の言わぬ魔王様 その3

第四章 動き出した者達

「さーて、これからどうすっかなぁ……」
 いつもの様にプルミっちゃんとお昼ごはんもご馳走になった昼下がり、予定されていた会議の時間がやってきてひとり放り出されたあたしは、特にアテもなく魔王宮の廊下をブラブラと歩いていた。
(ん〜〜っっ……)
 殆ど成り行きで、当代魔王の側での魔界暮らしが始まって、今日で三日目。
 元々、生活環境がコロコロと変わってしまうのは慣れっこだし、こちらの生活にもすぐに馴染んできたつもりだけど、それでもどうしても気になってしまうコトが一つ。
「あはは、どうもこんちは〜♪」
「…………」
 それから、歩いていくうちにすれ違った、貴族っぽい服装をしたツインテみたいなツノを持つ女性と目が合ったので、にこやかに手を振りながら挨拶を向けたあたしだったものの、すぐに視線を逸らされ、足早に離れて行かれてしまった。
(やぁれやれ、また無視されちゃったよ……)
 まぁ、現役勇者のあたしは、魔界にとって敵の立場なんだから当たり前なんだろうけど、とにかく周囲の反応や視線が冷たくて痛かった。
(……べぇつに、勇者と魔族が今更どうだってワケでもないだろうにさー)
 せっかく噂に聞いた魔王宮パンデモニウムに滞在してるんだし、出来ればじっくり宮殿見物でもしゃれこみたいところだけど、何だか常にジロジロと監視されてるみたいで、どうにも居心地が悪い。
 フローディアさんの、歓迎してくれてるのはプルミっちゃんだけという言葉通りというか、いきなり襲いかかられたりこそしないものの、この宮殿の人達にとってのあたしは、視界に入るだけでどうにも落ち着かない存在らしかった。
(は〜っ……これはウロウロするより、どこかで暇でも潰した方がいいかな……?)
 まぁそれでも、しばらくして見慣れてくれば、また反応も違ってくるかもしれないし。
「およ……?」
 そんな中、本殿中央ロビーを経由して、今まで歩いたことのなかった三階を歩いていたところで、豪華な表装をした書物のレリーフが上部に掘り込まれた、分厚そうな扉が視界に入ってくる。
 おそらく、書庫かなにかの入り口なんだろうけど……。
(読書、かぁ……)
 修行時代には、基礎訓練の一つとして、剣術書やエレメントの概念の書かれた分厚い本を一年がかりで読破させられたり、パパの著書くらいは読んだものの、まぁあんまりシュミな方じゃないんだけど……。
「ん〜っ、ま、いっか……」
 勇者たるもの、知らない土地へ行った時は書庫を漁っておけってのは、パパの教えだしね。

                    *

「おおおう……!これは……」
 やがて、軽い気持ちで「たのもう!」してみたのはいいものの、重い扉をくぐりエントランスを抜けてすぐに視界の先に広がった膨大な書物の林に、一瞬で目が回ってしまいそうになるあたし。
 どうやら、この巨大な書庫は一階から遥か上層まで筒状の吹き抜けになっているみたいで、フロアの端にある階段の他に、中央には各階層へ移動する為の魔法仕掛けの移動装置が設置されていて、見た感じはまるで本棚で出来た大樹だった。
(うはー。さすがは魔王宮。昔パパと通ってた王都の図書館どころのハナシじゃないわね、こりゃ……)
 一体、ここには何万冊保存されているのかは想像もつかないけど、これじゃ読んでみたい本を探すだけで日が暮れてしまいそうだった。
「…………」
「……やっぱ、やめとくかな?」
 そこで、ぐるりと見渡してみただけで、あっさりと探究心がへし折られた心地になったあたしは、頭痛がしてくる前に諦めて引き返そうとしたものの……。
「あの、何かお探しですか……?」
「ん?」
 不意に背後から声をかけられ振り返ってみると、そこには銀縁の眼鏡に、いかにも学者っぽい紺色のアカデミー衣装を身に纏った小柄な女の子が立っていた。
 しかも、綺麗に揃えられた前髪や品のいい顔立ち、脇に抱えた六芒陣の模様が描かれた分厚い魔道書など、見た感じは優等生っぽい記号が多数。
「……えっと、キミは?」
「あ、ごめんなさい……。私は当書庫の司書長を勤めております、フルールと言います。あなたが噂の人間界からやってきた勇者殿ですよね?」
 ともあれ、向こうから声をかけられるなんて珍しいと、少しばかり面食らいながら尋ねるあたしに、フルールと名乗った小さな司書さんは、口調は控えめながらもじろじろと興味深そうな視線を向けてくる。
「まぁ、そうだけどさ……司書長って、つまりキミがここのヌシってこと?」
 見た目は、人間でいえば12、3歳かそこらってくらいなのに、やっぱり魔界の住人って外面じゃ全然分からないものなのかな?
 プルミっちゃんも、平均寿命から換算したらまだ幼くても、実年齢で言えばどうやらあたしより何倍も長く生きてるみたいだし。
「ヌシ……ええ、まぁ。フローディアからの報告を聞いた際に、是非一度お会いしてみたいと思っていたんですが、ちょうどさっき入って来られた所を見かけたもので」
 ともあれ、そのフルールちゃんはあたしの言い回しに苦笑いを見せた後で、何だか癒されるような人懐っこい態度でそう告げてきた。
「そりゃご親切に、どーも。……というか、やっぱり学者として興味あるの?」
 だからって、解剖させろと言われてもお断りだけど。
「ええ、そんな所です。ただ、とりあえず今日はお近づきの印として、お望みの書物を探すお手伝いでもと思いまして」
「うーん……。そう言われても、別に目的があったワケでもないんだよねぇ……」
 ぶっちゃけ、ただの暇つぶしのつもりだったんだし。
「でしたら、興味があるテーマを挙げてくだされば、ご案内しますよ?魔王史に魔界貴族の系譜、人間界との外交に関する記録や、魔界料理のレシピ本とかでもいいですし、今は禁断の恋愛を扱った特集のコーナーもありますけど」
「んー、そうだねぇ……」
 正直、読書熱はもう冷めてきてるんだけど、ただせっかく親切に案内してくれようとしてるんだから、ここで「やっぱりいいです」じゃさみしいだろうし……。
(えっちな本……とか言ってみたら、怒られるかな?)
 というか、間違いなくフローディアさんからは怒られそうだから、まぁやめておくとして。
(うーん……あ、そだ……)
 それから、あたしは少しだけ腕組みして考えた後に、あるテーマを思いつく。
「んじゃあさ、呪い関係はどうかな?」
「呪い?姫様が苛まれておられる、悲怨の呪いに関する資料ですか?」
「あはは、鋭いねぇ。プルミっちゃんが呪いにかかって言葉を話せないのは教えてもらったけど、それがどういうモノなのかは知らないんでさー」
 出来るもんなら、呪いを解く手助けもしてあげたいとは思ってるけど、どうすればいいのかすら分からないんじゃ、動きようがないし。
「分かりました。呪い関連の書物なら、ここから四つ上のフロアですね」
 すると、あたしのリクエストに応じてフルールちゃんは頷くと、吹き抜けから辛うじて見える、遥か上層を指差して見せてくる。
「うへぇ、七階まで上るの?」
「……いいえ、中央の昇降装置を使えば、あっという間ですから」
 そこで、再びあたしのやる気にヒビが入りかけたところで、今度は中心部の方を指差しながら案内してくるフルールちゃん。
「いーの?でもあれってさ、誰でもご自由にってワケじゃないんでしょ?」
 ちょうど、すぐ目の前の出っ張り部分が昇降口になってるみたいだけど、ただ見てる限りでは、書庫にいる人の多さとは裏腹に、利用してる人はまばらみたいだし。
「ええ。確かに、この昇降機を利用できるのは特別に許可を得た場合と、権限を持つ限られた者だけなのですが、あなたは姫様のペットですから」
「ペット……」
 確かに、首輪も着けられて境遇的には番犬みたいなものなんだけど、ただ他の人からそうもハッキリと言われると、ちょっと反応に困ったりして。
「そんなわけですので、どうぞご遠慮なく乗ってください」
 ともあれ、躊躇うあたしに書庫のヌシはやや強引に促すと、出っ張り部分に備え付けられた操作装置に触れて、下の階層から足場を呼び出してきた。
「……おお……。なんかカッコいいけど、でもちょっと怖くない?」
 スライドして昇ってきた円形の足場は手すりもなければ床も半透明で、なんていうか質量感が乏しくて、本当に乗っても大丈夫なのだろうか?という不安が抜けなかったりして。
「大丈夫ですよ。千年以上の稼動実績があって、まだ大きな事故も起きていませんから」
「ほうほう……」
 なんとなく後半の言い回しは、ちょっとだけ頼りない感じだけど……。
「まぁ確かに、この装置はエレメントの力を借りた昇降機ですので、少しばかり感触は違うかもしれませんが」
「へいへい、んじゃせっかくだからご好意に甘えまして……」
 どっちにしても、階段を上るより全然楽だし、何とかなるだろう。
「…………」
「お、ををを……?」
 とにかく、勧められるがまま恐る恐る足を踏み入れてみると、足場に青白い光で六芒陣の模様が映し出され、何だか床の上に立ったというよりも、少しばかり浮いてるっぽい不思議な感覚が、あたしの足下を包んでくる。
(なーるほど、風のエレメントの力を借りてるみたいやね……?)
 実際、乗っていると存在感を強く感じるから、おそらく高純度の精霊石で薄い丸床を作って、そこにぎっしりとチカラを吹き込んでるって寸法かな?
「…………」
「……ん、どーかした?フルールちゃんは乗らないの?」
「あ、ああ、はい……」
 ともあれ、足場の感覚に慣れてきた頃に、いつまでも出っ張りで立ち尽くしてた司書さんに声をかけると、思い出したように続けて乗ってきて……。
「……やりますね……」
 背後から、ぼそりとそう呟いてきた。
「あにが?」
「いえ……。それより操作スクリーンを出しますので、目的の階層の数字を選んでください」
「はいはい……って、おおう?!」
 しかし、食いつくあたしにフルールちゃんは構わずそう告げると、床と同じ青白い光によって、横並びになった数字のリストが目の前へ立体的に映し出されてきた。
「なにこれ、すげぇっ?!」
 魔界の先進テクノロジーって奴ですか。
「……この程度で驚かれては困りますけど、とにかく浮かび上がった数字に触れて、床に目的の階層の文字が出たら、『行け』とでも念じてください」
「あ〜なるほど、これって精霊魔法のプロセスを見やすくしてるんだ?どらどら……」
 精霊魔法を使いたい時ってのは、自分でそこらにあるエレメントの要素を必要な分だけ集めて、頭の中でどういう効果をもたらして欲しいかを念じた後で、最後に「実行」命令するってのが基本的な流れだけど、これは決まった効果に対して途中の手続きを自動でやってくれる装置みたいだった。
「……たった一度見ただけで、そこまで把握するとは……。見かけによらず侮りがたしですね」
「え〜、あたしってばもしかして、頭が残念なコだと思われてる……?」
 そりゃ、フルールちゃんと比べたら、確かにあんまり頭良さそうな見た目じゃないかもしれないけどさ。
 ……けど、勇者の代名詞といえば剣技よりもむしろ精霊魔法なんだから、あたしもそれなりの自負はあったりして。
「いえ……。それより、目的地へ向かいましょう?」
「ほいほ〜い……。えっと……まずはポチっとな……っと」
 ただ、ここで愚痴っていてもハナシが前に進まないので、あたしは促されるがままに数字を選んで触れると、説明通りに床の中央から、大きく「7」の文字が映し出されてきた。
「…………」
「んでもって、あとは、ご〜っ♪……って、うをお……っ?!」
 そして最後に、上階を指差しながらノリノリで実行を命じると、足元から押し上げられる力が働いて、重力に逆らった浮遊感を受けながら、あたし達は瞬く間に運ばれていった。
「うほぉ、なかなか便利じゃないの。こりゃ確かに、利用制限しないと混んじゃうか……ん?」
「……負けた……」
 程なくして目的の七階へと到着して、ちょっとした感動を覚えながら振り返ると、何やらフルールちゃんは俯きながら、またしてもブツブツと呟いていた。
「えっと、だからナニが……?」
 なにやらさっきから、勝手に悔しがってるような?

