら嬉しいけど??」
「ん〜〜っ、でもなぁ…」
「需要があるなら、恥じることは無いと思うんだけどな〜?」
「……。ああもう、分かったわよ…っっ」
 更に食い下がってくる柚奈に、しぶしぶと折れるわたし。
 …もうこうなったらヤケよ。望み通りにしてやろうじゃないの。
「やた♪そうこなくっちゃね〜♪」
「…いいから、あんたは大人しく前を向いて待ってなさい」
 そう言って、こちらに振り向きかけた柚奈を制すると、わたしは先程柚奈がしたのと同じ様に、自分の胸にボディーソープを馴染ませていく。
『まったく、何処でどう間違ってこうなるんだか…』
 …と言うか、事ある毎に同じモノローグを呟いてる気がするけど。
「…えっと、準備は終わったけど、背中にべったりと張り付けばいいの?」
「ん〜、あと、手はわたしの前に回しておいた方がやりやすいよ?」
 そう言うと、柚奈は後ろ手でわたしの手を取り…。
「え…?」

むにっっ

 そのまま、わたしの手を自分の胸に宛がった。
「ゆ、柚奈…っ?!」
「あは、ここなら掴まりやすいでしょ?」
 今度は、手のひらから伝わってくる柚奈の胸の感触。
「い、いや、確かにそうだけどさ…」
 それは、ぷるんぷるんと形に張りがあるけど、少しでも力を入れたら指が食い込んで変形してしまう柔らかさ。さっきはシリコンみたいなと形容したけど、こうして掴んでみると、大きなマシュマロみたいにも思えて。
『何だか、ぐにゃぐにゃしてて気持ちいい感触…』
 それこそ、いつまでも掴んでいたい様な…。
「ん…っ、もう、みゆちゃんって結構大胆…」
「え…あ、ごめん…っっ」
 そこで柚奈の恍惚混じりの反応を聞いて、いつの間にか柚奈の胸を好き勝手に揉んでいた事に気付いたわたしは、慌てて手を離し、その下にあるお腹の辺りで両手を固定する。
「むぅ…別に遠慮しなくても、好きなだけ掴んでくれていいのに…」
「それだけ柔らかいと、逆に固定しないでしょ?」
 方便だけど、正論でもあった。
「とにかく、このままぴったりとくっついて動けばいいんだよね?」
「うん。あまり強くやると苦しくなるから気を付けてね?」
「…やらないってば」
 あんたじゃあるまいし…と苦笑いを浮かべながら、わたしは柚奈の背中にしがみつくようにして、自分の胸を柚奈の背中へと宛った。
「ん…っっ?」
 やがて、白くてきめ細かい泡に包まれたわたしの胸の先が真っ白な柚奈の背中に触れた瞬間、ぴくんっと小さな電気が走る。
『あう…っ、なんか妙な感じ…っっ』
 先程、柚奈に胸を押し当てられた時も変な感じだったけど、これはこれでまた違った不思議な感触がわたしの神経を刺激していった。
「それじゃ、ゆっくりでいいから動いて…?」
「う、うん…」
 ともあれ、このまま張り付いても仕方がない。
 わたしは意を決めると、先程柚奈がした様に、ゆっくりと上半身を使って上下させていった。

すりすり

「ん…っ…あ……っ」
 その動作は緩慢ながら、動かすたびに両胸の先端が擦れて、伝わる刺激と羞恥心とで身体の芯から熱くなっていくのを感じる。
 そもそも、今自分がやっている行為を振り返るだけで、茹で蛸にでもなってしまうそうだし。
『あうう…っ、これ…思ったより…っっ』
 実際は恥ずかしいだけだろうとタカをくくってたけど、こんなに刺激が強いなんて…。
『ダメ…っ、こんなコトしてたら、わたし…』
 なんだかおかしくなっちゃいそうだった。
「……」

すりすりすり

 …でも、同時に何だか身体の方は勝手に動いちゃってたりして。
「ん…っ、みゆちゃん…いい感じだよ…」
「…ね、さっきの柚奈みたいに…色々動いた方がいい…??」
 うう…っ、勝手に余計なコトまで口走ってるし。 
「んふっ、お任せでいいよ。私はみゆちゃんにしてもらえるだけで幸せだから…」
「へいへい…」
 それは控えめな発言の様で、柚奈流の催促だった。
 ああいう風に言われたら、わたしはどうしても突っぱねにくくなってしまう。
 それを柚奈が知ってか知らないかは定かじゃないけど。
「ん…っ…こんな…感じ??」
 ともあれ、わたしは柚奈の要求を受け入れると、密着させた胸を左右や斜め、更に円状にと色々試していった。
「うん…確かにみゆちゃんの言うとおり、何だかちょっとくすぐったい感じだけど…」
「でしょ…?んく…っっ」
 その一方で、わたしの方も摩擦させてる影響なのか、だんだんと胸の先端が熱を帯びた様に熱くなって、同時に心臓の鼓動もどきん、どきんと強くなっていく。
「…はぁ…はぁ…っ」
 やがて、身体の芯を中心にむずむずとむず痒いような感覚が走る様になって、力が上手く入らなくなってきそうだった。
 それは上半身だけで無くて、いつの間にか不安定な体勢を支えている太股の方まで無意識にモジモジとしちゃってるし…。
「……っ、く…っっ」
 同時に、自然と声が出てきそうになるのを、どうにか抑える。
 柚奈の身体に抱きついて、自分の胸を背中に押し当てて喘ぎ声を出してるなんて、これじゃ何だか痴女さんみたいだし。
 …でも、このまま続けていたら、そんな強がりも…。
「……」
「…ね、みゆちゃん気持ち良くなってきた?」
「…え…??」
 そんな時、不意に背中の向こうからそんな台詞が向けられて、わたしはどきんっと胸が一際大きく鳴る。
 もしかして、見破られてる…??
「ど、どうして…??」
「ん〜、私もそうだったってのも、勿論あるんだけど…」
「……」
「…何より、みゆちゃんの胸の先…最初に当ててきた時より固くなってるよ?」
「え…えええ…っ?!」
 そう指摘された瞬間、かああああーっとわたしの身体中がヒートアップしてしまう。
「そっ、そんなコト…っっ」
 思わず反射的に否定しようとするものの、しかし実際に胸の先端を彼女の背中に擦りつけている以上、誤魔化すのは無理ってもので。
「んふ、みゆちゃんも感じちゃったんだ…??」
「ばっ、ばか…っっ」
 …そして、恥ずかしさのあまり、慌てて回した手を解いて柚奈と離れようとしたのがアダになってしまった。

