れるお姫様とエトランジェ Phase-2 その3


Phase-2:『お泊まり』

2-10:ぴったりと

「あー、やっぱりそーか…」
 やがて戻るべき部屋に戻り、柚奈の格好を確認すると同時に、わたしは小さく溜息を付く。
「ん?何が?」
「いや、絶対ペアルックにしてるんだろーなーと思ってさ」
 案の定、部屋で茜とトランプをしていた柚奈は、わたしとは色違いでオレンジ色のパジャマを着ていた。
「あは、それはもちろんお約束って事で♪」
 一方で、柚奈の方は嬉しそうにそう言うと、ぴったりとわたしにくっついてくる。
「な、何よ…??」
「はいはい、それじゃ茜ちゃん写真お願い〜」
 そして、自分の手とわたしの手を絡ませながらそう言うと、茜は柚奈から預かったらしいデジカメを構えてレンズをこちらに向けた。
「……へ??」

ぱしゃっっ

 次の瞬間、短いフラッシュがわたしの目を焼く。
「ち、ちょっ…」
「やっぱり〜、記念写真はお約束だよね??」
 思わず、目をぱちくりと開いて面食らうわたしに、心底嬉しそうにそう告げる柚奈。
「だからって、不意打ちは卑怯だってば…」
 なんか、随分と柚奈と密着してる絵になってる気がするんですけど…。 
「でも…完全にみゆちゃんのスキをついていたんなら、ついでにちゅーしてれば良かったかな??」
「…撮ったら、メモリーカード破壊するわよ。ついでに弁償もしないから」
「んー、次はちゅーも撮るの?いいわよ?」
「だからやんないわよっ!!」
 そして、ごく当たり前の様な顔でカメラを構える茜に、力いっぱい突っ込むわたし。
「えー、せっかく茜ちゃんはいいって言ってるのに…」
「茜じゃなくて、いいかどうか決めるのはわたしなのっっ」
「みゆちゃん、そんな私とちゅーするのイヤ…??」
「まぁ少なくとも、カメラの前ではね」
「じゃあー」
「…同じ手が何度も通用すると思わないでよね」
 おそらく、「カメラの前でなきゃいいんだ」と続けようとしたと思われる所で、わたしは先手を打って釘を刺してやった。
 …さすがに、そこまでニブくないもん。
「むぅ〜っ、みゆちゃんのいけずぅ…」
「そもそも、力技で押しすぎなの。あんたにしても、芽衣子さんにしても…」
 まぁ、お金持ちのお嬢様らしいと言えばそうなのかもしれないけど。
 …いや、さすがにこれは偏見か。
「お姉ちゃんも…??」
「あ、いや…」
 そこでついポロリとこぼれた芽衣子さんの言葉に「しまった」と後悔しながらも、わたしは咳払いをしてお茶を濁す。
「…あーそれより、このふりふり全開なのは柚奈の趣味なの?」
「うん。みゆちゃんも嫌いじゃないみたいだし」
「いや、まぁ確かに嫌いじゃないけど…」
 人前で少女趣味丸出しのふりふりパジャマというのは、どーにも気恥ずかしいとゆーか。
 やっぱりこういうモノは、鏡の前でこっそりと着るに限ると思うのですよ。
「それとも、別なのが良かった?」
「…ううん、すけすけでひらひらなベビードールとか出されなかっただけマシだろうから」
 とは言え、相手が柚奈だとこういう落とし穴があるだけに、露出度が低いだけマシとするのが妥当な線なんだろーけどね。
「あは。そういうのもあるよ?ペアで着てみる?」
「そんなの出されても、絶対着なかったからねっっ!!」
「う〜っ、みゆちゃんノリが悪い…」
「もう…人を着せ替え人形にして遊ばないの」
「ん〜、でも好きな女の子に色んな服を着せて写真を撮ったり、うっとりしたり、襲っちゃったりするのは基本じゃない?」
「あのね…」
 しかも、着せ替えだけでは開き足らず、襲いかかるという後付け展開もありですか。
「……」
「…何よ?」
「うんにゃ、別にぃ」
 そこで、何か物言いたげな顔でこちらを見る茜に反応するが、茜はニヤニヤしながら首を振るだけだった。
「むぅ、気になるなぁ…」
「だって…みゆ、あんたちゃんと自分の寝間着持ってきてるんでしょ?」
「いや、まぁそうだけど…」
「何だかんだ言って、ちゃんと着てる所が可愛いなぁって思ってさ」
「……」
 別に他意はなくて、人の好意を踏みにじれないだけだってば。
「つまり、みゆちゃんは何だかんだ言っても私の事を好きでいてくれるんだよね〜♪」
 しかし、柚奈はわたしの愛情と解釈したのか、嬉しそうに声を弾ませて飛びついてくる。
「ここここらぁっっ、勝手に勘違いすんな抱きつくなあっっ!!」
「ま、自業自得じゃない?」
「うう…っっ」
 やっぱり、自分の主体性の無さがこういう展開を招いているのかなぁ…??