「……あ、ところで一つ思い出したんだけどさ」
 ともあれ、それから七階の発着場から降りたところで、ふと足を止めるあたし。
「なんですか?」
「そういえばあたしって、今日はスカートだったんだけど……」
 しかも、フルールちゃんみたいな膝まであるタイトスカートじゃなくて、どっちかといえばフレア系の。
 んで、足場が半透明だったってコトは……。
「もしかして、下の発着場から、今日のあたしのバックプリントうさぎさんぱんつが見えちゃってた……のかな?」
「それは、ご愁傷様です……。というか、結構可愛い系のシュミなんですね?」
「ぎゃ〜〜っすっ!……っていうか、なにメモしてんの?!」
 しかも、思わず両手でスカートの前後ろの裾を押さえて叫んでしまったところへ、フルールちゃんはポケットからメモ帳とペンを取り出して書き込み始めたりして。
「いえ、なかなか興味深い情報をいただきましたので……ほほう……?」
「ちょっ、めくるなっての……っっ」
 ただ、これを選んだのは、あたしじゃなくて着替えを手配してきてくれたフローディアさんなんだけどさ。

                    *

「……さて、悲怨の呪いに関する文献で目ぼしいものは、大体このコーナーに纏められています」
 やがて、先に昇降装置から降りて歩き始めたフルールちゃんから案内されたのは、色とりどりの背表紙の書物が、ずらりと雑多に並べられた本棚の前だった。
 しかもご丁寧なコトに、その前には大きめの机とゆったりサイズの椅子まで用意されて、いかにもここで心ゆくまで読んでいってくださいってな感じで。
「へー。特集が組まれてるなんて、そんなに調べる人が多いテーマなの?」
「いえ……。元々はそうでもなくて、フローディアから頼まれて作ったブースなんですけど、まぁ確かに姫様がかかってしまわれた呪いという事で、関心は高まってますね」
「ふーん……」
 ……っていうかフルールちゃん、さっきからフローディアさんを呼び捨てにしてるけど、確か地位的にはかなり高い人じゃなかったっけ?
 まぁ、このフルールちゃんも魔王宮の司書長って話だから、実は結構えらい人なのかもしれないけど。
「では、どれからいきます?歴史的にはそれなりに古くから確認されている呪いですので、呪術学や民俗学、歴史学に医学など、多方面からの視点で研究されていますが……」
「あー、そんな深く突っ込む気はナッシングだから、適当に一冊でも……」
 ってコトで、あたしはフルールちゃんがいくつか本棚からピックアップしてきてくれた書物の山の一番上を手に取って開いてみる。
 と……。
「グワォォォォォォォォ……ッッ」
「ひい……っ?!」
 それから、パラパラとめくってみた直後、本の中から口を大きく開けた怪物の形をした幽霊みたいなモノが恐ろしい咆哮と共に飛び出て、あたしを飲み込もうとしてきた。
(な、なななな……?!)
 そこで、不意を突かれて対処する間もなく、ただ目を見開いて立ち尽くしてしまうあたしだったものの……。
「…………っ」
「ギャアアアアアアアア……ッッ?!」
「…………!」
 しかし、大きく開かれた口があたしを完全に包み込んでしまう前に、怪物は勝手に苦しみだしたかと思うと、やがては何事も無かったかの様に消え去ってしまった。
「う、うおお……。脅かしやがって……ナンなの、これ?」
「ここに保管されている書物は、一般の閲覧を許していないものを含めて億を数えるので、中には管理の目から外れて呪われていたり、こうして手に取った者を狙う魔物が潜む物件が紛れている場合もあるんですが……どうやら、あなたの魂を食らうには力不足だったみたいですね」
「ったく……。呪いのコトを調べようとしたら自分が呪われたり食われそうになるとか、笑い話にもなんないっての……」
 ただ、偏見かもしれないけど、こーいうのも魔界らしさなのかねーとも思ったり。
「まぁ、格言にもなっていますし、ありがちではあるんですが……。それより、手っ取り早く悲怨の呪いについて学びたいのなら、次の本なんていかがです?色んな観点からの情報を簡潔に纏めてくれていますし」
 ともあれ、溜息の後で肩を竦めるあたしに対して、フルールちゃんはすまし顔でしれっとそう告げると、今度は二番目の書物をこちらへ押し出しながら勧めてきた。
「そ、そう……?んじゃ、ま……」
 ……でもさ、だったら最初にそれを渡しなさいよねって言いたくなるのは、あたしだけなのかしらん?

                    *

「……ふーん……。悲怨の呪いって、元は悲恋話からなんだ?」
 それから、受け取った本を手に、備え付けられていた机に座って斜め読みを始めたところで、まずはルーツの項目で興味深い記述を見つけるあたし。
「ええ、まだ魔王という概念も生まれていない遥か大昔の群雄割拠が続く魔界で、侵略戦争に敗れたさる地方領主が、戦いが終われば結婚する予定だった婚約者の前で凄惨な方法により処刑され、それを目の当たりにさせられた彼女が昼夜に渡って泣き叫んだ末に、とうとう声が枯れて絶命してしまったという、まぁこれだけなら割とありがちな悲話なんですが、程なくした後に、その地方で声が出なくなってしまうという奇病が流行してしまったそうです」
「しかも、どんな治療を施そうが、医術で治るコトは無かった……と」
 この本には、中には喉をかっさばいてまでして原因究明を試みたけどダメだったみたいな、少々エグい話も載っていたりして。
「ですから、いつしか奇病が“呪い”扱いになってしまったんですね」
「……んで、呪いにかかってしまったのは、いずれも恋人や家族といった、一番大事な存在の死を迎えた者達、かぁ」
「正確には、非業の死を遂げた者の遺族ですね。誰かに殺されたり、謀られたり、助けてもらえなかったりと。……それで、元領主の婚約者の深い怨嗟が起因しているのではないかという噂が広まり、いつしか『悲怨の呪い』と呼ばれる様になったそうです」
「んでもって、やがて悲怨の呪いと同様の症状がその地方以外でも確認される様になったとか、この話がホントなら、よっぽど無念だったんだろうなぁ」
 というか、生まれ故郷や家族を魔軍の理不尽な攻撃で失ったあたしも、気持ちは分かる。
 ……今でも、あの時の風景をふと思い出すと、あたしの中の何かが壊れそうになってくるのだから。
「あの時代は、共通の法も無く弱肉強食そのままでしたから、大局的な観点で見れば誰かが殺されたなど、言ってもキリの無い話ではあるんですが……」
「でも、当事者はさ、そうはいかないよね……」
 結局、レシウスでの戦いは、軍記の上では多くの犠牲を払いながらも魔将二人を討ち取って大勝した扱いだけど、あたしにとっては故郷も家族も全てを失ってしまった悲劇以外の何ものでもない。
「…………」
(あ、ダメだって……)
 そういうのは考えないコトにしてたのに、思い出してきちゃった……。
「どうしました?」
「……ううん。んで、この呪いって結局は解けなかったの?」
「いいえ、その書物の後の方にも書かれていますけど、医術ではどうやっても対処出来なかった呪いも、やがて元通りに回復してしまった人達が出てきまして。その彼らに共通しているのは、自らの手で恨みを晴らしたということです」
「自らの手で、か……」
「まぁ、単純明快な話ですね。怨嗟が起因しているのならば、それを晴らせばいい。結局はその繰り返しで今までの魔界史も回ってきた様なものですし」
「……んじゃ、プルミっちゃんにかかった呪いを解く方法も……」
「ええ。現時点で確実に解けると言い切れる方法としては、姫様自らの手で御父上の恨みを晴らすコト、となりますかね」
「なるほど、そっか……」
 そう言われれば、確かにそうなんだろう。
 結局、あたしが新しい一歩を踏み出せたのも、やがて駆けつけて来た勇者様が住人達の無念を少しでも晴らそうと、目の前で敵を全滅させるまで戦い続けてくれたからだろうけど、プルミっちゃんは今でも……。
(うーん……)
 だからといって、それは叶えてあげられないし、何か他の方法があればいいんだけど。
「…………」
「…………」
(あ……そうだ。パルフェ姉なら治せないかな?)
 それから、しばらく無言で考え続けた末に、ある人物の顔が思い浮かぶあたし。
 あのヘンタイ聖女サマなら、死人以外は大体治癒してしまうし、相談してみてもいいかも?
「…………」
(う〜っ、でもなぁ……)
 今はドコにいるかも分からない渡り鳥の上に、もし顔を合わせるコトが出来たとしても多分というか、確実に叱られちゃうだろうし、そもそもここからでは連絡の取りようもない。
(やっぱ、難しいか……。せめて、試しに診せるだけでも……)
 まぁ、それは別のイミでちょっとだけ危険でもあるんだけど。
「…………」
「……ただ、今や姫様の呪いが解ける日を心から願う者は少数派かもしれませんね」
 しかし、やがて斜め読みを続けながら諦めたかけたところで、向かいのフルールちゃんが別の書物ごしにボソリと切り出してくる。
「え……?」
「呪いによって、言葉も本来の秘めた力すら奪われた今のプルミエ様は、実権を握っている諸侯達にはもの言えぬ魔王様として、大変都合のよろしい状態となっていますから」
「……けど、そんなのは間違ってるってばさ」
「私もそう思います。……そしてそれ故に、姫様に不満を持つ者も増やしているのです」
「…………」
 もの言えぬ魔王様、か……。
「さて……。これで悲怨の呪いに関しては大体ご理解いただけたと思いますから、そろそろ次のテーマに移行しますか?」
「……あーいや、今日はもういいかなぁ……。文字ばかり追いかけてたら、ちょっと眠くなってきちゃったし」
 ともあれ、それから調べものも一段落した後で、次のテーマを促してくる熱心な司書長さんへ、苦笑い交じりに首を振って立ち上がるあたし。
 やっぱり、あたしのカラダって、一日中読書に耽られるようには出来てないんだろうなぁ。
「それは残念ですけど……。では、またお暇な時にでも是非会いに来てくださいね?あなた自身についても知りたい事が沢山ありますし、今後は受け付けで呼んでくだされば、すぐに出向きますので」
「あはは、ありがと。ちなみにこの書庫の中には、勇者に関する書物も沢山あんの?」
「勿論ですよ。だって、魔王様と勇者は世代を超えた永遠のライバルですから」
「なるほど、ね……。んじゃ、また気が向いた時にでも……」
「ええ。お待ちしていますね。本日はお疲れ様でした」
「…………」
 あたしとプルミっちゃんも、いつしかそんな関係になったりするんだろうか?
 今はなんていうか、ベタベタと懐いてくれてるけど、やっぱりフクザツな気持ちも抱いてるんだろうし……。
(ん〜〜っ……)
 ……ただやっぱ、何だかんだで言葉にデキなきゃちゃんと伝わらないよねぇ?