つるっ

「うわわわ…っ?!」
「え…きゃ…っ?!」
 強引に離れようとした刹那、流れたボディシャンプーで滑りやすくなっていた床に足を取られ、そのまま柚奈の方へと倒れてしまうわたし。
「……」
「…あたたた…って…」
 実は、全然痛くはなかった。ただ単に倒れてしまったという認識から無意識に出ただけで。
 都合良く目の前にあった柔らかいクッションの上に倒れたからか、感覚としては倒れ込んだというより、覆い被さったという方が近いだろうか。
「…え……??」
 覆い被さったって…。
「……」
「あ……」
「…いたた…っ」
 そこで、倒れ込む瞬間に閉じていた目をゆっくりと開くと、目の前には泡にまみれて床に横たわった柚奈の裸体が。ついでに、わたしの右手は…柚奈の右胸をわし掴みにしていた。
「…えっと…」
 状況を理解した瞬間、硬直するわたしの身体。
 多分、今ここでいきなり誰かが入ってきたら、わたしが柚奈を押し倒している様にしか見えないだろう。
「……」
 そして、頬を赤く染めている柚奈の右胸に触れているわたしの右手からは、とくん、とくんと強く脈打つ鼓動が伝わってきていた。
「……」

とくんっ

 それはやがて、わたしの心臓からも高鳴ってる鼓動と共鳴し、わたしの中にある箍(たが)が崩されていく様な感覚に囚われて…。
「……」
 崩される箍の替わりに、わたしの心に芽生えてくるのは…。
「…みゆちゃん…?」
「あ…っ、ご、ゴメン…っっ」
 しかし、そこで柚奈の呼ぶ声でわたしは再構築されかけていた意識を一気に引き戻すと、反射的に身体を起こして離れる。
「あ……っっ」
 その直後、柚奈の両手が空振りして、自分自身の身体を抱きしめていた。
『あ、危なかったぁ…』
 どうやら、間一髪だったらしい。
 あと一瞬遅かったら、そのまま柚奈に引き込まれていたみたいだ。
「……」
 いや、それ以前に柚奈に呼びかけられなかったら、わたしは…。
「むぅ〜っ、みゆちゃんがつれない…」
 ともあれ、全てが紙一重に空回りした後で、柚奈がむっくりと上半身を起こしながら不平をこぼす。
「ま、自業自得ね。結構危なかったけど」
「……??」
 そんなわたしの台詞に、きょとんとした顔を見せる柚奈。
 まぁ、詳しく説明する気は全く無いんだけど。
「それより、大丈夫?頭とか打ってない?」
 一応、小柄なので体重は重い方ではない(…はず)とはいえ、やっぱり一気に倒れ込んだのだから、柚奈に降りかかった衝撃はそれなりのものがあるだろうというのは想像に難くない。
「ん…っ、ちょっと痛むかな…」
 すると案の定、柚奈は自分の後頭部をさすりながら、僅かに顔を歪めた。
 …たんこぶでもできちゃったかな。
「どれ?ちょっと見せてみて…」
「ん〜、別にいいよ。大した事ないし」
「そういう訳にもいかないでしょ?わたしの所為なんだから。他には痛むところは無い??」
 あんなに綺麗な柚奈のお肌だもん。これで傷でもつけていたら一生モノの責任である。
「それじゃ、お言葉に甘えて…この辺が少し痛いから、さすってくれる…??」
 そう言って、後頭部の中心当たりの一点を指定する柚奈。
「う、うん…もちろんっ。そこが痛むのね…??」
 わたしとしては一も二もなく、そのまま吸い寄せられるように柚奈の頭へ手を伸ばそうと近寄る。
 ……が。
「そう…もっとこっち…」
「えっと…この辺かな…??」
「あは、みゆちゃんつかまえた〜♪」
「へ……??」
 それは柚奈の策略であった事に気付いた時には、既に遅かった。