「ところでさっきから気になっていたんだけど、わたし達のお布団は??」
 そんなやりとりも一段落した頃、ふと部屋を見回した時、わたしはお風呂に入る前と部屋の風景に何も変化が無い事に気付く。
 そろそろいい時間だから、寝る準備をしておいてもいいと思うけど…。
「私達の愛の巣は、あそこだけど?」
 そう言って、柚奈は自分のベッドを指差す。
「はいはい、冗談はいいから…」
「んー、無いよ?だって、私のベッドで3人寝られるし」
「んな…っ?!」
「まぁ、確かにこれだけ広いと大丈夫っぽいね」
 いや、そりゃ面積的にはそれ程問題があるとは思わないけど。
 問題はそうじゃなくて…。
「って事で、はいはいご案内〜っ♪」
「え、ちょ、ちょっと…っ?!」
「まぁまぁ、いーから」
 そして、わたしは2人に引っ張り込まれる様にして、ベッドの中へと連れ込まれてしまった。
『こ、これってもしかしてピンチ…??』
 いや、もしかしなくても、誰がどう見てもピンチな気がする。
「…んで、どうしてわたしが真ん中なの…??」
「もちろん、逃げ場がない…もとい、寝ている間に落ちたりしない様に…ってね」
「……」
 もしかして、アリ地獄にハマったアリさんですか、わたしは??
 しかも、左右にダブルで逃げ道ナッシング状態だし。
「さて、ここで告白大会〜っ♪」
 そんなわたしの焦りに構わず、妙に明るい声でそう宣言する柚奈。
「…なによ、布団を被りながら好きな人の告白でもしようっての?」
 一応、パジャマパーティのお約束ではあるけど、ちょっと今更過ぎない??
「それじゃ、お題はみゆちゃんにしてみたい、ちょっとえっちなイタズラで♪」
「こらーーーーっっ!!」
 よりによって、なんて物騒な話題を…っっ!!
「それじゃ、茜ちゃんからね?」
「んーっと、そうねぇ、あたしはぁ…」
「茜も乗るんじゃないっっ!!」
「ちなみに、みゆちゃんはされてみたいイタズラを言ってね(はぁと)?」
「んなもの、ある訳ないでしょーがっっ!!」
「やっぱり、両手を拘束したりして、抵抗できないようしてから悪戯しまくるってのがオツよねぇ」
「ついでに目隠しでもしちゃったりして〜♪」
「こらこらこら…っっ!!」
 せめてもの抵抗に全力でツッコミまくるわたしに対し、きゃぴきゃぴと楽しそうにとんでもない事を口走り続ける柚奈達。
「まったく…って、ちょっと待て柚奈。どうしてリボンなんて持ってるのよ??」
「んー?寝る前に結んでおこうと思って」
「普通は逆でしょうが…っっ」
 そもそも、いつもロングストレートなくせにっっ。
「やっぱり、安眠にはアイマスクだよねー?」
 その一方で、ワザとらしい程に棒読みでアイマスクを取り出す茜。
「あ、あんたら〜っっ!!」
「まぁまぁ…みゆちゃん落ち着いて」
「そうそう。考えすぎだってば」
 そして、左右からステレオで同時に、「うふふふふ」と不気味な笑い声が耳に届く。
『…こっ、怖い…っっ(汗)』
 ああ、お母さんゴメンなさい。もしかすると美由利は汚れてしまうかもしれません。
「それで、今度はみゆちゃんの番だよ?」
「え…?わたし…っ?!」
「そうそう。あたし達にされてみたい悪戯を答えて?」
「……」
 えーっと…。
「…放置プレイ…というのはダメ?」
「却下」
「却下よね?」
 殆ど間伐入れず、再びステレオで短くも非情な言葉が返ってくる。
「うう…っっ」
 もうすっかりとパジャマに着替えてしまってるし、このまま逃げ出して帰るって選択肢はやっぱり出ないんだろうなぁ…。
『えっと、システムメニューとロードのコマンドはどこだっけ…??』
 人生はリアルタイムセーブですか。そーですか。
「ほらほら、例えばの話なんだから、そう固くならずに」
「緊張してるって事は、期待してるって事の裏返しと受け止めちゃうわよ?」
 そんな台詞と共に、茜の手がわたしの太股にさわっと触れる。
「きゃああああああっっ!!」
 その瞬間、わたしは大声と共に飛び起きると、ソファーまで逃げ込んで身構えた。
「あはははは。もう、冗談だよ冗談。あんまりみゆが怯えるからさぁ…」
「もう、みゆちゃん警戒しすぎ〜♪」
「う〜〜っっ」

こんこんっっ

「お嬢様…今、部屋の外まで悲鳴が聞こえましたが、何かありましたか?」
 それから程なくして、部屋をノックする音と共に何事かと芹沢さんが入ってくる。
「大丈夫、大丈夫。ちょっとみゆちゃんがはしゃぎ過ぎてるだけだから♪」
「もう、ダメじゃないみゆ。大声なんか出すから近所迷惑になってるでしょ?」
「あ、あんたらねぇ…っっ」
 一体、誰の所為であげた悲鳴だと思ってんのよぉ…っっ。
「…そうですか?でしたら、別に構わないのですが…」
「あはは、心配かけてゴメンねぇ栞ちゃん」
「いえ…ではごゆっくり…」
 そう言って、ソファーの上で小動物の様に身構えるわたしの方をちらりと一瞥すると、そのままぺこりと一礼して立ち去ってしまった。