                    *

「ふぁぁぁぁ〜〜っっ……」
 それから二日が経った午後遅く、視察のために午前中から馬車で出かけていったプルミっちゃん達に取り残されてしまったあたしは、ポカポカと差し込んでくる暖かい陽気にあてられながら、宮殿の中庭で軽く走り込みと素振りなどの基礎トレーニングをこなした後で、ガーデン前のベンチにだらしなく腰掛け、お茶の入った水筒を片手に、こみ上げる欠伸をかみ殺していた。
「ほあー……。いい天気だよねぇ……」
 せっかくだから、先日知り合ったフルールちゃんに会いに行こうかとも最初は考えたものの、でもこんな天気のいい日に表に出ないのは勿体ない。
 お陰さまで、ひと汗かいて鈍りかけていた身体も軽くなり、久々に満足感のある昼下がりになっていた。
「……ん〜……」
(まぁ本音を言えば、あたしも一緒に連れ出して欲しかったんだけどさー……)
 実際、プルミっちゃんも連れて行きたがってはくれたんだけど、でもフローディアさん曰く、あたしが居ると話がどうにもややこしくなってしまうんだそうで。
「やれやれ、肩身が狭いってのはつらいねー、やっぱ……」
 ぶっちゃけ、そろそろお家が恋しくなってる気持ちもあるものの、まぁ約束は約束だしね。
 少なくとも、言葉を失って心細い日々を送ってるプルミっちゃんを、何とかもう大丈夫!って状態にしてからでないと。
「でも、こうしてると気持ちよすぎて……むにゃ……」
 ……しかし、今はその為の準備よりも、あたしの身体は運動後の午睡を求めてきてるみたいだった。
(うあ、本格的に眠くなってきたかも……)
 一応、最低限のトレーニングメニューは消化してるし、出来るもんなら汗を流してプルミっちゃんの寝室で二人が帰るまでひと眠りしていたいものの、残念ながらあたしひとりでの利用は禁止らしい。
(……べぇつに、フローディアさんと違って、プルミっちゃんの下着を漁ったりしないのにさ〜)
 と冗談混じりに言ったら、ムキになって怒るどころか、銃口を向けられちゃったけど。
「……は〜っ、しかし平和だねぇ……」
 それから、眠気半分にぼんやりと辺りを見回しながら、ふと無意識に呟いてしまうあたし。
 パパの書いたウォーディス戦記によれば、かつて魔王宮に乗り込んだ先代勇者がここまで辿り付いた時は、魔将に率いられた百近い敵の精鋭に取り囲まれて死闘を繰り広げたそうなのに、あたしは美しく手入れされたお庭の風景を眺めながら、こうしてまったりと過ごしているなんて。
 ……まぁ、これもあたしが一応はプルミっちゃんに仕えてる立場だからなんだけど、改めて考えたら不思議な気分だった。
「魔王と勇者は、世代を超えた永遠のライバルだってのにさー……」
 でも、昨夜はまた寝不足になりそうなくらいの遅くまでテラスでの星見に付き合わされたし、このままだとライバルどころか、仲良くなってゆく一方としか思えないんだけど。
(……けどま、それでいいのかな……?)
 べつに誰が困るワケでもないだろうし、それに……。
「…………」
「……もーいい、眠い!ねるぅ……」
 ともあれ、襲ってくる睡魔に身も心も侵略されていくにつれ、あれこれと考えるのが面倒くさくなってきたあたしは、投げやりに呟きつつ右腕を額に当てながら、お昼寝の体勢を整えようとしてゆく。
 今から戻るのも場所を探すのも億劫だから、もうここで眠っちゃおう……。
「…………」
「……よォ、トレーニングが終わったなら、ちょいとツラ貸してくれねーか?」
 しかし、そこからいよいよ意識を沈めようとしたあたしを、突然に大きな影が覆ってきたかと思うと、幅の広い大剣を背に負い、ゴツめの鎧を纏った大柄な男の人から声をかけられてしまう。
「ん?あたし?」
 額から鼻先へかけて切り傷の跡が付いた厳つい顔立ちに、いかにも歴戦の戦士っぽい鍛え上げられた体躯をほこり、まるで鷹を思わせる、相手を射抜く様な鋭い目つき。
 さらに、身に纏う特注っぽい装備や、漂わせている攻撃的な空気をとっても、パッと見だけで宮殿の衛兵達とは明らかに異なるけど、まさかナンパでもしてきたつもりなんだろうか?
(はー、モテる女はつらいやね……)
 ……ただその割には、最初からギラギラとした殺気を向けてきてるのが気になるけど。
「ああ。テメェだろ?あのラグナス・アーヴァインの娘ってのは」
「へー、パパのこと知ってるんだ?」
「たりめーだ。……奴とは昔、“ここ”で戦ったコトがあるんだからな」
 そこで、急速に漂ってくる不穏な予感を受け流そうとするあたしに対して、眼前に立つ男は、ニヤリと残忍な笑みを見せてきた。
「え……?!」
 ”ここ”で戦ったってコトは、つまり……。
「えっとキミ、もしかして……」
「オレは十三魔将のくたばり損ないの一人、“魔戦士”クロンダイクってモンだ。……テメェのオヤジ相手にケリが付けられなかった勝負を挑みに来た」
(十三魔将……!)
 一応、魔王宮へ来たからには、フローディアさん以外の魔将とも鉢合わせる覚悟はしていたものの、よりによってイチバン悪いタイミングでの遭遇となってしまった。
「え〜……。挑みに来たって言われても、ねぇ?」
 ただ、パパの因縁まであたしには関係ないと言わざるを得ないというか。 
「へッ、イマイチやる気が起きないってか?だったら……」
 すると、クロンダイクと名乗った魔将は嘲る様な笑みを見せた後で、いきなり右手を背中へ伸ばすと、肩口に出ていた柄を握り、禍々しい魔力が漂う漆黒の大剣を抜刀してきた。
「…………!」
 それを見るや、あたしは咄嗟に軸足を強く蹴って後方への宙返りを決めると、ついさっきまで腰掛けていた木製のベンチは真っ二つに割られてしまう。
(うおっ、問答無用ってコト……?!)
 いきなり、あたしを殺す気で斬りかかって来やがったわね……。
「ちょっとちょっと……。後で怒られても知らないわよ?」
 魔王の宮殿の備品とか、おそらく匠の手で手間隙かけて作られたりした、さぞかし高級な品だろうに。
「ハッ、くだらねェ心配してるヒマがあったら、テメェもさっさとその腰のエモノを抜きな!」
 そして、ひらりと着地を決めた後で肩を竦めるあたしへ、構え直した魔剣の切っ先を向けて真剣勝負を要求してくるクロンダイク。
「抜きなったって、騒ぎになるマネはやめろって言われてるんだけど……」
 プルミっちゃん達も外遊中だし、中庭を荒らした共犯にされるのはゴメンである。
「……別に、抜きたくなければ抜かなくてもいいぜ?テメェが真っ二つになるだけだがな!」
 しかし、相手の方はまるで意に介さずにそう言い放った後で、鋭い踏み込みを見せて間合いを詰めてくると、化け物の様な腕力であたしの全身よりも長い大剣を振り回してきた。
「…………っ」
 それに対して、今度は下手に跳躍しようとはせずに、相手の切っ先に集中しつつ、バックステップやサイドステップの小さな動きで回避していくあたし。
(くっ、なかなか疾いじゃないの……!)
 どう見たって、常人なら構えるコトすら無理っぽい重量武器なのに、太刀筋は鋭くて無駄な動きも少なく、しかもぴったりとあたしの回避運動に追従してきて、逃れる隙もなかなか与えてくれない。
「…………」
 けど……。
「チッ、ちょこまかと逃げ足の方は達者みてェだな?!」
「おっ……と、へへ、それがあたしの自慢だしね」
 いくら長剣なんかと変らない感覚で振り回せてるといっても、やっぱり得物の長さから小回りはきかないし、避けるだけなら何とかなりそうな気もする。
(さて、問題はここからどうしよってコトだけど……?)
 戦いを避けるにしたって、どうやったら逃げ切れるのか。
「オラ、どうしたどうした!親父と違って、当代勇者はとんだ腰抜け野郎かァ?!」
「あたしは、女だっつーの!」
(やっぱり、さすがに本殿内では暴れられない……よね?)
 ジリジリと後退していってもバレバレだろうから、こうなったら何とか勇気の翼を広げられる隙を作って、プルミっちゃんの寝室まで飛び去ってしまおう。
(ちょおっとカッコ悪いけど、しゃーないか……)
 「勇気の翼」の名が笑っちゃうかもしれないけど、このまま戦いに応じても誰の得にもならないし、時には退くのも勇気だって、パパやパルフェ姉も言ってたしね。
「おおおお……ッッ!!」
(キタっ、ここ……っ!)
 やがて、連撃を繰り出す流れの中で相手が大きく振りかぶってきたのを見て、勝負所を察知するあたし。
 あの振り下ろしの後ならば、連続攻撃してくるにも移動するにも一旦動きが止まってしまうだろうから、上手いタイミングで後ろへ飛んで避けられれば、大きなチャンスが来る。
「へ……ッッ」
「…………っ?」
 ……しかし、クロンダイクはそんなあたしの予想を裏切り、振りかぶったまま逆にバックステップで一旦距離を開けてしまうと……。
「オラァ……ッッ!!」
 続けて、空気を切り裂く鋭い斬撃を振り下ろしたのと同時に、その切っ先から竜巻みたいなどす黒い衝撃波が、うねりを上げてあたしを襲ってきた。
「しま……っ」
 そんな予想外の攻撃に図らずも足を止められ、反応が遅れた後悔が芽生えるものの、時既に遅し。
「貰ったァァァァァァァァ!!」
「……うお……っ?!」

 ガッキィーーーーンッッ

 それから、間伐入れずに距離を詰めて来た魔将が、今度こそ眉間へ向けて叩き込もうとしてきた巨大な刃を、あたしは咄嗟に抜刀した聖魔剣(エクスプライム)で受け止めさせ「られて」しまった。
「く……っ?!」
 そして、受け止めた刀身越しから押し潰そうとしてくるクロンダイクの馬鹿力で、足下の地面がめり込んでくるものの、さすがはあたしの聖魔剣。この程度じゃビクともしない。
 けど……。
「へっ、とうとう抜きやがったな……!んじゃ、こっからがガチンコだぜぇ?!」
「……だから、あたしはムダな戦いはイヤだってのに……っ!」
 まったく、今日はとんでもない厄日となりそうだった。