んちゅ…っ

「……っ?!」
 わたしの頭に柚奈の手が届く距離まで近づいた途端、素早く手を回して引き寄せられたかと思うと、そのまま唇を奪われてしまう。
「ん…っ、んんんんーっ?!」
「……ふは…っ。…んふふ、これでチャラでいいからね♪」
 やがて、今まで一番長い時間重ね合っていた唇をゆっくりと離すと、柚奈は満足そうな笑みを浮かべてそうのたまった。
「ゆ、柚奈あんた…っっ」
「だってぇ…結構痛かったんだよぉ?背中もびたーんって打ったし」
「う…っ、それを言われると…」
 それ以上は反論しようが無かった。
「…本当は、さっきみゆちゃんに押し倒された時にしたかったけど…ま、とりあえずはこれで充分かな♪」
「別に、押し倒したんじゃないってば…」
 まさか、これから事あるごとに言ってくる気じゃないでしょーね??
「でも、さっきは本当にドキドキしたよ〜。お陰でしばらく硬直しちゃった所為で、せっかくのチャンスを逃がしちゃったけど」
 そう言って、再びぽぽっと頬を紅く染める柚奈。
「いやー、わたしの方は上下の立場が逆だったらどうだったかと考えると、結構ぞぞっとするんだけどさ。柚奈も逆だったら良かったのに…って思ったんじゃないの?」
 後頭部と背中を打った状態で柚奈に押し倒された状態なんて、正に肉食獣に掴まった草食動物の心境が理解できようというものだった。
「もちろん、それはそれだけど…でも、みゆちゃんになら押し倒されちゃうのもいいかなぁ…って」
 …すなわち、愛ゆえにって奴ですか。
「…そりゃどーも…」
 とはいえ、いつもなら「そんなの、絶対無いわよっっ!!」とでも喚いて否定する所なんだけど、今回ばかりは断言できなかったりして。
「…でも、やっぱりまずはわたしがみゆちゃんを押し倒してから…かな?」
 そして、そう告げると同時に、また柚奈の目が獲物を狙うハンターの目つきに変わっていく。
「いいけど…この場はもう勘弁してよね。いい加減湯船に入らないと、風邪を引いちゃいそう」
「あはは…そうだね…」
 肩を竦めながらそう告げるわたしに、柚奈の方もとりあえずは満足したのか、屈託のない笑いを浮かべながら頷いた。

「それじゃ、私はお先にー。脱衣所の籠にパジャマ用意してるからね?」
 その後、恥ずかしいからと主張して、お互いに背を向けて身体中のボディーソープをシャワーで落としていると、柚奈がバスタオルを巻いて先に立ち上がる。
「…それはいいけど、まさかさっき脱衣所に入った時に、わたしの下着を手に取って頬擦りしたり、匂いをかいだりしてないでしょーね?」
「そ、そんなコトしないよぉ。あはははは…」
 しかしそんな否定の台詞とは裏腹に、柚奈は乾いた笑いを浮かべると、足早に浴室を立ち去ってしまった。
「…やってやがったわね、確実に」
 その光景も、容易かつ鮮明に想像出来るだけに、間違いは無さそうだった。
「まぁ、その位なら別にいーけどね」
 そんな事までいちいち気にしてたら、とても付き合ってはいけないだろうし。
「……」
「…あれ?」
 でも…そう言えばわたしって、何だかんだ言って「柚奈だからまぁいいか」と許してしまう事が多くない…?
 さっきも、何だかんだで柚奈のペースにはまりっぱなしだったし。
『…このまま、いずれは柚奈と行き着くところまで行っちゃっても、「まぁいいか」で終わっちゃうのかな…?』
 最初は「くっつくな」って過敏に反応してたのに、最近は手を繋いだり腕を組まれたりしてもあまり気にしなくなったし…。今日だけで、もう2回もちゅーを許してるし。
『…慣れって奴は怖いのね…』
 気をつけないと、ますます柚奈の思うツボになってしまいそうだった。

がらがらっ

「…ふーっ、何か妙にのぼせた気がする」
 やがて脱衣所に戻ると、何だかぐったりとした脱力感を感じながら呟くわたし。
 結局乱入してきた柚奈の相手をしてたら、随分と長風呂してしまった気がするんだけど…。
 まぁ、ようやき入った湯船があまりに気持ちよかったから、身体がふやけてしまうまで浸かってたのも確かだし、柚奈の所為とばかりも言えないんだけどね。
「まぁいいわ。さっさと着替えて…ん…?」

ひらりん

 …という音は実際にはしなかったのだが、覗いた衣装籠に入っていたのは、そういう擬音が聞こえてくる様な、ピンク色で袖などにひらひらがふりふりとしたパジャマだった。
「…少女趣味…」
 ま、いーけどね。別に嫌いじゃないし。
 これが茜辺りだと、悲鳴をあげて嫌がりそうだけど。