ぱたん

「あ…っ、あの……っっ」
 そこで、わたしは慌てて芹沢さんに助け船を求めようとするが、何と言えばいいかとっさに思いつかずに、結局言葉にはならなかったり。
「…う〜っ…」
「ほらほら、もう夜も遅くなってきてるんだから、あんまり騒いじゃダメよ、みーゆ?」
 その後、茜から子供をあやす様な口調で追い打ちが入る。
「…元はと言えば、あんたが触ってきたりするからでしょーがっっ」
「だって、今回はあたしだけ蚊帳の外って感じなんだもん。さっきはお風呂で柚奈と随分お楽しみだったみたいだしさ」
 そう言って、やれやれと肩を竦める茜。
「ええ…っ?!ゆ、柚奈…あんたもしかして、部屋に戻ってさっきの事を茜にペラペラと…」
「んーん。私、何にも言ってないよ??」
「え……??」
「ほほう。やっぱり人には言えない様なコトしてたんだ?」
 しまった。カマをかけられたのかと気付いた時にはもう遅い。
 既に、茜の口元はニヤリとイヤらしく歪んでいた。
「ちっ、違うの…っっ!!別にそこまでやましいコトしてた訳じゃなくて…っっ」
「…はいはい、弁明はこちらで聞きましょうか?」
「わ、わわわ…っっ??」
 そして、慌てて誤魔化そうと茜に不用意に近づいた所で、ぐいっと強引に腕を引っ張られて再びベッドの中央へと引き戻されてしまうわたし。
「みゆちゃん、お帰り〜♪」
「あ…あう…っっ」
 更に柚奈にも満面の笑みで迎えられ、こうしてわたしは再びまな板の鯉に。
「まったくもう…。本当はあたしもみゆと一緒にお風呂に入りたかったのに、2人して邪魔者扱いするんだから」
「べ、別にわたしはそういうつもりじゃなかったってば…」
 柚奈と一緒に入るのを避けたかっただけで、別に茜と入るのは構わなかったんだけど…。
「はぁ…。せっかくさっき気になる事を聞いたし、確認してみたかったのになぁ…」
「気になる事…??」
「毛が生え揃っているとか、無いとか」
「う゛…っっ、それは…」
 …やっぱり、一緒に入らなくて正解だったかも。
「えー?みゆちゃん、もしかして生えてないの??」
「あんたは黙ってなさい、柚奈」
 余計に話がややこしくなるでしょうがっっ。
「ありゃ、確認できなかったの、柚奈?」
「うん。だって、みゆちゃん水着着たりして、妙にガード固かったし」
「え〜っ?みゆったらそんな邪道なマネを??」
「悪かったわね…」
 わたしだって邪道だとは思うけど、女狼が2人も側にいるんだから仕方が無いじゃない。
「むぅ〜っ、そうと分かってたら、何とかして全部脱がせるんだったんだけど…」
「冗談じゃないってのっっ」
「…んじゃ、ちょうどいいから、この場で確認させてよ?」
 そこで突然そう言い出すと、茜は素早くわたしのパジャマのスボンに手を伸ばしてくる。
「きゃああああああっっ?!」
 …そして2度目の悲鳴の後で、わたしは再びベッドを飛び出してソファーへと立てこもった。
「あはははは…冗談よ、冗談。ホントにからかうと楽しいんだから」
「ううううう〜っ、わたしには全然冗談には見えないんですけど…っっ」
 そんなわたしの反応を見て、お腹を抱えながら笑い転げる茜に、精一杯の顔で睨み付ける。
「まぁ実際、冗談でも本気でもどっちでも良かったんだけどね?」
「だあーーっっ、わたし、やっぱりここで寝るっっ、でなきゃ帰るっっ」
 朝起きたら床に転がっていそうだけど、それでも全然マシな気がするし。
「あはは…悪かったってば。もうしないから…ね?」
「…う〜っっ、笑いすぎて涙を拭いてる人に言われても、信用できませんってば」
 すっかり、いじめっこといじめられっこの構図になってしまっているこの状態では、その程度の言葉で警戒心を解くワケにいかないのであって。
「まぁまぁ、昔から言うじゃない?好きな子にはつい意地悪しちゃうってね…?」
「そんなの、方便だもん…」
 というか、わたしは優しい人の方がいいです、はい。
 …あと、隙あらば脱がせたり、襲ってこない人と。
「もう、茜ちゃんちょっとからかい過ぎー」
 すると、意外にもそこで柚奈から諭すような台詞が茜に飛んでいく。
『柚奈…??』
 もちろん、あんたが言えた立場かと思いっきりツッコミを入れたいのは山々だけど、あまりに意外だったので言葉には出なかった。
「ごめんごめん。もうこれでやめとくから」
「……」
 謝るなら柚奈にじゃなくて、まずわたしに謝ってよね…。
「って事でみゆちゃん、茜ちゃんはもう意地悪しないって言ってるから大丈夫だよ〜?」
「…あんたはどーなのよ、柚奈?」
「ん〜、多分大丈夫」
「……」
 多分ってのが随分と不安な響きではあるけど、そう告げる柚奈の顔は、何故か信用できそうに見えた。
「本当でしょうね…??」
「大丈夫だってば。本当はただ、みゆちゃんと一緒に眠りたいだけだから」
「……」
 良く分からないけど、まぁ本当にそう思ってるなら…。
「…まぁ、変なコトしないならいいけどね…」
 ともあれ、わたしは渋々と立ち上がると、再びまな板…もとい、ベッドの方へと戻っていく。
「うんっ♪」
「くっくっくっくっ」
「…何が可笑しいのよ、茜」
 そこで、また楽しそうに笑い始める茜に、ジト目を向けて尋ねるわたし。
「いや、あんたらってホントに見飽きないなぁって」
「……」
 …重ね重ね、悪かったわね。
「お帰り〜、みゆちゃん♪」
「…ちょっと、いきなり接近しすぎ…」
 そして、2度目のお帰りを告げられたかと思うと、柚奈はわたしの身体にべったりと張り付いてくる。
 …さしずめ、わたしは柚奈の抱き枕かという状態だった。
「あは。いいじゃない♪朝晩はまだまだ冷えるんだし」
「そういう問題かなぁ…??」
 ふわふわと心地のいい暖かな布団もあるし、空冷設備も完璧な気がするんだけど。
「そういう問題なの…それじゃ、おやすみなさーい…」
 しかし、柚奈はきっぱりとそう告げると、そのまま目を閉じてしまった。
「え…??ホントにもう寝るの…??」
「ん…だって、今夜はとっても良い夢見られそうだから…」
「……」
 わたしは、どうなんだろうね…??わたしも良い夢、見られるのかな…?
 まぁいいか…そういう事なら、わたしも眠ってしまおうかな…。
「……」
「……」
 しかしそんな気持ちとは裏腹に、それからしばらくしてもわたしの目は冴えたままだった。
 まぁ、未だに残っている警戒心が、なかなかスリープモードにさせないんだろうけど。
「ね、柚奈…」
「…すぅ…すぅ…」
 試しに呼びかけてみるものの、柚奈は既に可愛い寝息を立てながら、一足先に夢の世界へ旅立ってしまっている様だった。
『…んじゃ、寝ているのをワザワザ起こすのも悪いわね』
 それに、寝てる間は悪戯もされないだろうし。
「…茜は、起きてるの?」
「んー、一応ね…」
 そこで、柚奈を起こさないようにヒソヒソ声で対岸にいる茜に声をかけると、欠伸混じりの返事が返ってくる。
 …どうやら、茜ももうすぐ眠ってしまいそうだった。
「んじゃ、後は茜が眠ってくれたら、わたしも安心して眠れるわけだ…」
「んー、分からないわよ?みゆが眠った後で、わたし達の方の目が覚めるかもしれないし」
「……」
 やっぱり、一晩中起きておいた方がいいのかな。
「…ね、みゆ。今日、柚奈のピアノを聞いている時にあたしが言った台詞、覚えてる?」
「え…??沢山有りすぎて、どれの事やら…」
 そこで不意に茜から向けられた質問に、わたしはぼんやりと答える。
「…柚奈はあたしじゃなくて、みゆの様な存在が必要なんだと思うって台詞。あれ、きっと間違いじゃないから…」
「……」
「勝手な言いぐさなのは分かってるけど…今の柚奈を受け止めてあげられるのは、多分みゆだけだから…」
「…そうなのかな…?」
 本音を言えば、未だにその根拠はイマイチ良く分からないんだけど…。
「いずれ分かると思うわよ…まぁ、その時どうするかはお任せだけどね」
「……」
「みゆちゃん…ずっとこうしていたいよ…」
『柚奈…?』
「…すぅ…すぅ…」
『寝言か…』
 良い夢って…もしかして、夢の中でまでわたしのコトを見ているの、柚奈…?
「……」
『ホントに一途だよね…』
 勿論、それ故にわたしとしては厄介なんだけど。
 …でも、だからこそ時々こうしてわたしの警戒心も解きほぐされてしまう。結局、何だかんだ言ってわたしは柚奈を受け入れているという事も最近は自覚出来ていた。
 それは、何となく腹立たしい様で、それでいて癒されている様で。
「……」
 そんな事を考えながら、張り付く様に重なってきている柚奈の背中にそっと手を回して受け止めると、彼女の体温がより身近に伝わってくる。
 先程のお風呂の時は分かりにくかったけど、今はパジャマ越しでも柚奈の温もりがはっきりと感じられていた。
『…やっぱり、柔らかくて気持ちいい…』
 改めて柚奈の感触を確かめながら、その心地よさに口元が緩んでしまうわたし。
 それは、暖かくて柔らかくて、強く抱きしめたら壊れちゃいそうな位細くて…。
『もし、わたしが拒否したら…他の人のものになっちゃうんだよね…』
 …って、何を独占欲まで芽生えさせてるんだ、わたしは。
「…ね、みゆちゃん…?」
 そんな時、ボソリとわたしの耳元で柚奈が呟く。
「ん…?」
「…やっぱり、このまま襲っちゃってもいい?」
「……」
「やっぱりかーーえーーるーーっっ!!」
「いやーん、冗談なのにぃ」
「あーもう、あたしは寝るから好きにやっとくれ…」
 結局はこーなったりして。