                    *

「……お嬢様、そろそろ到着ですわ」
「…………」
 予定より早く切り上げた、出来たばかりの大きな貿易施設の視察を終え、お嬢様と私を乗せて街路を走る魔王家の馬車が、間もなく魔王宮の正門に差し掛かろうとしていた。
 ちなみに、手持ちの懐中時計で時刻を確認すると、丁度「一刻も早く」の一刻ほど早く戻ってきたみたいである。
「……それにしても、本当によろしかったんですの?晩餐会のお誘いをお断りなどして」
「…………。(こくっ)」
 ともあれ、ここで今更ながら施設の責任者であるカンフォード侯爵家からの招待を無碍にした事を私が蒸し返すと、隣に座るプルミエ様は窓の外の風景へ視線をやりながら、特に興味も無さそうに小さく頷いてくる。
「はいはい、分かっておりますわ。それより、独りにしたままの彼女(リコリス)が心配なのですよね?」
「…………。(こくこく)」
 出発の直前まで一緒に連れて行くと訴えかけられたものの、それでもダメですとあくまで突き放した後は、目的地に着くまで馬車の中でずっとむくれた顔をお見せになっていたけれど、結局は最後までご機嫌は直らなかったみたいだった。
 ……まぁ、そんなお嬢様の拗ねた表情も、私にとってはご褒美ではあるものの、お陰で気分が優れておられないからと、先方へフォローするのに少々骨が折れてしまったりして。
(やれやれ、これなら一緒に連れて来た方がマシだったかしら?……でも……)
 招待を受けたカンフォード家は、魔軍に所属していた三男が先代勇者との戦いに敗れて戦死している事情もあって、やっぱり出来れば引き合わせたくない相手だった。
 ……それでも一応、本来の予定の昼食会は付き合ったし、それにあの晩餐会はお嬢様と長男とのお見合いパーティーにしたかった意図も見え隠れしていたから、やっぱり断って正解には違いないんだろうけれど。
「…………」
 問題は、子息を失った経緯もあって、当主のアードモア卿自身が先の戦いに疑問を抱いている一人であり、またカンフォード家は帝都でも屈指の資産と政財界への影響力を持つ名門貴族でもあって、出来れば縁談の話以外ではあまり邪険にしたくない相手というコトで。
(でも本当は、魔王様がこんな気遣いを考える必要なんて無いハズですのに……)
 ただ、先日の会議でもフィオナの報告通り、捕らえた当代勇者に独断で首輪を着けて迎え入れた一件を厳しく追求されたし、日に日にプルミエ様の立場が危うくなっているのは確かだった。 
(……というか一番の問題は、彼らは全然気付いていないという事なのですわよね……)
 あの行為の裏側にあるのは、いつまでも黙って思い通りになりたくはないという、お嬢様の抵抗心だというのに。
 だからこそ、魔王の玉座の傍らに勇者が立っているという異常な光景を以って諸侯達へ警告しておられるのだけど、結局彼らはあの件をただのお嬢様のご乱心で片付けてしまっているみたいである。
「…………」
 無論、彼らにとっては不都合な行動というコトに変わりは無いとしても、だけど理解者がいなければ、今度はこの諸侯達との間にも亀裂が走ってしまう。
 彼らは、魔王家の威光を借りる為にお嬢様をお飾りの魔王として立てている不届き者達ではあるものの、しかし味方に付けなければ体制が維持できない石垣でもある訳で。
(……そうなってしまえば最悪、今度はメンブレイス家の子女としての板挟みも……)
 既にフィオナより、お母様からの不穏なメッセージも受け取っているし……。
「…………」
「…………。(なでなで)」
「……?……」
 そこで、いつの間にやら眉間に皺でも寄っていたのだろうか、不意に頭を撫でられて振り返ると、小さな我が主が「どうかしたの?」と言わんばかりの心配そうな顔で見上げていた。
「……ふふ。大丈夫ですわ、お嬢様。ちょっと考え事をしていただけです」
 本来は、私が撫でて差し上げるべき立場の筈なのに、逆に心配をかけてしまったみたいである。
「…………。(こくっ)」
(いずれにしても、お嬢様はこの私が必ず最後まで……)
「…………」
 でもやはり、どうにかして呪いを解いて差し上げない事には、いつまで経っても好転など望めないのかもしれない。
 魔王プルミエ様を大黒柱とした真のあるべき体制づくりも、お嬢様の口からしっかりと意思が伝えられる様になられてこそだろうから。
「…………?」
「……ん?……」
 ……と、そんな考えに耽っていた中で、不意に馬車が急停止したのを受け、思わず顔を見合わせてしまう私とお嬢様。
 窓から外を見てみれば、まだ正門をくぐり抜けて兵舎のある別館一階の中央通路へ入った辺りで、どうやら正面にいる衛兵達が御者を止めたみたいだけれど。
「おかしいですわね……」
 いつもならば、このまま通過してその先に続く中庭で出迎えを受けながら本館前まで馬車を進めるというのに、一体どういうつもりなのだろう。
「…………」
「……プルミエ様は、ここでお待ちを」
 ともあれ、何やら嫌な予感がしつつも、お嬢様を留まらせて先に馬車から降りてゆく私。
「一体、何事ですか?」
「フ、フローディア様!申しわけありませんが、この先は危険です……!」
 それから、馬車を止めた衛兵達が血相を変えて私のもとへ駆けつけてくると、慌てた様子で物騒な報告を口走ってきた。
「危険……?魔王宮の中庭で、一体何の危険があるというのですか?」
 まさか、手違いで植えてしまった妙な植物が暴れだしたというわけでもあるまいに。
「そ、それが……。只今、魔将クロンダイク様と勇者殿が、中庭で激しく交戦しておられるのです!」
 しかし、肩を竦めながら素っ気無く尋ねた後で返ってきたのは、血の気が一気に引いてしまいそうな報告だった。
「んな……っ?!」
 あの、直情馬鹿達……っっ。
(クロンダイク……私の留守を見計らって動いてきやがりましたわね……!)
 腐っても魔将の一角として、自分の立場を忘れる事はないだろうと信じていたけれど、これだから猪武者は……。

 バタン

「…………っっ」
 すると、馬車の中で聞いたらしいお嬢様がいきなり扉を開けて飛び降りてきた思うと、そのままわき目も振らずに中庭の方へと駆け出されてしまった。
「プルミエ様……っ、危険ですからお待ちを……っ!」
 それを見てすぐに後を追いかけると、無礼を承知で強引に主の手を取る私。
「…………っ」
「……お気持ちはお察し致しますが、単独行動はダメです」
 この私の役目は、あくまで貴女の安全を御守りする事なのだから。
「…………」
「とにかく、ここは私にお任せを。今度は、取り返しがつく前に何とか致しますから」
「…………。(こく)」
 そして、繋いだ手はそのままで早足に歩きながら私がそう告げると、小さな主は不安げながらも頷いてくれた。
(はぁ……。まったく……)
 ただ本音を言えば、揃って蜂の巣にしてやりたい気分ではあるんですけどね、お嬢様……。

                    *

「でぇりぁぁぁぁぁぁぁぁ……ッッ!!」
「なんの……っっ」
 やがて、お嬢様の手を引いて中庭へと出てみると、衛兵や使用人、出入りの貴族達など大勢の観衆が見守る中で、魔将と勇者が激しく刃を交わしている光景が眼前に飛び込んできた。
「はぁ……。やってますわね……ったく……」
 もう、あれから時代は動いてしまったというのに、またこの中庭を戦場(いくさば)にして。
「…………」
 ……ただ、見たところでは魔剣を激しく振るって攻め続けているクロンダイクに対して、リコリスの方はそれを受け流しながら、回避に専念といった感じだけれど。
「…………っ。(くいくいっ)」
「ええ、承知しておりますわ……両者、剣を収めなさい……ッッ!!」
 ともあれ、それからすぐに繋いだ手を引っ張られて促されるがまま、私は魔王プルミエ様の代わりに狼藉者二人へ向けて、今までの鬱憤も吐き出す様にはしたなくも全力の大声で戦闘停止を命じた。
「……チッ、いいトコロだったのによ、随分と早く帰って来てんじゃねェか」
「一体何を考えているの、クロンダイク?!彼女への手出しは、魔王陛下への重大な反逆行為と警告したハズでしょう?!」
「ふん。一度火が点いちまえば、もう誰にも止められねェよ。止めたきゃ、テメェが力ずくで止めてみな!」
 しかし、クロンダイクはこちらを一瞥するだけであっさり拒否してしまうと、すぐに再びリコリスへ向けて斬りかかっていった。
「んな……ッ?!言いましたわね、この……」
「…………っ!」
 それから、つい頭に血が上ってしまった私は、即座に愛銃(サイレント・クィーン)を抜こうとしたものの、隣に立つお嬢様から再び手を引かれて制止させられてしまう。
「…………!」
「……分かりましたわ……」
 流れ弾がリコリスや観衆へ当たってしまうのを危惧されたのか、二人の勝負を見届けたくなられたのかは定かではないとしても、ここは収めるしかない。
「とにかく、フローディアは黙って見てな!……すぐに決着付けてやるからよ」
「……くっ、リコリスも、どうして……」
「しらねーわよっ、あたしだって別に戦いたくて戦ってるワケじゃないし……っ!」
(まぁ、見れば分かりますけどね……)
 確かに、ここへ来てから見る限りでも、自分から積極的に攻撃していく姿勢は感じられなくて、逃げられるものなら逃げようとしているのは分かる。
(……それに一応、ここまではリコリスの防戦一方って感じかしら?)
 それでも、ずっとクロンダイクの猛攻に押されっぱなしになりながら、迂闊に翼を広げて逃げるコトも叶わずといった雰囲気で、やはりウォーディス様が主催されていた御前試合での優勝経験もある、魔界でも屈指な魔戦士の剣捌きの前では、まだ新米の勇者では受けきろうとするのが精一杯といった所なのだろうか。
「チッ、さっきからちょこまかと……!」
「…………っ。(ぎゅっ)」
(いや……)
 しかし、それから二人の動きを見比べていくうちに、私はすぐにその評価を取り下げると、額から冷や汗が滲み出てくる。
(結構、余裕ありそうですわね。あのコ……)
「…………?」
「“残念”ながら、まだそう心配なさらなくともよろしいかと思いますわよ?お嬢様……」
 そして、汗ばんできた私の手を不安げに握り締めながら見上げてくるプルミエ様へ、感情を殺しつつそう告げる私。
「…………!」
 果たして、これが魔王プルミエ様にとって幸か不幸なのかは分からないけれど、力で押し切ろうと様々なパターンを交えた斬撃を繰り広げてゆくクロンダイクに対して、リコリスの方は殆ど最小限の動きで受け止め続けていた。
 ……つまり、もう既にクロンダイクの太刀筋は見切られつつあるらしい。
(これは、困った事になってきましたわね……)
 しかも、クロンダイクの腕前と合わせて、刃を重ねた相手の武器ごと寸断してしまう威力を持つ封魔剣イーヴルレイも、三界で唯一”聖魔”と冠された勇者の剣には罅一つ入れられないみたいである。
(認めたくはないですけど、当代勇者の強さの方は間違いなく……)
 おそらく、勇者(リコリス)が積極的に踏み込まないのは相手の体力切れを待っているのか、もしくは急所への一撃じゃなくて、相手の剣を奪っての決着を狙っているからだろう。
「ケッ、どうした?!抜刀した癖に何故打ち込んでこねェ?!面白くねェじゃねーか!」
「だったらさぁ、そろそろ飽きてくれるとありがたいんだけど……ダメ?」
「…………」
 ただ、もしリコリスがこのままの調子で勝てると楽観しているのならば、それはいささか魔将を甘く見すぎかもしれない。
 ……何せ、まだ魔戦士には切り札が残っているのだから。
(しかし、あれは使った者にも危険な諸刃のチカラだけど……果たして使うかしら?)
「……いや、使わないはず……ないですわね……」
「…………?」
 まったく迷惑千万ながら、それがクロンダイクといえばそれまでだし。
「ハッ、そんなにも戦いたくねェのかよ。それとも、この程度の攻めじゃ退屈ってか?!」
「だ・か・ら、ムダな戦いはイヤだって、ずっと言ってるでしょーがっっ」
「ああ、そうかよ。だったら……無駄じゃなくしてやるぜ……!」
 それから、一向に攻めて来ないリコリスに業を煮やしたクロンダイクは、そんな叫びと共に横薙ぎの大振りを見せて相手を後ろへ飛びずさらせると、魔剣を中段に構えたまま周囲の空気を震わせる雄たけびをあげた。
「オオオオオオオオ……ッッ!魔剣に宿りし悪魔よ、オレに力を……ッッ!!」
 やがてその叫びに呼応して、封魔剣から禍々しい漆黒の魔力が迸るとクロンダイクの全身を包み込み、肌や鎧をどす黒く変色させながら体内へ溶け込ませてゆく。
「……お……っ?!」
「んじゃ、イクぜ……ぇッッ!!」
「…………っ?!」