2-9:お呼ばれ

「ふんふふ〜ん♪バタバタしたけど、いいお湯だったなぁ…」
 帰り道、ほんわかと湯気が立ち込める自分の肌を眺めながら、わたしは満足そうに振り返る。
 まぁ、変なスイッチが入って、もう少しで柚奈を暴走させてしまうところだったり、用意していた水着を剥ぎ取られて色々と妖しいコトやったりもしたけど、まぁ何とか守るべき最後の一線は超えないで済んだので、結果オーライとしておこう。
 …どっち道、すんなりといかないのは想定内の範囲だしね。
「……」
 いやまぁ、女の子同士でキスしちゃった時点で既に最初の一線は越えてるんだけど…。
 所詮は覆水盆に返らず。それは気にしても仕方が無いので、次の一線を守る事を考えないと。
『じゃないと、また転校する羽目になりそうだし…』
 柚奈がイヤだとかそういう話よりも、多分そうなったら、もう恥ずかしくて学校で顔を合わせていられない気がする。
「…はぁ、柚奈もその辺を自覚してくれてたらなぁ…」
 そりゃ、人前でベタベタするのに爛漫な柚奈は平気なのかもしんないけどさ。

ぽん

「…姫宮さん」
「ひぃぃぃっ?!」
 そんな事を考えていた所、突然薄暗い廊下で不意にぽんっと後ろから肩を叩かれて全身の毛が逆立ってしまう。
「……」
「……あ、芽衣子…さん?」
 飛び出しそうになった心臓を抑えながら振り向くと、無表情気味にぽや〜っとした芽衣子さんの顔がわたしの視界に映ってくる。
『…どうして、この人と遭遇する時はいつも心臓に負担をかけさせられるんだろう…』
 関係ないけど、こういうドキドキを恋と勘違いしてしまう事もあるらしい。…ええと、こういう心理効果を何って言うんだったっけ…??
 …じゃなくて。
「…こんばんは」
「…こ、こんばんは…」
 あくまでマイペースなのか、わたしの反応を諸ともせずに普通に挨拶してくる芽衣子さんに、高鳴る心臓を抑えながら挨拶を返す。
「今、お風呂上りですか?」
「え、ええ…」
「……。可愛いパジャマですね?」
 そして、じっとわたしのパジャマ姿を見る芽衣子さん。
「あ、いえ…これは…柚奈が用意したものだし」
「……」
「…ああ、なるほど。柚奈が中学生の時に着ていたものに似ているなと思っていましたが」
「あー、そうですか…」
 まぁ、小学校で無かっただけマシとするか。
 …いや、我ながら卑屈なのは分かってるけど。
「…それで、姫宮さん」
「あ〜、美由利でいいですよ。わたしの方としても、芽衣子さんと呼ぶ他に無いですし」
 柚奈と名前で呼び合う関係な以上、芽衣子さんだけ桜庭さんと呼ぶのは違和感があるし。
「…良かったら、”お姉様”と呼んでいただいても構いませんけど」
 そんなわたしの台詞に、ぽぽっと顔を赤らめてそう告げる芽衣子さん。
「い、いえ…それはちょっと…」
 なんか勘違いされそーだし、思いっきり。
「……。残念です」
 すると、本当に残念そうにぽつりとそう呟く芽衣子さん。
『もしかして、憧れてたのかな…??』
 まぁ、確かにわたしと比べて、柚奈や芽衣子さんには似合いそうな響きだけどさ。
「えっと、だったら柚奈に呼んで貰うとかどうですか?」
「…実の妹に、そんなに他人行儀な呼び方をされるのも、それはそれで悲しいものです…」
「ああ、まぁ、確かにそうですねぇ…」
 お姉様とは、結局は他人同士の姉妹関係で呼び合う呼称な訳で。まぁ、旧家のお嬢様とか、そーいう世界は知らないけど。
「あはは、さすがに呼ぶ方のわたしも心の準備が色々と必要なので、出来れば勘弁して欲しいかなーと…」
「……。残念です」
 そして、もう一度残念そうにぽつりとそう呟く芽衣子さん。
「あ、いや…」
「……」
 しかし、そこで何かフォローを入れようとした所で、わたしは口を紡ぐ。
 …何だか、このパターンだと永久ループの予感がしてきたし。
「…ごほん。それで、わたしにご用ですか??」
「…ええ、ご用はですね。美由利さん、ちょっと私の部屋でお話していきませんか?」
「え…?…えっと、まぁ、いいですけど…」
 何だか偶然という感じがしないあたり、もしかして、わたしを待ってたとか…??
 一応、柚奈達が部屋で待っているのは分かっていたけど、さすがに2回目は断りづらいものを感じたわたしは、ついつい了承してしまう。
「では、一名さまご案内〜…です」
 すると、芽衣子さんは嬉しそうに表情を緩ませてそう告げた後で、先に立ってゆっくりと歩き始めた。
「ど、どうも…」
 多分、柚奈達がわたしを待っているんだろうけど…まぁ少しくらいはいいかな。