2-11:因果律

「…みゆちゃん、みゆちゃん起きて…?」
「う、うーん…?」
「…あ、柚奈…?」
 気付いた時は、柚奈の顔がすぐ間近にあった。
 薄いカーテン越しに、朝日が部屋に差し込み、既に夜が明けている事に気付く。
「わたし…寝てた…?」
「寝てた寝てた。もうぐっすりと」
「うう…っっ、出来る限り起きていようと思ったのに…」
 最初は寝付けなかったものの、結局柚奈や茜、そして芽衣子さんに散々振り回されて、疲れていたのかもしれない。
 …いやまぁ、柚奈も気持ちよさそうに寝ていたから、油断があったのも確かなんだけど。
「……」
 その後、じーっと自分の衣服を見回してみるわたし。
 …どうやら、衣服が乱れた形跡は無いみたいだけど。
「もう、心配しなくても大丈夫だってば」
 それを見て、苦笑いを浮かべながらそう告げる柚奈。
「いや、まぁ一応…」
「眠り込んだみゆちゃんに悪戯しても、面白み半減だし…」
「そもそも、仮に何かあったとしても、今更慌てたところでどうしようもないしねぇ?」
「ねー?」
 その後で、柚奈と茜で息ぴったりといった感じで頷き合う2人。
「え゛っ、え゛え゛…っ?!」
「うふふ、冗談よん♪」
「…そーいう冗談は、心臓に悪過ぎなんだってば」
 本当に何もされてないんでしょーね、ええ???
「実はね、ちょっと位は悪戯しちゃおうかなーとか思ってたんだけど…気持ち良さそうに眠るみゆちゃんの寝顔が、あんまりにも可愛いかったから…」
「ついつい寝顔観察の方に切り替えた…と」
「うう〜っ…ずっと寝顔見られてたのね…」
 柚奈達に密着されながら、ぐっすりと眠り込んでしまったわたしって…。
「……」
 でもまぁ、確かに密着していた柚奈の感触、温かくて気持ちよかったし…。
 そう考えると、そんなに悪くはない寝心地ではあったんだけど。
「それに、安心しきった顔で眠っているのが、ちょっと嬉しかったから♪」
「…あんたが変なコトしないって約束してくれるなら、もっとぐっすり眠れたんだけどねぇ」
「あ、それは無理〜」
「即答すんな…っっ!!」
 …前言撤回。