 ギィィィィィィンッッ

 そして次の瞬間、漆黒の残像を残してクロンダイクは再び眼前の敵へと斬りかかると、動きを確認するよりも先に刀身が合わさる音が鳴り響いた。
「へっ、受け止めやがったか……!」
「……うおっと……お……?!」
 しかし、それでもリコリスは咄嗟に傾けた聖魔剣で、いきなり袈裟斬りにされるのは防いだものの、その表情は驚愕に満ちていた。
(さて、本当の勝負はここからですわね……)
 これが、「封魔剣」イーヴルレイに秘められし真の力。
 魔剣に封じられている大悪魔イーヴルを憑依させて一時的に爆発的な力を引き出すという、魔戦士クロンダイクの奥の手である。
 ……ただし、憑依中はイーヴルに侵食され続ける為に、戦いが長引けば自らの魂を食われて身体を乗っ取られかねない、諸刃の武器なのだけれど。
「く……ぁ……っ」
「ヘッヘッヘ……何なら、自分の剣で斬られてみっか……?!」
 それから、力点をずらせて流すコトが出来ずに真っ向から受け止めてしまった為に、鍔迫り合いになったまま、グイグイと自分の刃を胸元へ押し込まれてゆくリコリス。
「じ、じょーだんじゃないわよ……っ!そんなみっともないやられ方……ッッ」
「ぬ……?!お、おお……」
 しかし、それに対して文字通り「豹変」した魔戦士の動きに顔色を変えた勇者の方も、背中から天使の様な白銀の翼を具現化させると、逆に少しずつ押し返していった。
「ヘヘ、その翼には見覚えあンぜ……?そうこなくっちゃなァ?」
「くっ、てこずらせるなぁ、もう……!」
「だから……楽しいだろ?オレはな、あれからずっと待ってたンだ……!」
(これで、どちらも切り札を出しましたわね……)
 特務機関の調査記録によれば、あの翼は予め聖霊の加護を吹き込まれた補助装備で、この魔界では補充が出来ない為に、使い切ってしまえばそこでお終いらしい。
 ……つまり、ここから先は互いに悠長な戦いをしている暇は無いハズである。
「んなの、アンタの都合だけ……えやあ……ッッ!」
 やがてその後、パワーを増したリコリスがクロンダイクの剣を捌いて鍔迫り合いから脱出すると、体勢を整えるつもりか、一旦距離を開けようとしてゆく。
「逃がすかよ!!だりゃりゃりゃりゃぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
「…………っっ」
 しかし、空中へ逃げられれば不利なクロンダイクはそれを許さず、瞬間移動に近い素早さでリコリスに張り付き、先程とは比べものにならない苛烈な連撃を叩き込んでいった。
「んぐ……っ?!」
「オラオラオラオラァ!どうだ、アツくなってきたろーが?一瞬でも気ィ抜くと死ぬぜェ?」
「……この……戦闘バカ……っっ、あたしが一番嫌いなタイプ……ッッ」
 それでもリコリスは何とか受け続けてはいるものの、さすがに先程までの余裕は感じられず、表情にも焦りが浮かび上がっているのが見てとれる。
「く……つぅ……っ!」
 ……ほら、今度は完全に受けきれずに、少しずつ傷が入り始めてきているし。
「…………っ。(ぎゅっっ)」
「……お嬢様……」
 そして、それを見たプルミエ様が震える手を一段と強く握り締めて来るものの、今度は楽観的な言葉は返せなかった。
(気の毒だけど、モタモタしている間に、もう勝ち時を逃してしまったみたいですわね……)
 なるべく敵を無傷で負かせようなどと、魔将相手に甘い心構えで戦っていたコトを今更後悔しているだろうが、もう手遅れである。
 ……何故ならば、彼がこの技を使って生き延びられた相手は、先代陛下とラグナス・アーヴァインのただ二人だけなのだから。
「…………」
 けれど、逆にもしも、ここから彼女が逆転出来たりしたのならば……。
「く……ッッ」
「ケッ、勇者が戦いたくないたァ笑わせんじゃねーよ。テメェにはオレ達の恨みを受け取める義務があンだ!テメェの親父に殺られて散って行った、同胞達の為にもな!」
「知ったこっちゃないわよ……!パパはパパで、あたしはあたしっ!」
「テメェが知ったこっちゃなかろーが、オレ達はしっかり恨みを残してンだよ!そしてこの因果は決して消えるもんじゃねーんだ!」
「…………っ!」
 すると、そんなコトを考えていた矢先……。
(あ……)
 やがて、優位を確信したクロンダイクの一方的な言い分を受けて険しくさせたリコリスの目に、初めて殺気が宿ったのに気付く私。
「……だったら……」
 そして、ぼそりと呟いた直後……。
「だから、このままオレに大人しく殺られ……うおッッ?!」
 初めて彼女の方から一歩前へ出ると同時に、不意を突かれて一瞬だけ動きを止めたクロンダイクへ向けて、強烈な反撃の一撃が振り下ろされた。
「へへ、やっとやる気になりやがったってか?」
「……あのさぁ、あたしだって……憎しみを完全に捨てられたワケじゃないんだよ……?!」
「……んだと……?」
「だって、あたしの故郷や家族は……あんた達、魔将に滅ぼされたんだから……ッッ!」
「て、テメ……がぁっ?!」
 それから、リコリスは目に涙を溜めつつ感情を爆発させながら、怒りのままにイーヴルを憑依させたクロンダイクの魔剣や鎧へ斬撃を叩き込み、逆に圧倒しつつ追い詰めてゆく。
「んな、なんだ……ぐおッッ?!あがッッ?!」
「…………!」
「ウソ……でしょう?」
 ここで攻守が逆転したどころか、あの捨て身のクロンダイクの反応速度を遥かに超える動きを……。
「だけどっ、そうやって恨みを引きずっても、永遠の苦しみになるだけじゃない?!あたしが今更あんた達を斃したって、殺された誰も戻ってきやしないんだから……!」
(…………っ)
 元々、初めて遭遇した時の身のこなしから、ある程度の力量は認めていたつもりだったけど、とうとう本気を引き出された今の彼女のチカラは、私の想像を遥かに超えていたと言わざるを得なかった。
(クロンダイク……恨みますわよ……!)
「うるせェェ!だったら、このオレが今からそいつらのモトへ送り届けてやンよ!」
「ぐ……っ!」
 そこで、クロンダイクもこのままでは一方的に押し切られてしまうと悟ったのか、相打ち覚悟での強引な体当たりを決めてリコリスを一瞬だけ怯ませると、残像を残しながら全力で後退した後で、振りかぶった魔剣の先に、どす黒い魔力を急速に集中させてゆく。
「…………っ?!」 
 あれは……!
「やめなさい、クロンダイク!ここでその技を使えば……!」
 それを見るや、反射的に制止の叫びを飛ばす私。
 ……どうやら、クロンダイクは最期の攻撃のつもりで憑依させたチカラを一気に解放してしまうつもりみたいだけど、制御不能な暗黒魔力の暴走は相手(リコリス)や観衆どころか、下手したらお嬢様まで巻き込んでの甚大な被害が出てしまう。
「知るかよ!どいつもこいつも消し飛んじまえ!!」 
「はぁぁぁぁぁぁ……ッッ!」
 しかし、それに対してもリコリスは怯むことなく背中の翼を大きく広げ、正に疾風の様な動きで敵の懐へ飛び込んで行ったかと思うと……。
「死ィ……ぐぁおおおおおおおおおおああッッ?!」
 目にも留まらぬ抜刀一閃を薙ぎ払った直後、クロンダイクの纏っていた自慢の鎧が粉々に砕かれ、彼の身体も錐揉みさせながら遥か後方へと吹き飛ばされてしまった。
「だぁぁぁぁぁぁぁぁ……ッッ!!」
 そして、リコリスはトドメを刺すつもりなのか更に追撃すると、石畳子へ叩きつけられた敵魔将へ向けて剣を構えて急降下してゆく。
「…………!」
「リコリス!それ以上は……!」

 ガキィィィィィィィィッッ

 ……しかし、やがて勇者の聖魔剣の切っ先が突き立てられたのは、動く余力すら果てたクロンダイクの首ではなく、彼の耳元の地面だった。
「リコリス……」
「…………」
「て、テメェ……なんで、トドメ……刺さねェ?!」
「……なんでって、必要無いからに決まってるじゃん?」
 それから、すっかりと静まり返った庭内で、息も絶え絶えな声を振り絞りながら睨むクロンダイクに、ラグナスの娘は素っ気無くそう告げて、そのまま剣を引き抜いてしまった。
「ち、チクショウが……!あの時もそうだった!なんでテメェら親子は揃って俺に生き恥をかかせようとしやがる……!」
「……弱いからでしょ?今も昔も……」
 そして、冷たい視線で見下ろしながらそう告げると、聖魔剣を鞘に納めて彼の元から離れて行くリコリス。
 ある意味、クロンダイクにとっては殺されるよりも遥かにつらい仕打ちだろうけれど……。
「……ぐっ?!……へ、へへ、だが違ぇねェ……。単にオレが弱ェからこんな目に遭っちまう。それだけのハナシだよな……」
 それでも、クロンダイクは自虐に満ちた笑みを見せて敗北を認めた後で、手遅れになる前に憑依を解いてしまった。
「クロンダイク……」
「ともかく、これで俺は……脱落だな。少なくとも、魔王の座を狙う器なんかじゃねェ……」
(脱落、か……)
「……そうね、しばらく頭を冷やすといいわ、クロンダイク」
 出来ればそのまま、しばらくと言わず当分は大人しくしていて欲しいくらいだし。

「…………っ!(ぽかぽかぽかっ!)」
「あたたた、ゴメンゴメン。あたしは無事だってば……」
 それから、ようやく繋いでいた手が離れるや否や一目散に駆け寄り、涙目を見せながら「心配かけるな」とばかりに力の限り叩いてくるお嬢様を、リコリスは頭を撫でながら苦笑い交じりで受け止めていた。
「本当に大丈夫ですの?何だかんだで、ギリギリの戦いに見えましたけれど」
「そりゃ、ノーダメとは言わないけどさー。でも勇者たる者、そんな簡単に死にやしないから。へへ」
(まぁ、そうなんでしょうね……)
 実際、ラグナスが乗り込んで来た際も、宮殿内で不死身じゃないかって噂があっという間に広まったくらいだし。
 けど……。
「……まったく、どうせなら死なない程度で負けてくだされば良かったのに」
 ホント、こちらの気も知らないで空気が読めないのだから。
「あ、ひでぇ……。いくらなんでも、そこまで器用な芸当はムリだってばさ」
「そんなコト、言われなくとも分かっておりますわ。しかし……」
「しかし?」
「……いいえ、何でもありませんわ……」
 これでまた、我が主の立場が危うくなってしまった。
 見た目こそ近い年頃の小娘だろうが、勇者の方の実力は間違いなくホンモノであると、こうして皆の前で実証してしまったのだから。
(ホント、余計なマネをしてくれやがりましたわね、クロンダイク……!)

                    *

「あたたたっ、そこ傷っ、しみる……っっ」
「…………」
 やがて日も落ちて、普段より少し早めに迎えたおふろの時間、昼間にたっぷりとかいた汗を流してあげるつもりで、わたしが石鹸をなじませた手ぬぐいを手に背中や両腕、両足などをごしごしと擦ってゆくと、リコリスは時折びくんと身体を悶えさせながら痛みを訴えてくる。
「我慢なさい。お嬢様直々に洗っていただけるなんて、光栄の極みですわよ?」
「あはは……。いやーでも、結構傷が入ってるもんだねぇ」
(……ホントだ……。こことかも、ちょっと切れてるし……)
 あれだけの激しい戦いの中で、大けがに繋がる有効打こそ受けてはいないものの、こうして裸になったあとでよく見てみると、露出していた手足などのいたる部分には、思っていた以上の生傷が入っているみたいだった。
「は〜〜……っ、あたしもまだまだ未熟やねぇ……あいたたた……」
「まったくですわ、と言いたい所ですが、貴女にはこれ以上強くなられても困りますわね……」
 そこで、ため息まじりに自虐っぽくぼやくリコリスへ、なにやら困った顔で呟き返すフローディア。
「…………」
(これ以上強くなられてもこまる、か……)
「えー、なんでよ?勇者なんだから、勝てない相手とか出てくるとマズいじゃん?」
「まぁ、それはそうなんでしょうけど……」
「…………」
(やっぱり、それは魔王であるわたしも同じなのかな……?)
 幼いころ、魔界の魔王と人間界の勇者は永遠のライバルだと聞かされたことがあるし、実際に父(とと)さま)たちは互いの世界の命運をかけて戦ったけど、今のわたしとリコリスじゃ、とてもそんな関係になりえそうもなかった。
「…………」
(……まぁ、べつになりえる必要もないんだろうけど……)
「うをおぅ……っ?!」
 しかし、そこで何だか無性にリコリスのぬくもりが恋しくなったわたしは、背中からぎゅっと抱きついてしまう。
「な、なに?どうしたの?」
「お嬢様……」
「…………」
(でも……。なんだろう?この気持ち……)
 わたしのリコリスの強さに頼もしさを覚える反面で、取り残されてしまったような寂しさと無力感。
「あの……背中ぐりぐりされると、くすぐったいんですけど……」
「……我慢なさい。それが凄く羨ましい人だっているんですから」
「いや、そー言われてもね……」
「…………」
 ……たしかにフローディアの言うとおり、これ以上は強くなんてならないでほしいかも。
(もしくは……わたしの方が強くなるべきなのかな……?)
 正直、これまで強くなることにはあまり興味なんてなかったものの、ここにきて自分の中で焦りがめばえてきてしまっている。
 自分が「お姫さま」のままなら、リコリスに護ってもらう存在でよかったけど、今のわたしは魔王なんだから……。
「…………」
(でも、今のままじゃ……)
「まぁ、でもさー、『もう、ここまででいいか』なんて思っちゃうと、人生がつまんなくなりそうだしねぇ?それに、いくらあたしが天才的だからって、まだまだ成長期だし〜」
(成長期、か……)
 わたしだって、おそらくそうなんだろうけどね。
 ……せめて、言霊が封じられてさえいなければ……。
「……確かに、まだまだ成長の必要がある部位は多そうですわね?」
 すると、ちょっとウザいくらいの自信に満ちあふれるリコリスに対して、彼女の胸元へ意地のわるい視線を向けながら同意するフローディア。
「ほ、ほっとけ……っ。いいのっ、勇者はムネなんて大きくったってジャマなだけだし……」
「あら、それはなかなか殊勝な心がけですわね?」
「……そりゃーまぁ、もうちょっとくらいは膨らみが欲しいかなーとは思うけど……」
「…………」
(んじゃ、わたしが協力してあげる……)
 そこで、リコリスが人さし指同士をもじもじと合わせながら控えめにぼやいたのを見たわたしは、背中から回した手で、つつましくも柔らかい胸を鷲づかみにしてやった。
「って、ぎにゃ〜〜っっ?!」
「我慢なさい、お嬢様直々に……」
「もうええっちゅーねん、それ……っっ」
「…………」
(……うん、こっちの方はまだとり残されていないかな……?)
 どちらにしても、フローディアと比較されたら、一緒に泣きたくはなるけれど。