「…それでは、どうぞお入りください」
「あ、どうもお邪魔します…」
 そして芽衣子さんに案内され、わたしは恐る恐る部屋の中へ入る。
「今、お茶を用意しますから…」
「あー、いえお構いなく…」
 そんなお約束とも言えるやりとりを交わしながら、わたしは失礼だとは思いつつも、芽衣子さんの部屋の風景をぐるりと見渡していく。
 どうやら柚奈の部屋とは間取りが殆ど同じらしく、机やベッド、クローゼット等のインテリアのレイアウトも似た様な構成になっていた。
 大まかな部分で違うのは、部屋全体の色合いがシックに纏められているのと、大型の薄型テレビの代わりに本棚が充実していると言った所だろうか。
 この辺からも、芽衣子さんの性格や普段の生活が垣間見れる感じも。明るすぎない程度に調整された照明に、音楽プレーヤーも小型の物が控えめに設置されている辺り、やっぱり静かに過ごすのを好む人らしい。
 そして…。
「…では、お茶が入りましたので、まずはどうぞ…」
「え、あっ、ど、どうも…っっ」
 そんな中、不意に背後から聞こえてきた芽衣子さんの声に、びくっと背中の産毛を逆立たせるわたし。
 …いけないいけない。さっきから芽衣子さんに失礼な事しまくってるってば。
「……。どうかしましたか?」
「い、いえ…いただきます…」
 ともあれ、わたしは芽衣子さんに促されるままに、差し出された琥珀色の液体が注がれたティー・カップに手を伸ばす。
『…一応、今日5杯目なんだけど…』
 まぁいいか。今日に限っては眠くならない方が好都合だろうし。
「お風呂上りにハーブ・ティを飲むのは、体温を冷まさない効果があって、お肌にも優しいです…」
「そ、そうですね…」
 そんな芽衣子さんの台詞に、わたしは苦笑いを浮かべながら、適度に温まった紅茶を喉の奥へと流し込んでいく。
『そんなの、全然知らなかったんだけど…』
 どうやら、お風呂上りに飲むのはコーヒー牛乳かコーラを一気にあおるのが相場が決まっているわたしとは、根本的に女性としての美意識が違うらしい。
『…ああ、なるほど。そういう所で差が出てるのね』
 なんか、妙に納得させられてしまったわたしだった。ひたすら先天的な問題の所為にしている時点で、既に負け組みなのかも。
「それで、お話というのはなんですか?」
「……」
「あ、いや…別にただ雑談したかっただけって言うなら、それでも全然構わないんですけどっっ」
 そこで黙り込んでしまった芽衣子さんに、慌ててそうフォローするわたし。
 柚奈と違って寡黙で何を考えているのか読みにくいだけに、何かと気を使ってしまう。
「……」
「……」
 えっと…。
 こういう時の沈黙は、進退窮まるから困る。このまま「それじゃ、失礼します」と出て行っても気まずさが後まで残るし、何か気の利いた話題でもあれば…。
「……」
 ああ、そうだ。さっきのモノローグの続き。
「そう言えば、芽衣子さんもピアノを弾くんですか…?」
 わたしはその事を思い出すと、そちらの方へ視線を向けながらそう尋ねた。この芽衣子さんの部屋にも、柚奈の部屋にあった物とそっくりのグランドピアノが置かれていた。
 多分、同じ型なんだろう。もしかしたら、同じ時期に親からそれぞれに与えられたのかもしれないけど。
『ううっ、ブルジョアだなぁ…』
 ピアノの値段にはあまり詳しいわたしじゃないけど、多分ピンキリがあるとしてピンでも100万程度。しかし、ここまで立派なお屋敷だとピンのモデルなんて置いてるとも思えないし、もしかしたら高級外車が買える位はするのかもしれない。
 …あとで、柚奈にこっそりと聞いてみるか。流石に芽衣子さんに尋ねるのは失礼だろうし…。
「…ええ。昔は柚奈と一緒に習ってましたから」
 ともあれ、頭の中がお宝鑑定になろうとしたわたしの意識を、芽衣子さんのぼそりと呟く様な返事が引き戻していく。
「それじゃ、今は習ってないんですか?」
「一応、私も封印中…です。鍵は掛けてませんけど」
 つまり、2人揃ってお休み中か。何だか勿体ない気もするけど…。
「でも、柚奈は再開したみたいですよ?」
 と言うか、多分わたしが柚奈の「教えてあげる」の誘いに乗り気な態度を示したからだろーけど。
「そうですね…貴方が再び鍵の掛かった柚奈のピアノを開いてくれました」
「あはは、別にそんなご大層なものでもないんですけれどね…」
 わたしとしても、単に上手だって茜が言うから聞いてみたいと思っただけで。今後も柚奈が続けるのかどうかは感知するつもりもないし。