 その後、私服に着替えた後で芹沢さんに案内されて食堂に行くと、小柄だが上品な顔立ちをした綺麗な中年女性が一人上座に座って待っていた。
 そう言えば、昨晩に朝食は一緒に食べようと言われたし、彼女が柚奈の…。
「あ、おはようお母さん」
 そして、そんなにわたしのモノローグを続ける様にして、柚奈が目の前を母と呼んで。
「…おはよう、柚奈。それに…」
「ご無沙汰してます、おばさん」
「あら、茜ちゃんいらっしゃい」
 …なるほど。やっぱりこの人が柚奈の母上らしい。
「それで、こちらがマイハニーのみゆちゃん♪」
 そう言って、ぎゅっとわたしの腕に抱きつきながらそう告げる柚奈。
「誰がマイハニーだっっ」
「ふふ…はじめまして。私が柚奈の母の、桜庭小百合(さゆり)です。いつも娘がお世話になっております」
 しかし、そんな柚奈の紹介に微笑ましそうな笑みを浮かべると、自分の名を名乗りながらぺこりとお辞儀をしてくる。
「あ、いえこちらこそ。姫宮美由利です…どうも…」
 意外な事に、柚奈や芽衣子さんとは違った小柄で童顔な外見なのだが、それでも、その目に見据えられると何処か威厳や迫力の様な物を感じさせていた。
『あー、柚奈達の母親だなぁ…』
 それを見て、何か妙に納得させられてしまう。
 柚奈も、いつもニコニコしている様でイザという時の押しの強さはかなりのものだし。その姉の芽衣子さんも、言わずもがな。
 まぁこの人の場合、女手1つで柚奈や芽衣子さんを育てる傍らで、複数の企業のオーナーも兼任しているって話だし…。
『ん……?』
 いや、そんな事より…。
「さゆり…さん?」
「ええ、小さな百合の花でさゆりさんです」
 そこで、何かが引っ掛かってぼそりと反芻するわたしに、気品に溢れる表情でにっこりと笑う。
「……」
 まさか…ね。
 わたしはその時、先日にお母さんから聞いた名前を思い出していた。
『その子ね、小百合(さゆり)ちゃんって言う名前だったけど可愛かったわよぉ。園児服とか買ってきて着せたりすると、ほっぺた膨らませながら真っ赤になって恥ずかしがったりして』
 …いや、それはいくらなんでも…。
 でも、確かに柚奈のお母さんなら年代的には一致するし、外見的特長も…。
「どうしたの、みゆちゃん??」
 そこで思わず顎に手をやって考え込むわたしに、柚奈がきょとんとした顔で覗き込んでくる。
「あー、いや。ちょっと…」
 突然わたしの意識に流れ込んでくる、あまりに都合よく出来すぎた推測。
「……???」
「あの…つかぬ事をお聞きしますが、もしかして小百合さんもわたし達と同じ学園出身…ですか?」
 そして、わたしは思わず小百合さんにそう尋ねていた。
「ええ、よく知ってますね?」
 えっと…。
「すご〜い、私話してないのに、みゆちゃんどうして知ってるの?」
「いや、えっとね…」
 推測が確信に近づいていくにつれ、段々と嫌な予感がしてくる。
「それじゃ、ひょっとして美咲 春奈(みさき はるな)って人と知り合い…なんかじゃなかったですか??」
 ちなみに、美咲はお母さんの旧姓。
 どうやらわたしと違って、その名の通りに随分と美しく咲いたみたいだけど。
「…え…? どうしてそれを?」
 その名前を聞いた時、小百合さんは今までと比べて明らかに動揺を見せた態度でわたしの目を見据える。
『うわ、もしかしてビンゴっっ?!』
 …しまった。聞くんじゃなかったと、ここで後悔の念が芽生えるものの、ここまで来て何でもなかったというわけにはいかなかった。
「いや、その…実はその春奈は、わたしの母でして…」
「ええ…っ?!」
 ややばつが悪そうにそう告げた瞬間、小百合さんはがたんっと派手な音を立てて自分の席から立ち上がり、真剣な表情と共にわたしのもとへと密着してきた。
『ひいっ…?!』
「まぁ、まぁまぁまぁ…」
 そして、ワナワナと手を震わせながらわたしの顔に触れる。
 それは、今まで特有の余裕ある物腰を崩さない今までの態度とは、明らかに異なるものだった。
「あ、貴女が…春奈の…?」
「え、ええ…恥ずかしながら…」
「……」
「…その割には、あんまり似てないですね…?」

ぴしっ

「ええ、まぁ…。何でも、小百合さん似らしいのでわたしは」
 そこで私は口元をヒクつかせながら、皮肉をたっぷりと込めてそう答えてやった。
「そうね…柚奈は春奈に似て育ってくれたし…」
 しかし、当の小百合さんは特に気にする様子も無く、独り言の様にそう呟く。
「……」
 …やっぱりそうか。柚奈の名前もお母さんの名前が元になっているのか。
「…でも、確かに貴女からは春奈の匂いを感じる…」

ぎゅっ

 その後、震える声でそう呟くと、小百合さんはわたしを強く抱きしめた。
「さ、小百合さん…っ?」
「あ、お母さんずるい〜っっ」
「春奈…」
 そして、ほろほろと涙を零しながら母の名を呟く。
「小百合さん…」
 …やっぱり、小百合さんもお母さんの事…?
『…いや。それより…』
 その涙は、何処に向かっているんですか…小百合さん…??
 それが気になったものの、しかしここでわたしにはどうしても聞く事が出来ず、ただ棒の様に立ち尽くしながら小百合さんの身体を受け止めていた。
「……」

「んで、結局どういう事なの?」
 帰り道、わたしは一緒に帰路を歩いていた茜に、先ほどの小百合さんとの事を尋ねられる。
 あれから小百合さんに事情を聞けないまま、何処か気まずい雰囲気の中で朝食が続き、それから今に至っている訳だったりして。
「つまり、わたしのお母さんと、柚奈のお母さんは昔の知り合い…というか、うちのお母さんの話だとラブラブ状態だったみたい」
 とりあえず、先程の小百合さんの態度を見れば、母上の独りよがりという事も無さそうだった。
「今のみゆと柚奈の様に?」
「うん、そう…って、違うでしょっ!!」
「あははは。…でもそれなら、どうして今まで気付かなかったのかな?」
「そんなの、こっちが聞きたい位だよ。それに、わたしの姿を見て涙が出る程の理由って…」
 今はお互い結婚している身としても、その頃の仲が継続しているなら、うちが引っ越す時に連絡くらいはあったはずだし。
「ともあれ、親の世代の熱々カップルが、世代を越えて再び出逢ったって訳ね。なかなかロマンチックじゃない?」
「…ん〜、なんだかなぁ…」
「あら、不満なの??」
「何ていうか、相変わらず偶然にしては出来すぎって言うか、えらく作為的なものを感じるって言うか…」
 偶然も二度、三度と続けば奇跡を越えて喜劇になるものであって。
「そう言うのを、なんて言うか知ってる?」
「え…?」
「世間一般では、”運命の出逢い”っていうのよ。それを」
「が〜〜〜ん…」
 茜にそう告げられた瞬間、わたしの頭上に文字通り何かが落ちてきた感覚がわたしを襲った。
「……くっっ」
「こりゃもう、諦めて運命に従うしか無いんじゃない?」
「…ま、負けるもんか…絶対柚奈の思い通りになんて…」
 その後、がっくりとうな垂れた重い頭を必死で上げながらそう呟く。
「あっはっは。それじゃ、まぁ精々あがいて見せてよ?きっと、あんた達の小指には運命の赤い糸が結ばれてるだろうけど」
「うう…っっ」
 神様、もしくは愛のキューピッド様。もしかしてわたしに恨みでもありますか??