                    *

「…………」
「…………」
「……えっと、もしかして留守の間に勝手に戦ってたの、まだ怒ってる?」
 やがて、お風呂から上がったあとで魔将同士の会合の招集を受けていたフローディアと別れ、寝室で二人きりになったわたしたちは、しばらくテラスの長椅子へ肩を寄せあいながら座っていたものの、リコリスの方はしきりにこちらの様子を気にしているみたいだった。
 それはおそらく、さっきお風呂で抱きしめてしまったのを除けば、クロンダイクとの戦いが終わったあとからこっち、わたしがむくれた態度を見せ続けているからだろうけど……。
「でも、アレは仕方が無いってばさー。あたしも最初は隙を見て逃げるつもりだったんだよ?」
「…………」
 ただ、フキゲンな心地になっているのは認めるとしても、理由はそんなコトじゃないし、そもそもいら立ちを感じているとすれば、リコリスじゃなくてわたし自身にである。
「……まぁ、ちょっと相手を甘く見て、てこずっちゃったのはあたしの失態だけどさ。パパが見てたら怒られてたかな?」
「…………。(ふるふる)」
(ちがう……。本当は、わたしが止めなきゃならなかったんだよね……)
 失いたくない人が、生と死の狭間をさまよっていたというのに、わたしはただ黙って見ているしかできなかった。
「だけどさ、フローディアさんが銃を抜こうとした時、あたしや他の人を巻き込みそうだからって咄嗟に止めたよね?あれ見て、やっぱプルミっちゃんって優しい魔王サマなんだなって」
「…………」
(ううん……。今は優しさなんかよりも、チカラや命令する声がほしい)
 魔王らしく、わたしのリコリスを傷つけようとしていた彼をねじ伏せて黙らせてしまうか、せめて及ばずとも、自ら制止をさけびたかった。
(ホント、皮肉な話だよね……)
 リコリスに惹かれていけばいくほど、この身の呪いを解きたくてしかたがなくなってくる。
 ……でも、その代償は、これもまた決して失いたくないモノであって。
「まーまー、ちゅ〜してあげるから、キゲン直してよ?」
「…………っ!(ふるふるっ)」
 そこで、とうとう力技に訴えようと、唇を伸ばしながら抱きついてくるリコリスに、あわてて首を振りながら押しのけるわたし。
(リコリス……わたしだってホントは……)
 できるものなら、こちらから抱きしめて唇を重ねてあげたいけど、でも今は無理。
 ……だって、もしもわたしの呪いが解ける日が来たら、きっとリコリスはこの口づけを一生後悔するコトになるだろうから。
「あはは、冗談、じょーだん」
「…………」
(……一体わたしは、どうすれば……)
「…………」
「……でも……」
 しかし、それからようやく、いつもの屈託の無い笑みを浮かべながらちゅーをあきらめたリコリスが、ふたたびわたしの隣に肩を寄せて座りなおしたかと思うと……。
「…………」
「……ね、プルミっちゃん……呪い、解きたい?」
 少しだけ沈黙の間をおいた後に、星空へ視線を向けたまま、ポツリとそう切り出してきた。
「…………っ?!」
(な、なに、いきなり……?!)
「んでさ、どうやって?とか、そういうのは置いといて、『うん』か『ううん』だけで答えてくれるかな?」
 そんな、いきなり過ぎる不意打ちに、電撃が走ったような衝撃を受けて硬直してしまったわたしへ、今度はこちらの目をしっかりと見据えながら、珍しい真顔でシンプルな答えを求めてくるリコリス。
(そ、それは、まぁ……)
「…………」
「…………。(こくり)」
 やがて、じっと見つめ続けてくるリコリスの視線に促されるようにして、わたしはためらいがちに小さく頷きかえした。
 彼女の言葉どおり、すべての事情をとり払って考えるのなら、答えは決まってる。
 ……でも、その方法はまだ教えていないはずだけど、まさかすべてを知ったうえで問いかけているのだろうか?
「ん……分かった。んじゃあさ、これからちょっとばかりあたしに付き合ってくれるかな?」
 すると、フクザツな気持ちをおさえきれずに見つめ返しながら、リコリスからの次の言葉を待っていると、こんどはイタズラっぽい笑みをわたしに向けてそう告げてきた。
(え……?)
 なんだか不穏な空気を感じるけど、一体、なにを考えてるんだろう?
「……今夜は風が強くてちょっぴり寒いけど……まぁ、翼で降りていけばすぐだから」
「…………!」
 それから、立ち上がってテラスの柵から夜景を見下ろしてゆく姿を見て、彼女がこれからなにをしようとしているのか、ようやく察知するわたし。
(まさか、まさか……)
「あはは、今度こそガチンコでフローディアさんに撃ち殺されてしまいそうだけど……でも……」
「…………っ」
「プルミっちゃんは、そろそろ一歩踏み出した方がいいと思う。これから待つ自分の運命がどうなるかは分からないとしても、ね?」
 そして、立ち上がったまま再び動けなくなってしまったわたしへ向けて、リコリスは優しい目を見せながら歩み寄り、誘うように手をさしのべてくると……。
「…………」
「…………っ。(こくんっ)」
 わたしは急速に高鳴ってきた胸の動悸に足を震わせながらも、首を縦に振って彼女の手をとってしまった。