「…いいえ。あの子が再び鍵盤に指を伸ばしたのは相当の事です。ある時を境に、強烈に拒否反応を示していましたから」
 しかし、そう言ってはぐらかす様に苦笑いを浮かべるわたしに、芽衣子さんは真剣な表情でわたしの目を見据えながらそう告げた。
「…拒否…反応??」
 混同されそうだけど、拒否と無視は別物である。拒否と言うのは、確固たる本人の「意思」が存在している反応であって。好意と敵意の本質は同じである様に、それだけ柚奈自身が強く意識をしているという事になる。
「あの…昔の柚奈に、何かあったんですか…?」
「……。気になります?」
 特に考えずに出た問いかけだったが、芽衣子さんは思わせぶりな質問で返してくる。
「……」
「え、ええ…差し支えない範囲で良ければ…」
 とは言え、今後柚奈に軽々しくピアノを演奏して聞かせてと言って良い物かどうかの判断材料になると思ったわたしは、思い切って請け負ってみた。
「……」
「…結論から言ってしまえば、柚奈は心に傷を負ってしまったんです」
 すると、芽衣子さんはちらっと自分のピアノの方へ目を遣りながら、独り言を呟く様にそう告げた。
「え…??」
「確かに、柚奈には溢れるばかりの才能がありましたけど…でもその才能は、あの子を幸せにはしてくれませんでした」
「……」
 その瞬間、わたしの心の中で「しまった」という感情が芽生えていく。
 いや、勿論こういう話の流れになるのも予測していたはずなのに、いざ告げられると途端に不安になってしまう。
「で、でも…それならどうしてワザワザ鍵を掛けて部屋に置いてあったんですか?そんなにイヤなら、処分するなり倉庫にでも移動させるなり、自分の視界に入らない様にすればいいのに」
「……。ああする事で、柚奈は負った傷の痛みを少しでも中和していたんです。いわゆる、あの子なりの復讐みたいなもので」
「復讐って…?」
 わたしのイメージでは、柚奈にとって一番似合わないイメージのある言葉。
 その違和感に、わたしは思わず間抜けな声で問い返してしまった。
「…多分、美由利さんの今持たれている柚奈のイメージと、昔のあの子の姿には少しギャップがあるのも確かです」
「……」
 そりゃあね、まだ柚奈と知り合ってから1ヶ月ちょっとしか経ってはいないけどさ。
 …だからと言って、人を恨んだりする様なタイプには見えないんだけど。
 それとも自分の欲求に忠実で、裏表がなさそうというのは、ただのわたしの思い込み?
「で、でも、復讐って事は、つまり誰か相手がいるんですよね…?」
「当然の報いです。あの子の気持ちを知りながら、自ら進んで裏切ったのですから」
 それは、わたしが求めた返答とは言いがたいが、芽衣子さんはその端正な顔を険しくさせてそう答える。
『裏切り…??』
 あの子の気持ちを知りながらって言うけど…。
「……」
「もしかして、初恋の相手にフラれてしまったとか、そーいうオチですか??」
 芽衣子さんの言い方が物々しいだけで、解釈の方向を変えればそんな所かも。
「…まぁ、そうくくってしまう事も出来ます」
 すると、そんなわたしの意図が伝わったのか、芽衣子さんも表情を緩めて頷いた。
「あはは…まぁ、初恋の失恋は尾を引きますからねぇ…」
 それなら、よくある話だ。…と言うか、わたしだって初恋は実らなかったんだし。
 その時のショックは回復しても、想い出としてその後も頭の片隅に居座り続けたりして、良くも悪くも記念になっちゃうんだよねぇ…。
 ともあれ、何があったかは知らないけど、ただ単に意地になってただけか。
 だったら、わたしが柚奈に聞かせてと頼んだのは、丁度いいきっかけだったと言えるかも。
「……。やっぱり、そうですか…」
 と、そんな事を考えるわたしに対して、何だか表情を落としながら俯く芽衣子さん。
「はい?」
「…いいえ…」
「えっと…それで、柚奈の事情は分かりましたけど、芽衣子さんはどうして止めてしまったんですか?」
「…私の場合は単なるきまぐれです…ただ嫌になっただけで」
 そして、そのまま流れで芽衣子さんの方へと水を向けると、素っ気無さすら感じる様な口調で、さらりとそう返された。
「……」
 そこで、「どうして嫌になったんですか?」と続けそうになって慌てて口を紡ぐわたし。
 さっきから調子に乗って、随分と無遠慮に踏み行ってるし。
「えーっと…それで、結局お話というのは…」
 何となく、更に重苦しい雰囲気になって来たのを感じたわたしは、話題を別の方向へと向けた。
「…ああ、そうでしたね」
 すると、芽衣子さんは今更思い出したとばかりにぽんっと右手で左手を打つと…。