2-12:赤い糸

「そう。桜庭さんのお母さんが、さゆちゃんだったの…」
 帰宅した後の夕食時、わたしが今朝の事を報告すると、お母さんは幾分複雑そうな表情を浮かべながら小さく頷いてきた。
「うん…小百合さん、全然知らなかったみたいだけど、お母さんも知らなかったの…?」
「…なるほどね。今じゃ、桜庭小百合…ちゃんか」
 わたしの台詞が聞こえているのかいないのか、質問に対する答えの代わりに、ぼんやりとそんなこ事をそう呟くお母さん。
「お母さん…??」
「まぁ、私も今じゃ美咲じゃなくて、姫宮春奈だし…ね」
「……」
「ね、お母さん。昔小百合さんと何かあったの…?」
 少し遠慮がちに、わたしはそう尋ねてみる。
 わたしを抱きしめて流した小百合さんの涙は、歓喜よりも悲しみに感じられてしまったのが、どうしてもわたしの中で引っかかっていた。
「…ん…そうね…」
「……」
 しかし、そこでお母さんは曖昧な相槌を返すだけで、黙々と食事を続けていく。
「でも、せっかくだし、今度会ってみたら?」
 いや、流石に昔の恋人時代に戻ると言われても色々と困るけどさ。一応、今の我が家は円満なんだから。
「…そうね…」
 しかし、更にそう続けたわたしの台詞に、生返事を続けるお母さん。
「……」
 一体、どういう事なんだろう…??
「…ね、美由利ちゃん。美由利ちゃんは、桜庭さんの事は好き?」
 そんな母の反応に、わたしの頭の中で色々と思考というか妄想が浮かんできていた所へ、ふとそんな質問を向けられる。
 …と言うか、これでこの質問をわたしに向けてきたのは4人目だけど。
「それって、どういう意味で…?」
 友達って意味なら肯定するしか無いし、そうでないなら即答はしにくい所ではある。
「ううん…まぁ、関係無いわよね。あなた達はあなた達だし」
「…何か、妙に気になる言い回しなんだけど、それ」
「ふふ…気にしないで。でも、もしかしたら赤い糸でも結ばれているのかもね…?」
「赤い糸…ねぇ」
 茜に続いて、お母さんからも引き合いとして出されてしまうその言葉。
 運命の赤い糸。人は生まれた時から結ばれるべき運命の相手と小指と小指を赤い糸で結ばれて、いつしか出会うという言い伝え。
 だから、一生懸命生きていれば、いつか運命に導かれて各々に相応しい未来がきっとやってくるという、所謂「人事を尽くして天命を待て」と似た様な意味にもなってくるんだけど…。
「お母さん、わたしと柚奈の小指に赤い糸が結ばれていると思う?」
「…ううん。私とさゆちゃんに…かな」
 そんなわたしの問いかけに、お母さんは微笑を浮かべながらそう答えた。
「……」
 この世に起こりうる全ての物事には因果が存在する。…つまり、赤い糸が実在して誰かと結ばれるにしても、必ずその理由は存在するはずだった。
「何か気になる言い方だなぁ……ね、お母さんと小百合さんの間に何があったの?」
「……。多分、聞かない方がいいと思うわよ?」
「あ、まぁ…言いたくないなら別にいいんだけどね」
「そうじゃなくて…縛られて欲しくないから。きっと、さゆちゃんも同じだと思う」
「お母さん…」
 もしかして、わたしと柚奈が出逢ったのは、その因果の果てにと考えてるんだろうか。
「……ね、美由利ちゃん?」
「え、何…??」
「……」
 しかし、そこでお母さんは何かを言おうと口を開いた所で、思いとどまった様に押し黙ってしまった。
「どうしたの?」
「…大切なのは、その刹那で後悔しない事。結末は全て運命の導かれるままだから…」
 そしてその後、ぼんやりと視線を中空へと向けたままで呟く。
「へ……??」
「これはね。昔、お母さんと小百合ちゃんとで決めていた約束事。結局は何事もやっちゃった者勝ちだから。結末を怨んでも、その過程に後悔がなければ、後は運命と思って諦めるしかない。なかなかシンプルでいいでしょ?」
「…それって、柚奈の事を焚き付けてるの?」
 一体お母さんは何が言いたいんだろうと、頭の中でクエスチョンマークをグルグルと輪廻させながら尋ね返す。
「世の中、過程はともかく結果が全てと言われてるけど、人の心は全く逆なの。過程で後悔が残れば、どんな結果になったとしても心に消えない染みを残してしまうから」
「……」
「…つまり、後々の結果を考えすぎて悔いを残してしまわない様に、今は自らの心のままに行動しなさいって事」
「それって、勉強も…?」
「勉強は別。別にいい成績を取れとは言わないけど、しっかり頑張りなさいね?」
 そこで、便乗するかの様にそう付け加えるわたしに、きっぱりとそう言い放つお母様。
「…へいへい。んじゃ試験も近いし勉強しますかね」
「そう言えば桜庭さんって、学年トップなんでしょ?迷惑じゃなかったら泊まりこみで家庭教師をしてもらったら?」
 そう言って、投げやりに肩を竦めながらテーブルを立つわたしに、ニヤリとした視線を向けてそうのたまう母上。
「い、いやそれは…」
「美由利ちゃんが頼み辛いなら、お母さんが頼んであげようか?」
「頑張ります。ちょお頑張ります…っっ」
 そんな脅迫に近い申し出に、わたしは背筋をびしっと正すと、食器を片付けるのもそこそこに自分の部屋へと駆け戻っていった。
「……」
 …いやまぁ、確かに柚奈に学年トップクラスまで行きたいとか頼んだら、おそらく自分の持てる力の全てを出して…あるいは自分を犠牲にしてでもなんとかしようとしてくれるんだろうけど。
 わたしの方が、それ相応の代償を差し出す踏ん切りがつかない。
 …いや、代償とか迷惑だとか、そういう気遣いがあるうちはやっぱり迂闊な事は言えないし。