                    *

「……して、クロンダイクの処遇はどうなるのだ?」
「結果的には大きな損害は出ませんでしたし、これまでの功績も考慮されて極刑は免れるとしても、魔将の地位を剥奪されるのは避けられないでしょうね。魔王陛下への反逆行為を働いた罪は重大ですから」
 やがて、お嬢様と別れて出向いた魔将同士の会合の席で、最年長で筆頭格である魔狼クェイルードから勇者に敗れた仲間の後始末を尋ねられ、私は魔王プルミエ様の片腕として、淡々ながらも断固とした意思を込めて回答していた。
 先代陛下の御世ならば、反逆者は間違いなく処刑されていただけに、彼には命が助かっただけで有難いと思ってもらうしかないけれど、それ以上に私は怒っているのだから。
「ふぅーん……。それで、勇者さんの方は?」
「本来ならば、騒ぎを起こした両成敗という形にしなければ収まりがつかない所でしょうが、元々は一方的にクロンダイクが挑んだ戦いですし、お嬢様の警護の問題もあるので、投獄は免除としました」
 続けて、魔躁ヴェルジーネからリコリスへ矛先が向けられた所で、「お嬢様の警護の問題」という部分に、たっぷりと嫌味を含めて報告する私。
 証拠こそ挙がらなかったものの、この二人には罠にかけられた疑惑があるし、またも会合へ出席している間に狙われるなんて失態を繰り返すわけにはいかない。
「……つまり、勇者の側に一切非は無しという判断か。随分と彼女の肩を持つのだな?」
「私が肩を持つのは、あくまでプルミエ様にですから」
 そもそも、私がクロンダイクを許せないのは、リコリスがお嬢様から従属の首輪を受けた所有物と分かっていながら手を出した行為であって、それについては相手が同僚だろうが敵であろうが、一切区別するつもりはなかった。
「む……」
「でも、私もこっそりと見てたけど、なかなか見事な戦いっぷりだったわねぇ、噂の勇者様。あのクロンダイクが完膚無きままに叩きのめされてしまうなんて、魔将のメンツもこれで木っ端微塵かしらん?」
「……貴女がそう思うのならばそうなのでしょう、ヴェルジーネ……」
 ただ、更に苛立たしいのは、今回はそれだけでは済まなくなってしまったというコトである。
「もう、フローディアちゃんは、すぐ真に受けちゃうんだから……ふふ」
「……ちなみに、彼の前に私も罠を仕掛けて接触してみたんですけど、あっさりと全てが返り討ちに遭ってしまいました」
 それから、ヴェルジーネの言葉に呼応して、今度は私の隣の円卓に座っていた「魔識」のフルールが淡々と切り出してくる。
「呆れた……。やっぱり貴女も手を出していたんですの、フルール……」
 一応、リコリスからは先日の会議の間の待機時間に書庫へ行って、生真面目そうだけどカワイイ司書長さんに案内してもらったという報告は聞いていたものの、どうやら普通に楽しく読書していただけじゃ済んでいなかったらしい。
「ええ……ですが、本に仕込ませていた魂喰いの悪霊は、全く歯が立たないまま相手の魂の輝きによって浄化され、昇降装置で挑んだエレメントの支配勝負は完全に私の負け。……おそらく、勇者さんの方は罠にかけられた事実すら自覚していないと思いますけど」
「でしょうね。面白い昇降装置があって、魔界の技術力すげぇとはしゃいでいましたわよ?」
「そうですか……。となれば、精霊魔法での本気の勝負に持ち込んだとしても、この私では勝ち目など無いという事になりますね」
「……なにせ、勇者の後ろ盾になっている人間界の守護神の正体って、エレメントが具現化した姿という話よ?フルールの報告を聞く限りじゃ、体術だけじゃなくて、そっちの方もしっかりと使いこなしているみたいだし、弱点が全く見当たらないわねぇ?ふふふ……」
(……まったく、どいつもこいつも余計なマネばかりしやがるんですから……!)
 せっかく、余計な手出しをされない様にお嬢様が従属の首輪を着けられたというのに、一番肝心な連中には効果が無かったみたいである。
「……つまりだ、あの勇者の方は先代と引けをとらぬ力を秘めておると?」
「まだ、そこまで結論付けるのは早計だと思いますけれど、ただ少なくとも、あのラグナス・アーヴァインの後継者と名乗るに相応しい実力者であるのは疑いないと思いますわ」
 そして、改めて口にしたくない結論を求めてくるクェイルードへ、渋々ながらも同意する私。
 今になって思えば、だからこそ単独でお嬢様の顔を見に魔王宮へ忍び込んだり、捕まった後も妙に余裕のある態度を崩さなかったワケである。
 ……無論、私の方も外見や言動で、彼女を少々甘く見ていたのは否めないとしても。
「しかも、父親似で怒らせたらコワそうよ?……だけど、本気でやり合って勝てないとまでは思わないけれど……うふふふ……」
 ともあれ、そんな結論にヴェルジーネはいつもの様に悲観的な言葉を呟いた後で、今度は妖艶な笑みに残忍な眼光を宿らせて、それを覆してくる。
「もちろん、それは私とて同じですわ……」
 あっさり兜を脱いだフルールと違い、私にはリコリスに遅れをとるわけにはいかない理由も矜持もあるのだから。
 ただ……。
「しかし、従属を強制する首輪で手綱を握っておるとはいえ、現状のプルミエ様のチカラでは間違いなく当代勇者には対抗出来ない。……そういう事だな、フローディア?」
「それは……」
 問題なのは、勇者と対になるべきは魔将ではなく、魔王様自身というコトだった。
「まぁ、魔王と勇者の本来あるべきパワーバランスは崩壊していると言わざるを得ませんね」
「……フルール……」
 それはもう百も承知だし、だからこそ今更ながらリコリスをプルミエ様のお側へ置く事に同意した判断を後悔しはじめてもいる。
 ……けれど、元々そんな状況を作り出したのが、お嬢様を狙う不届き者達の所為なのだから、それが結果的にプルミエ様の立場を更に危うくしたのが、私とっては何より苛立たしかった。
「……さてどうするね、フローディア。これで、現魔王陛下の体制は早くも限界を迎えている事実を示してしまったのではないか?」
「ええ、少なくとも、勇者(リコリス)に対抗し得る力を持つ魔王が必要、というのは前提条件かしらね?」
「それは……クロンダイクにも言いましたが、まだプルミエ様が勇者より弱いと決め付けるのは間違いでしょう?呪いさえ解ければ、お嬢様に秘められた御力は……」
「あらまぁ、フローディアちゃんらしからぬ現実逃避ね。それで、姫様の呪いを解いて差し上げる為の具体的な方策はあるのかしら?」
 そして、痛い所を容赦なくグサグサと突き刺しながら、自分勝手な言い草で話を進めようとする二人へ、対抗意識を剥き出しで反論する私なものの、それもヴェルジーネに冷たくあしらわれてしまう。
「少なくとも、以前より可能性は高まっていますわ。……何せ、お嬢様の呪いの元凶の娘が、こちらへノコノコと来ているのですから」
「ふーん……。で、私達にふんじばって仇のもとへと案内させるのを手伝えとでも?それより、あの娘に勝てた者を次の魔王に任命した方が早いんじゃないのかしら?」
「……あ、貴女には、魔将としての忠義はないのですか?!我々は魔王陛下直属の……」
「見解の違いだな。元々我ら魔将が忠誠を誓ったのは先代のウォーディス様にだ。違うかね?」
 それからとうとう、感情的になって食って掛かってしまうものの、今度はクェイルードに一刀両断されてしまった。
「…………」
(……ああ、そうでしたわね……)
 私と彼らでは、立場がそのものが違うから……。
「……しかし、ヴェルジーネの提案は悪くないな。真の新しい魔王を選ぶのに、それ以上皆が納得する根拠はあるまい?」
 しかも、そこから更に不遜で身勝手極まりない台詞を続けてくるクェイルード。
「その様な勝手な申し出、プルミエ様や諸侯から了承されるとでも……」
「だ・か・ら、それを説得するのがあなたの役目よん、フローディア?」
 当然、私は即座に切り捨てようとしたものの、言い終わらぬうちに片目を閉じたヴェルジーネから、血迷った要求を突き付けられてしまう。
「な……っ?!」
「穏便に上手く話をつけられれば、少なくとも姫様の御命だけには危害が及ばなくて済むわよ?唯一の姫様付きの魔将であるあなたの望みは、魔王の座の維持よりも、そっち優先じゃないのかしら?」
「……う……っ」
 確かに……そうかもしれないけれど……。
「……それに、こちらが勇者に挑んで全滅した後での保険にもなりますしね。まぁ、私はまだ再戦は挑みませんけど」
「…………」
 だけどそれは、リコリスにとってあまりにも理不尽で酷な話というもので。
(……でも、本当にあの子は、一体何の為にお嬢様の前へ現れたのかしら?)
 度胸試しと言いながらも、私としては何だかんだで彼女はラグナスの差し金と考えているし、プルミエ様の支配下にある現状も、強制されているというより、むしろ自ら望んでその立場に留まっているんじゃないかとも思えている。
(ただ、そうだとしても、彼女の目的が……)
 次代の魔王が再び人間界へ侵攻して来るのをラグナスが警戒して様子を見に行かせたとして、未だ帰して欲しいと泣き言の一つも無いのは、当代の魔王と勇者の力の差を見せつける為?
「…………」
(それとも、実は私と同類、とか……?)
「……で、どうするのフローディア?姫様は説得してくれるの?」
「そ、それは……」
「すいません、会議中失礼します!……た、大変な事になりましたよ、フローディアお嬢様っ!」
 ともあれ、それから私が言葉に詰まった所で、突然に円卓の間の扉がノックも無しに開かれたかと思うと、ブッシュミルズの諜報員をしている元従者が、エプロンドレス姿で駆け込んで来た。
「フィオナ……。一体何事ですか?」
 というか、彼女は私の前へはメイドの姿で出てくる掟でも自分で作っているのだろうか。
「お、お、落ち着いてよく聞いて下さいね?!つい先程、プルミエ様が連れ去られた模様です。件の勇者殿にっ」
「もう、まず落ち着くべきはあなた……って、なっ、なんですってぇ……?!」
「な、なんと……!」
「あらあら……」
 しかし、そこでまずはツッコミを入れかけたのも束の間、それから落ち着きの無い口ぶりで続けられた想定外の緊急報告に、私だけでなく他の魔将達も巻き込んで騒然とし始めてゆく。
「そ、それで、リコリスの逃亡先は……?」
 まさか、これを狙って今まで居続けた訳でもあるまいし、そもそも一体何の為に。
「それがですね……。どうやら勇者殿は姫様を連れて寝室のテラスから宮殿裏のフェレスの森へと降りた後に、こちらへ来る際に用意していた“穴”を利用して帰っていったのではないかと思われます」
「穴、だと?」
「ええ、昔にラグナス・アーヴァインが魔王宮へ乗り込む際に自作したゲートが、まだ塞がれずに残されていたみたいですね。……果たして塞ぎ忘れていたのか、敢えて残していたのかは分かりませんけど」
(……なるほど、そういう事でしたの……)
 あの戦いの後に、魔界と人間界を繋ぐゲートはみんな塞ぐ取り決めを交わしていた裏で、ラグナスは自分が作った一つだけは残しておいたと。
 そうなれば、ますます今回のリコリスの魔界訪問は彼の意思という可能性が高まるものの、とりあえずその件は今は置いておくとして……。
「という事はつまり、リコリスはプルミエ様を連れて人間界へ……?」
「そうなりますねぇ……。なにげに歴史的な出来事になりますが」
「ははーん、そろそろ帰りたくなったけど、首輪が邪魔だから姫様ごとってコトかしら?」
「ふっ、だとすれば、小娘に見えてなかなか豪胆よの」
「……でも、ちょっぴり面白そうですね。私も一度くらいは人間界へ行ってみたいですが……」
「ええい、冗談じゃないですわよ……っ!」
 一体全体、どういうつもりですの、リコリス……?!

第五章 悲怨のゆく先

「ふぁ〜あ……。ちょっと寝坊しちゃったねぇ?」
「…………。(こくこく)」
 やがて、いつもとは少しばかり違う空気の中で目が覚めた翌日、キッチンのテーブルの向かいに座って、パンにバターを塗りながら眠そうな顔で呟くリコリスへ、わたしは淹れてもらったコーヒーの入ったカップを手にしたまま、小さく頷きかえす。
 ……というか、実際にはちょっとどころか、もうお昼が近いみたいだけど、エプロン姿のリコリスに叩き起こされるまで客室で眠っていたわたしの方がお寝坊さんだから、とりあえず同意するしかなかった。
「まぁ、何だかんだで帰ってきたのが遅かったし、別に慌てる旅でもないから、プルミっちゃんものんびりしてってよ?」
「…………。(こくっ)」
 たしかに、用意してもらった客室のベッドに入った時は、もう空の色が変わってきていたし。
「…………」
(やっぱり、まだちょっとねむい……)
 ともあれ、昨晩に魔王の証だけを携え、リコリスの誘いを受けて連れ去「られた」わたしは、フェレスの森の中にこっそり作られていた秘密のゲートから、ラグナス親子が普段住んでいるらしいルルドという町の近郊にある遺跡へと飛び、そこから歩いて実家まで案内されていた。
 しかし、着いた先のお屋敷は戸締りがされていて家主も不在らしく、とりあえず今夜はここへ泊まるコトになって、今はこうしてリコリスが用意してくれた朝食を二人きりで食べているわけだけど……。
「…………」
(なんか、ちょっと寂しいかんじ……?)
 魔王のライバルにして、人間界の切り札といわれる勇者の住まいのわりには慎ましくも、親子二人で暮らすにはあり余っているといった広さのお屋敷の中は、わたしたちのほかには使用人もいないから、ちょっと生気に乏しくて廃墟の中にいるような空虚感が漂っていたりして。
 ……慌てて掃除をしてくれた後でも、客室は少しばかり埃っぽかったし、それこそ、リコリスってほんとに普段ここに住んでるのかな?と少しばかり疑ってしまいたくなるくらいに。
「ん?どしたのきょろきょろして?落ち着かない?」
「…………。(ふるふる)」
 もちろん、それは今までずっとわたしがリコリスを魔王宮に閉じ込めていたからというのもあるんだろうけれど……。
「でもさー、さっき朝ごはん作る直前に、保存してた食材とか痛んでないか心配しちゃったけど、考えたらそんなに長くは魔界に滞在してないんだよねぇ。あはは」
「…………」
 そういえば、リコリスが現れたあの夜から、まだ半月もたっていないくらいだっけ?
「なーんか、手持ち無沙汰ながらイロイロあったから、感覚的には結構長居しちゃったカンジだけど」
「…………。(こくり)」
 うん、それはわたしも同意。
 ……いや、自分にとっては結構あっという間だったけど、それでも思い返せばリコリスとはまだ知り合ったばかりというのは、ちょっと信じられない感じがしているし。
「ところでさ、そのマーマレードはどう?おいしい?」
「…………。(こくこく)」
 ともあれ、それからリコリスお手製らしいオレンジのマーマレードを塗った焼きたてのパンを少しずつかじっていたところで感想を尋ねられ、すぐに首をなんども縦に振るわたし。
 同じ手作りでも、宮廷料理にはない素朴さがあって、新鮮味もだけど純粋に好きな味だった。
「あ〜よかった。魔界へ発つ前に作っといたものなんだけどさー、プルミっちゃんの口に合ってなによりだよ」
「…………。(こくり)」
 ほんと、ずるいくらいに相性がいいんだから……。
「……ほら、向こうにいた時は宮廷のごはんを一緒にご馳走になってたからさ、今更あたしの手料理なんて食べてもらえるのか、ちょっと心配だったりしてね?」
「…………っ。(ふるふるっ)」
 たしかにメニュー自体は、トーストした焼きたてパンに、焼いたベーコンとサラダにトマトのスープというシンプルなものだけど、宮殿でひとり食べていた時よりも全然おいしく感じていたりして。
「…………」
(それに……)
「……ん……?」
(リコリスって、案外エプロン似合ってる……)
 料理の腕も悪くないみたいだし、こう見えていいお嫁さんになったりするんだろうか。
「……な、何だよぉ。どうせ、エプロンが似合ってないとか思ってるんでしょ?」
 しかし、それからじっと見つめるわたしの視線を受けて、自分の感想とは逆の解釈をされたみたいで、拗ねたような反応を返してくるリコリス。
「…………っ。(ふるふるっ)」
「いいのよいいのよー。あたしも自覚してるし、やっぱ食べるだけの方が楽だしね〜」
「…………」
(……はぁ、やっぱり肝心なところは全然通じてないし……)
 ただまぁ、これは敢えて言葉には出さないほうがいいのかもしれないけれど。
 ……自覚してないのなら、ヘンに色気づかせたくないしね。
「…………」
(そういえば、リコリスって好きな人とかいるのかな……?)
 もし言葉が戻ったら、リコリスに聞いてみたい質問のひとつだけど、はたしてこれからそんなコトを気軽に聞ける関係のままでいられるのだろうか。
(この、おいしい手料理だって……)
 今日が最初にして食べおさめとか、そんなのイヤである。