どさっ

「え、ええええ…っ?!」
 用件を告げる代わりに、芽衣子さんは隣に座るわたしに覆い被さってきた。
『う…わわわ…っっ??』
 完全に不意をつかれ、芽衣子さんの身体が密着してくると、その胸元がすぐ目の前に迫ってくる。
「ち、ちょっ…」
 芽衣子さんの使っているボディーソープの香りなのか、ふんわりとした百合の香りがわたしの鼻腔をくすぐってきていた。
「あ、あの…これは一体どういう…」
「…美由利さん。柚奈じゃなくて、私のものになりませんか…?」
 そして、すぐ間近に迫った芽衣子さんの口から出た言葉は、いきなり押し倒されて困惑するわたしの脳みそを更に混乱させるものだった。
「は、はい…???」
 ややややや、やっぱり芽衣子さんもそういう趣味…っっ???
 よりにもよってこんな美人姉妹が2人揃って…お母さんが聞いたら泣くわよっっ。
「…それとも、もう柚奈とは永遠の愛を誓い合った仲ですか?」
「い、いいえ…っ、そういう訳でも無いですけど…っっ」
 内心の焦りを誤魔化しきれないまま、ぶんぶんっとオーバー気味に首を横に振るわたし。
『いきなり永遠の愛なんて飛躍しすぎだってば…っっ』
 …いや、根本的に問題はそっちじゃなくて…。
「では、私の事をどうしても好きにはなれないと…?」
「で、ですからそれ以前に、一体芽衣子さんが何を考えているかが分からなくて…」
 そもそも、初めて招いた相手をいきなりの押し倒すのはルール違反だとおもうんですけど。
『…と言うか、あんたら姉妹揃って、どうしてそう強引なのよぉ…っ!!』
 思わず、そう叫んでしまいそうになるのをぐっと飲み込む。
「……」
「…何も考えていませんが、何か?」
 しかし、内心慌てふためきながら当然の質問を向けるわたしに、きょとんとした顔であっさりとそうのたまう芽衣子さん。
「はい…??」
 それを聞いて、わたしは思わず脱力しながら目を見開いてしまう。
「私の家系で、物事を深く考えている人間なんていません。それは柚奈も然り…です」
「…あー、いや、まぁそれは何となく分かるんですが…」
 考えてみれば、確かに柚奈にはわたしや茜以上に気分屋で刹那主義的な面があった。
 例えば、真面目に授業を受けているかと思えば、いきなり眠くなったからと言って授業中でも眠ってしまうし、突然思い立った事をよくも考えずにあっさりと実行してしまったりする事もしばしばで。
 そもそも、学業成績こそ抜群なものの、それは柚奈にとっては将来を意識してるものでは無くて、ただ単に自分が好き勝手に生きる為の代償に過ぎないらしい。
 …それを裏付けるモノとして、先日進路希望調査のプリントを配られた時に、柚奈からこんな事を言われてしまった。
「ねぇねぇ、みゆちゃん。志望校が決まったら教えてね?それまで私も空白にしておくから」
 しかも、決して柚奈は自分のレベルまで上がって来いとは言わず、どんな学校だろうが、とにかくわたしと一緒に通うのならば何処でもいいらしい。
 そして、柚奈の奴はそれを進路指導の時に堂々とそう言いのけたらしく、後でわたしが担任に呼び出されて、考え直す様に彼女を説得するか、わたしが彼女のレベルまで上がる様に頼まれたりもしたんだけど…。
「…つまり、芽衣子さんも柚奈と同じ穴のムジナだと…??」
「ええ…何せ、血を分けた姉妹ですから」
 あうう…っっ。そんなにあっさりと肯定されても困るんですけど…。
「…それで、柚奈とは何処まで進みました?」
 そんな動揺しまくりなわたしには構わず、芽衣子さんは、すっと両手でわたしの頬を持ち上げる。
「ど、何処までって…」
「例えば…口づけを交わした事は?」
「え…いや、まぁ…その位なら一応…」
 交わしたと言うか、一方的に奪われてるんだけど。
「…そうですか。なら、遠慮はいらないですね…?」
 そしてそう告げると、芽衣子さんは自分の唇をわたしの口元へと向けて距離を詰めて来た。
「わわっ、なんでそうなるんですか…っっ?!」
「…理由を聞かれた所で、私には美由利さんの事が気に入ったとしか言えないのですが?」
「だーかーらーっっ、そういう問題じゃないんですってばっっ!!」
 流石に、いくら美人の芽衣子さんでも、乙女の唇をそう易々と奪われるワケにはいかない。
 ここは力ずくでも押し倒そうとしてくる芽衣子さんの腕を何とか振り解こうとするものの、押さえつけられた腕は動かなかった。
『というか、意外と力が強いんですけどっ?!』
 女神の様に優しい顔を浮かべながら、狙った獲物は逃さない狩人の一面もある…って、もしかしてこれも桜庭家の血筋の証なんですか…??
 ともあれ、情け容赦も一切ないという感じが、わたしに焦りを与えていく。
「…では、どういう問題なのですか??」
 やがて吐息が伝わる程の距離になった所で、どうでも良さそうに続けてくる芽衣子さん。
「い、いえですから…もしこんな所を柚奈達に見られたりしたら…」
「……」
「…どうなると思います?」
「え…?」
「もし、私と美由利さんが抱き合いながら口付けを交わしているのを柚奈が見たら…」
「…それは…」
 どうするんだろう…?
 芽衣子さんに怒りを見せる?それとも、簡単に連れ込まれたわたしに幻滅する?
「…まさか、それが見たくて、こんな悪ふざけをしてる訳じゃないですよね??」
「……」
「…やっぱり、私達は相性がいいみたいです…」
 すると、口端を僅かに緩めながら、突然そんな事を告げてくる芽衣子さん。
「へ……??」
「ご名答です。柚奈に見せつけてやりませんか…?」
「え、ええええ…っ?!」
 そう言うと、芽衣子さんは最後に溜めていたらしき余力でぐいっと押さえ込むと、一気にわたしの唇を奪いに来た。
「……っっ」
 べ、別に柚奈以外とキスなんてイヤとか言うつもりもないけど…。
 でも、ここは何とか跳ね除けないとダメな気がするから…っっ。
「くっ、だめですってば…っ!!」
 そして、殆ど紙一重の差で、わたしは芽衣子さんの押す力を別のベクトルへと流すと…。
「……っ?!」
 芽衣子さんは、そのままわたしに弾き飛ばされる様な形で、どったんとソファーから落とされてしまった。
「あ…ご、ゴメンなさい…っ!!大丈夫ですかっ?!」
 その後、自分がやったのも棚上げして、わたしは慌てて芽衣子さんの元へ駆け寄る。
 別に投げ飛ばしたという程でも無いし、床はふわふわと心地いいカーペットが敷かれているから、怪我は無いと思うけど…。
「…美由利さん…結構、お強いんですね??」
 流石に驚いたのか、目を白黒させながらそう告げる芽衣子さん。
「あーいえ…最近、悪ふざけがエスカレートしてくる柚奈用にって覚えたんですけど…」
 護身術っていう程のモノでもないけど、柚奈と付き合うようになってから、随分とわたしのツッコミやら危機回避スキルは上昇してきているのは確かだった。
「…悪ふざけ…??柚奈が…??」
「え、ええ…いきなり抱きついてきたりとか…その…身体を触って悪戯してきたりとか…」
 それでも、まだ最後の貞操までは守っているけど。
「……」
「…そうですか。気持ちは分からなくもないですけど…」
「そんな物騒な事、言わないでくださいよぉ…」
 まったく、桜庭家の貞操観念はどうなっているんだと、親御さんに問い詰めてみたいけど…。
 あーでも、女の子相手だと数には入らないのかも。
「とにかく…。柚奈に見せつけるって、一体どういう事なんですか?」
「……。柚奈が何処まで本気なのか、確かめてみたかっただけです」
 ともあれ、危機が一段落してようやくわたしも落ち着きを取り戻した所で尋ねた質問に、芽衣子さんはまるで他人事の様にそう呟いた。
「いや、だからって何もここまでしなくても…」
 と言うか、そんな事の為に、わたしは芽衣子さんに手篭めにされようとしてたの??
「…すみません。なにぶん私は…不器用ですから…」
 それで、さすがに言葉尻に非難の感情を混ぜるわたしに、芽衣子さんは自虐気味な笑みを浮かべてそう答えた。
「……」
 うーん、そういう問題なんだろうか…??
「でも、どうして芽衣子さんはそんな事を??」
「深い意味はありません…。ただの気まぐれです」
 ううーん…。
 もしかして、芽衣子と柚奈って仲悪いの…??
「……」
『…あれ?』
 しかし、そこでふと視線に入った芽衣子さんのベッドの横に、スタンドの中に入った柚奈の写真が置かれてるのに気付く。
 …といっても、今の柚奈では無くて中学生頃だろうか。少なくとも、あれはわたしが知らない時代の柚奈の姿。
「…えっと、あそこにある写真って、昔の柚奈ですか??」
「ええ、あれは……」