パタン

「さて…と…」
 まぁ、何はともあれ…。
「…後々の事を考えすぎて、悔いを残してしまわない様に…か」
 むしろ、柚奈を見ていたら将来が心配で仕方が無くなるんだけど。
「まぁ何はともあれ、当面の問題を心配しますか…」
 そもそも、柚奈達のお陰で早く馴染んで忘れがちだけど、わたしは転校生の身だし。
 やっぱり少しは注目も浴びているだろうから、いきなり汚点を残すわけにもいかない。

ピリリリリリ

「あれ??」
 そんなワケで、やっぱり少しくらいは勉強しておくかと机に座った所へ、柚奈用にセットした携帯の着信メロディーが入る。
「…ったく、いいタイミングで…」
「……」
「……」
 せっかく勉強する気も起きたので、悪いけど居留守を決め込んでしまおうとするものの、一向に諦める気配は無かった。
「……」
「…ああもう…っ!!」
「やっほー、みゆちゃん無事に帰れた?」
 そして根負けとばかりに、渋々と充電器に載せていた携帯電話を手にとって通話モードにすると、聞き慣れた甘ったるい声が私の耳を擽る。
「…あんたね。どうして人が勉強しようと気合を入れた所でかけてくんのよ?」
 しかも、ワザワザ答えるのも阿呆らしい位のしょーもない用事だし。
「ありゃ、勉強中だったの?ごめーん」
 いかにも不満げにそう言ってやると、意外そうな声でそう答える柚奈。
「もう…お陰ですっかりと勢いが消えかかったじゃない。どう落とし前をつけてくれるのかしら?」
 何となくそんな柚奈の声色にカチンときたわたしは、恨みがましくそう切り返してやる。
 本当は、1時間も持たない勢いだろうから、殆ど影響はないんだけど。
「大丈夫。ちゃんと責任はとってあげるし」
「責任って?」
「んー、みゆちゃんが落第しちゃったら、私も付き合ってあげる♪」
「……」
 一体何処まで前向きなんだ、あんたは。
「…付き合うって、学年トップの秀才が何をおっしゃるのやら」
「私の学力は私だけのものだもん。それをどう使おうが自由でしょ??」
「…まぁ、それはそーなんだけど」
「それとも、みゆちゃんは迷惑…?」
「あ、いや…そういう事じゃなくて…」
 多分ここで、迷惑と突き放してやれないわたしは、やっぱり思いやりが足りないんだろーなーと思いながら、曖昧な言葉でお茶を濁す。
「なら、私は全然問題なっしんぐだよん♪そもそも、学力の順位なんてどーでもいいし」
「……」
 本当に、柚奈はわたしといる時間を少しでも多くという事に全てを費やすつもりなんだろうか。
「そう言えば柚奈…この前の進路調査でわたしの志望校聞いていたけど…本当にわたしについて来るの??」
「え?どーして??」
「ど、どうしてって…」
 そんなに、心底心外そうな口調で尋ね返されても、わたしの方が困るんですけど。
「…と言うか、柚奈ってわたしに自分のレベルまで上がって来いって言わないよね?」
「だって…みゆちゃんが勉強の虫になっちゃったら、一緒に遊ぶ時間が減るし」
「……」
 全く、こいつの行動原理は…。
 そんな事言われると、何だか逆に責任感を感じてしまったりして。
「みゆちゃんに目標があって、そのために頑張るっていうなら付き合うけどね〜」
「…あんたはどうなのよ?将来の展望とか」
「私は…今が楽しければいいかなって。みゆちゃんと出逢ってからの毎日が本当に楽しいから、それだけでいいよ。後はどうにでもなるだろうし」
「そんな事言って、後で後悔しても知らないからね…?」
「ううん…きっとそんな未来、所詮は私にとって儚い幻でしかないから」
 半分ヤケ気味にそう吐き捨てるわたしに、柚奈は真っ直ぐそれを受け止めてそうのたまう。
 こんな台詞を担任の先生が聞いたら、また職員室に呼ばれて泣きを入れられそうだけど。
「…何だか、わたしには優等生の余裕にも聞こえるんだけどさ」
「別に、努力しないって訳でも無いんだよ?今の成績だから文句言われないんだし」
「いや、それはそうかもしれないけど…」
「まぁまぁ。はっきりと定まってもいないのに、無理して目標意識なんて持っても仕方が無いから。自分で今が一番選びたい選択をしてたら、それでいいんじゃないかな??」
「……。それ、さっきお母さんにも言われたよ…」
 やっぱり、小百合さんも柚奈達にそうやって教育したのかな??
 …それとも、わたしの主体性が無いだけ?
「自分の行動が無駄かどうかなんて、結局は本人の中の問題。例えば、みゆちゃん達と離れて1人で偏差値の高い学校に進学して、後で良かったと思える様な可能性なんて想像も出来ないから」
「……」
「だから、今の私にとってはみゆちゃんや茜ちゃんと一緒にいられる将来の方が真実なの」
「…分かったわよ。もう何も言わない…というか、そろそろこの話題は終わりにしとこうね」
「うみゅ…??」
 いい加減、電話越しにわたしの顔が火照って茹蛸になりかけていた。
 …さっきからもう、こいつは恥ずかしい台詞をつらつらと吐きおって。
 とにかく、話題を変えないと。
「それより…ああそーだ。やっぱり、わたしのお母さんと小百合さん、知り合いだったみたいだね…」
 って、これじゃ全然話題転換の意味が無いっっ。
「聞いたよー。ああいう偶然ってあるんだねーってびっくりだったけど」
 しかし、そこでまたどんな恥ずかしい台詞をかましてくるかと思えば、意外とあっさりとした反応が返ってくる。
「…それだけ?」
 そして、柚奈が「偶然」という表現を使ったのに少なからず驚いたわたしは、思わずそう続けてしまった。
「それだけって??」
「いやー、あんたの事だから、また運命の赤い糸で結ばれてるとか言い出すんじゃないかってね」
「…違うよ。私とみゆちゃんは元々『結ばれていた』んじゃなくて、縁が『結ばれた』んだよ。あの日以来ね」
「…あ〜、やっぱりそう思う…??」
 あの日というのは転校初日、通学路で柚奈とぶつかった日の事。
 確かにあの時ぶつからなかったら、柚奈に付きまとわれる事も無かったのかもしれない。
 そもそも、わたしと柚奈のお母さん同士の関係も知る事はなかったんだろうし…。
「私ね、ホントに嬉しかったんだよー」
 …まぁだからこそ、柚奈はわたしとの出逢いを運命と信じてるのかもしれないけど。
「嬉しかったって??」
「うん。あそこでみゆちゃんと衝突できたのが」
「…でも、お陰で遅刻しそうにならなかった?特にわたしは初日だったしなぁ…」
 まぁ、全速力で駆け込んだお陰でギリギリ間にあったんだけど、同時に騒々しいと怒られたのも事実だったりして。
「みゆちゃんにとってはそうかもしれないけど…私にとっては大切な転機だったから」
「転機…??」
「そう。みゆちゃんのお陰で、やっとわたしは解放されたの」
 そして、今度は「解放」という言葉を紡ぐ柚奈。転機だの解放だの、自分の知らない時代の柚奈に関するキーワードが次々と出てきているが、わたしには何がなにやら。
「解放されたって言われても…わたし自身はただ偶然ぶつかっただけなんだけどね」
「それでいいんだよ。…むしろ、私はそれを望んでいたんだから」
 このまま更に深く詮索して良いのかどうか悩みながら、敢えて突き放す様にして素っ気無くそう告げるわたしに、柚奈はあっさりと肯定してしまった。
「多分みゆちゃんにとっては、迷惑な話なのかもしれないけど」
「い、いや…別にそんな事はないんだけどね…」
「あ、ホント??んじゃ、もう少し強引に攻めても良かったかなぁ…??」
「…あんたのそういう所が無ければ、わたしは諸手を挙げて喜んでたのかもしれないんだけど」
 わたしにとって問題なのは、柚奈自身ではなくてこいつの過剰な愛情表現(好意的に見て)であって。
「ん〜、これでも昔と比べて逞しくなった結果なんだよ??」
「…逞しくなりすぎ。少しは引きなさい」
 しまった。せっかくの機会だったのに、娘にどういう教育をしてるのかと小百合さんを少し説教しておげば良かったかも。
「むぅ…”一度攻め始めたら最後まで引くな”が我が家の家訓なのに…」
「生憎、うちの家訓は、”追われたらとことん逃げろ”なの」
 もちろん、今作った家訓だけど。
「それじゃ、永遠の追いかけっこだねー?」
「ま、わたしに逃げる気力が続く限りはね」
 そのわたしの台詞には、2つの意味が含まれていた。例えば、鬼ごっこというのは、逃げる者と追いかける者がそれぞれいて、初めて成立するものであって。
「あはは。少なくとも、わたしから疲れて立ち止まることはないから、それは覚悟しててね?」
「……うん」
 ま、根負けしてしまうなら、その時は潔く覚悟してあげるわよ。
「んじゃ、勉強頑張ってねー。どうしてもダメそうだったら、私がみゆちゃんの家に泊り込んで何とかしてあげるし♪」
「いや…柚奈がそうやって応援してくれてるなら、どうにかなりそう」
 先ほどの母上の態度からしてみても、押しかけてきた柚奈を拒否する可能性は100%無さそうだしね。
「うう〜っっ、何だか複雑なんだけど…」
「直接にせよ間接的にせよ、役に立っているだけで良しとしなさい」
「…そうだね。愛する人のお役に立ってるんだもんね♪」
「へ…??」
 そう言うと、柚奈は「おやすみっ」と手短に続けて通話を切ってしまった。
「あっ、こら…っっ!!」
「……はぁ…」
 柚奈の奴…。また顔が火照って来ちゃったじゃない…。
「…ったく、もう…」
 そして、わたしはすっかりと静かになった携帯を元の充電器に置くと、火照ってしまった顔をクールダウンさせようと窓を開く。
「ふぁ〜っ、気持ちいいな…」
 まだ朝晩に肌寒さが残っている初夏の涼しい夜風がわたしを包んでいく。もっとも、これからどんどん暑くなる一方なんだろうけど。
「……」
「…それにしても…」
 芽衣子さん、柚奈の気持ちが本気かどうか試してみたかったって言ってたけど…。
『これじゃ、試すまでもないわよね…』
 正直、わたし自身今でもどうして柚奈がそこまで気に入ったのか、引っかかりを持っているのは確かなんだけど…とりあえず、その真偽は測るまでもない感じではあった。
「……」
 …でも、果たして柚奈はわたしの猜疑心に気付いているのだろうか?
「……。なんだかなー…」
 しかし、そんな疑問が浮かんだところで、わたしは頭をポリポリと掻きながら払拭した。
 それこそ、余計なお世話である。
 所詮、理屈が無いのが恋って奴なんだろーし、反面で、わたしの方が何だか妙に理屈っぽくなってるのは、もしかしたら…。
「…ああもう、とっとと勉強しよ」
 なんだか無性にムカついてきたわたしは、勉強で紛らわせようと、机の棚から参考書の束を取りだしていく。
 丁度良い機会だわ。これなら随分とはかどり……。

ピリリリ

「ん……??」
 その時、充電器の上に戻した携帯から、再び短い間隔でメロディーが響く。
 また性懲りずに柚奈からみたいだけど、今度はメールらしい。
 メールくらいなら読んでやるかと、手にとって着信内容を確認してみると…。

『とりあえず、進級するまでには捕まえちゃうから、覚悟しててね♪』

 …ふん、言ってなさいっての。


*****終わり*****

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