ピリリリリリ

 しかし、芽衣子さんが言葉を続けようとした所で、突然携帯の音が鳴ってそれを遮断した。
 流れた着信メロディーから、柚奈の奴みたいだった。
「ありゃ、柚奈からだ…」
 噂をすればなんとやらって奴だろうか。ともあれ、折りたたみの蓋を開けて通話ボタンを押すと、柚奈はわたしが「もしもし」を告げる前に問答無用で切り出してきた。
「ねぇみゆちゃん、もしかしてまた道に迷ってるの??」
「あ、ううん。別にそんなんじゃないけど…」
「今、何処にいるの?」
「…えっと…芽衣子さんのお部屋」
 一瞬だけ躊躇った後で、わたしはそう答えた。
「お姉ちゃんの部屋?」
「う、うん。お茶に誘われてたから…」
 流石に、部屋に誘い込まれて襲われていましたとはいえないしなぁ…。
「お姉ちゃんが?どうして??」
「さぁ…わたしに聞かれても…」
 出来るものなら、わたしが本意を聞いてみたかった。
「何なら、今から迎えに行こうか?」
「あ、いいよ…もう戻る所だったから」
「んじゃ、待ってるからね〜♪うふっ」
 その「うふっ」の含み笑いに、何だかぞくっと背筋が粟立つ様な余韻を残して、柚奈は通話を終了させる。
「……」
 考えたら、ここにいるのも柚奈の部屋に戻るのも、危険度で言えば大差ないんだよね。
 まぁ、だからといって、今更他の部屋で寝るとはいえないんだけどさ。
『仕方が無い、帰ろうか…』
 さっきのは、無かったことにしてしまう事にして。
「それじゃ芽衣子さん、そろそろ帰りますね。紅茶ごちそう様でした」
「……。また、遊びに来てくださいますか?」
「あはは、もう、問答無用で押し倒してこないなら…」
 最早引き止める気はないのか、幾分寂しそうな顔を浮かべながらもそう尋ねる芽衣子さんに、わたしは苦笑いを浮かべてそう返す。
「…善処します」
「いえ、出来れば善処じゃなくて、約束して欲しいんですけど…」
 やっぱり、柚奈の姉なんだなぁ…と思わずにはいられないわたしだった。

「……ふむ」
 その後、芽衣子さんの部屋を出てからの帰り道、わたしは考え事をしながら柚奈の部屋への帰路を辿っていた。
 部屋に誘われてから、柚奈を挑発するかの様な態度に反して、ベッドのすぐ隣に置いてある写真。
 何だか相反する様な彼女の行動の意味する所は、一体何なんだろう…??
『ただ単に、芽衣子さんにからかわれたってだけなら、それはそれでいいんだけど…』
 でも、人をからかったりとかする様なタイプの人には見えなかったしなぁ…。
「……」
 柚奈の、芽衣子さんに対する微妙な態度とも併せて気にならなくも無いんだけど、果たしてわたしが必要以上に首を突っ込んでいい問題なのかどうかという躊躇いもあるし。
「まぁ、いーか…」
 相手が話そうとしない事を、こちらから無理に聞いてもロクな事にならないのは世の常だし。
 そう言えば、柚奈から姉がいる事を聞いてなかったのも、彼女が触れたがらなかったんじゃないかとか、わたしが考えても無駄に決まってるし。
「…だから、考えるなって、わたし…」

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