                    *

「…………」
 やがて、食事と共同作業の片付けが終わったあとで、リコリスから先に用事を片付けるからしばらく自由にしていてと言われ、適当にお屋敷の中を歩いていたわたしは、なんとなく一階にある書斎らしき部屋を見つけて入っていた。
(ここはもしかして、ラグナスの部屋、かな……?)
 客間の倍くらいはある広い室内は、部屋の壁を敷きつめるようにして本棚が並び、窓際の隅には紙やペン、インクなどが散乱した立派なつくりの机と椅子が設置されていて、いかにも執筆活動をしている部屋って雰囲気である。
(ん……?)
 そして、机の上に投げられた数冊の書物の表紙には、いずれも『ウォーディス戦記』と記されているのに興味をひかれて手にとってみると、作者名の欄にラグナス・アーヴァインの文字が確認できた。
「…………」
(なるほど、引退後はもの書きになってたんだ……?)
 さらによく観察してみると、本のそばに重ねられている紙の束には書きかけの草稿らしき文字がびっしりと書き込まれているし、どうやらラグナスがここで原稿の執筆をしているのは間違いないみたいだった。
「…………っ」
(ホントに、たどり着いちゃったんだ、わたし……)
 本人こそここにいなくとも、今わたしが立っている場所こそが、今までずっと無理とあきらめかけていた、この身の呪いを解くための目的地である。
「…………!」
(ん、あ、あれは……?!)
 それから、室内をぐるりと見回してみたところで、ソファーがある向かい側の部屋の奥に見覚えのある装備一式が肖像画と一緒に飾られているのが目に入り、たかぶる胸の鼓動に駆り立てられるがまま、持っていた本を置いて駆け寄ってゆくわたし。
「…………っ」
 見まちがうはずもない。
 これは、父(とと)さまとの最終決戦で、勇者が身につけていた装備。
(そうだ……。あのときの勇者ラグナスはこれを着て、父(とと)さまを……)
「…………」
 それから否応なしに、父(とと)さまがトドメを刺されてわたしの名を呟きながら崩れていった光景が、脳裏へ鮮明に浮かんできてしまう。
「…………」
(……あれ?)
 ……しかし、ここで怒りとか憎しみといった暗い情念が思ったより湧き出てこなくて、逆に戸惑いを覚えてしまうわたし。
 もしも、あの場でフローディアが身を挺してわたしを止めていなかったら、間違いなく爆発した感情に駆り立てられるがまま、父(とと)さまを倒した敵のもとへ飛び出して行ったはずなのに、いまは不思議なくらいに実感が沸かなくなっていた。
「…………」
 あれから時間が経過するにつれて、憎しみも薄れていってしまっているのだろうか。
(……いや、そうじゃなくて……)
『だけどっ、そうやって恨みを引きずっても、永遠の苦しみになるだけじゃない?!あたしが今更あんた達を斃したって、殺された誰も戻ってきやしないんだから……!』
「…………」
 そこで、ふとクロンダイクとの戦いのときに、リコリスが叫んでいた言葉を思い出すわたし。
(恨みを引きずっても、永遠の苦しみになるだけ……か)
 だから、リコリスは父(とと)さまや彼女の故郷を直接滅ぼした者たちは恨んでいようが、他の魔将、そして魔王ウォーディスの娘であるわたしには、その矛先を向けなかった。
 もちろん、わたしには敬愛していた父(とと)さまを殺された憎しみだけじゃなくて、そのために言葉を失う悲怨の呪いがかけられてしまったという、やらねばならない仇討ちの理由があるけれど、それでもなぜかリコリスの言葉が胸に深く突き刺さってしまっている。
「…………っ」
(ホント、他に呪いを解く方法があったら良かったのに……)
 わたしにとってのリコリスとの邂逅は、最後は幸か不幸のどちらに転ぶのだろうか。
「…………」

 ガチャ

「あー、ここにいたんだ?んじゃ、そろそろ出かけよっか、プルミっちゃん?」
 ともあれ、それからしばらくラグナスの装備品を眺め続けながらも、頭の中はリコリスのコトで一杯になっていたところで、不意にドアを開けてきた当人が顔だけを出して促してくる。
「…………?」
 出かけるって……。
「うん。パパに会うには、街外れまで行かなきゃならないからさ。んで、道中ついでにルルドの町並みでも見物していけばいいよ。にひ♪」
「…………」
(見物、ね……)
 案内してくれるのはうれしいけど、でもわたしがここまできた目的を分かっていながら、どうしてリコリスはそんな慰められるような笑みを向けてくれるんだろう……?

                    *

「ん〜っ、旅はキライじゃないけど、やっぱ久々に地元へ帰ると落ち着く〜♪」
 それから、連れ立って郊外のお屋敷からルルドの市場通りへと出た午後遅く、ほどよい活気で賑わう街路を歩きながら、リコリスは嬉しそうな顔で両手をのばしていた。
「…………」
 ちなみに、はじめて目にする人間界の町並みは意外と似通っている部分も多くて、思ったより異世界といった感じが薄いのはやや拍子抜けだけど、ただ魔界と違って行き来する種族が人間ばかりなのと、また時おり見える崩れたままの建物などが示す戦災の爪あとが、わたしに息苦しさも与えていたりして。
(ここで、わたしが魔界から来たって知られたら、どうなっちゃうんだろう……?)
 ましてや、今のわたしは一応でも「魔王」なんだから……。
 ……と、そんなコトを考えたら、のんきに見物って気分にはちょっとなりにくいものの……。
「そーいえば、プルミっちゃんって人間界は初めてだっけ?興味がある場所を見つけたら、遠慮無しに言ってくれていいからね?」
「…………。(こくっ)」
(ありがと、リコリス……)
 ……ただそれでも、魔界ではしたくても叶わなかった、リコリスと二人きりでのお出かけだと思えば、正直これだけでも来たかいがあったと言えるのかもしれない。
「…………」
(だから……もう少しだけ、ね……)
「……おを……っ?!へへ……」
 そこで、わたしが手をのばして、相手の指と絡ませつつぎゅっと握ると、照れながらも嬉しそうな顔を見せて握りかえしてくるリコリス。
(できるコトなら、ずっとこうしていられればいいのに……)
 だけど、それは互いの立場を考えれば、けっして叶わぬ望み。
 ……そして、リコリスがわたしにそんな笑みを見せてくれるのも、きっと今のうちだけだろうから。
「…………」
「あー、そういえば晩ご飯はどうしよう?先に買い物しとく?」
 すると、そんな嬉しいのに切なくなってしまう、二律背反の想いを抱きながら歩くわたしを尻目に、リコリスの方は何気ない様子で、今度は夕食の話を切りだしてくる。
「…………?!」
 晩ごはんってまさか、呪いを解いた先までわたしの世話を焼いてくれるつもりなのだろうか。
 一応、彼女を縛っている首輪は、ラグナスと会えたときに解放してしまうつもりなのに。
「それと、もしかしたら少しばかり滞在してもらうことになるかもしれないから、着替えとかも買っといた方がいいかな?」
(え?!え……?)
 滞在?どういうコト……?
「まぁ、あたしのぱんつを貸してもいいけど、やっぱ気持ち悪いっしょ?」
(う、ううん、できればそっちの方がうれしいかも……)
 ってのは、ともかくとしてっっ。
「……っと、思ったけど、あまりモタモタしてたら日が暮れちゃいそうだし、まずはやっぱり、このままパパに会いに行っちゃおうか?」
「…………っ」
 しかし、頭の中が混乱しかけたのも束の間、結局は会話が元のさやに戻った後でリコリスの口から改めて出てきた「パパ」という言葉に反応して、どくんと胸が強く脈打つわたし。
「ね、プルミっちゃんも、その方がいいっしょ?」
「…………」
 たしかに、そうしたいコトはしたいけれど、素直に頷けない。
(でもいよいよ、運命のときが来るんだ……)
 そのために、父(とと)さまから受け継いだ魔剣は持ってきたものの、このまま本人に会ってこの剣で彼の心臓を貫けるのか、正直自信はなかった。
 ……もしくはいっそのこと、自分の命はやれないと返り討ちにあってしまうのも、苦しみから解放される一つの結末かもしれないけれど、もしそうなった時に果たしてリコリスはどんな表情を見せてくるだろうか。
(……というか、そのときはむしろフローディアの方が心配……かな?)
 たしか、悲怨の呪いは目の当たりにしなきゃ掛からないはずだけど、ただあまりにも自らの役割に入れこんでいるから、自暴自棄になって暴走したり、あまつさえ後を追うとか言いさないかが、一番の気がかりだったりして。
「…………」
(はぁ……怖いな……)
 これから、どんな道に転ぶとしても……ね。

                    *

「……さ、着いたよ?」
「…………!!」
 ……しかし、そんなフクザツな気持ちに揺れながら無言で歩いていた先でわたしを待っていたのは、思わず立ちすくんでしまう風景だった。
(こ、ここって……)
「パパは一番奥にいるから。……さ、行こ?」
 それから、足を止めて躊躇うわたしにリコリスは短くそう告げると、ゆっくりと手を引いて入り口から奥へと進んでゆく。
「…………」
 そう、街を横切ってリコリスに導かれた先は、沢山の墓標が立ちならぶ共同墓地。
(まさか、まさか……)

「……はい、ここだよ」
「…………っ」
(そんな……!)
 やがて、空の色が夕焼けに染まり始めたころに辿り着いた墓地の一番奥では、広く取られた敷地の中央に剣の形をした大きな墓標が立てられていて……そして、「勇者ラグナス・アーヴァイン、ここに眠る」の文字が刻まれていた。
「……今じゃ笑い話かもしれないけど、流行中の熱病にかかっちゃってね。兆候が表れた日の朝はちょっとしんどいかなって言ってた程度だったんだけど、その夜に倒れて発症が確認された後で……あとは息を引き取るまで三日も経たなかったかな?」
「…………っ」
「ほら、パパって現役の頃は不死身の勇者なんて自称してたから、引退した後も油断してたみたいでさ。……でも、やっぱり普通の人になっちゃってたんだよねー……」
 それから、ふらふらとした足取りで墓標の前まで進み、冷たい無機質となってしまった怨敵に触れたまま、ショックを通り越してただ呆然と立ち尽くすわたしへ、寂しそうに語ってくるリコリス。
(うそ……)
 あの父(とと)さまを討った勇者ラグナスが、病なんかで……。
 こんな変わりはてた姿を父(とと)さまの形見で壊してやったって、仇を討ったコトになんてならないじゃない……。
「…………」
(それじゃ、わたしの呪いは……)
 悲怨の行く先は……一体どうなるの?
「……なるほど、ラグナスはもうこの世を去っていたのですか……」
 そして、程なくした後に背後から土を弾く足音が聞こえてきたかと思うと、聞き慣れた声がわたしの耳に届いてくる。
「…………?!」
(フローディア……?!)
 それを受けて、金縛りが解けたように振り返った視線の先には、魔界に残してきたわたしの従者長が、複雑な表情を浮かべて立っていた。
「お探し致しましたよ……と言う程でも無いですかね。そこの勇者さんのお陰で早めに追いつくことが出来ましたから」
(え……?)
「……ま、プルミっちゃんが帰る時に迎えが必要だしね。でも、確かに思ったよりは早かったかな?」
 しかも、素直に驚いたわたしとは対照的に、リコリスのほうは訳知り顔で迎え入れているし。
「だから、”穴”も出入り口も塞がずにおいたというワケですか。……まぁ、それに免じて魔王様誘拐の罪での射殺だけは勘弁して差し上げますわ」
「そりゃ、どーも……」
「…………」
「……ただ、困った事にはなりましたわね。これではお嬢様の呪いは……」
「ああ、それなんだけどね、実はさ……」
「……先代勇者の死去で呪いが解けないのが判明した以上、これはもうプルミエ様には魔王から降りていただくしかありませんねぇ?」
「…………っ?!」
(え……?!)
 しかし、そこからリコリスが何か言おうとする前に、今度は上空の方から別の声が割り込んできたかと思うと……。
「…………っっ!」
 灰色の翼を広げた堕天使がわたしのもとへ急降下で襲いかかり、そのまま抱きかかえて再び上空へと舞い上がってゆく。
「んなっ?!アンタは……」
「フィオナ?!」
「……おおっとぉ、まだ追いかけて来たりはしないでくださいよ、勇者殿?ぶっちゃけ私は姫様の生死は問わずで動いていますから」
 そこで、リコリスがあわてて自分の翼を背中に具現化させて追いかけようとしたものの、フィオナはすぐにそれを制止すると、片手で抜いたナイフをわたしの首元へ当ててくる。
「…………っ!」
「仮にですよ、私がここで姫様の御命を頂戴した所で、誘拐犯の凶刃に倒れてしまわれたコトにすれば良いだけですからね?」
(う……っっ)
 しかも、彼女の刃にこめられた殺気は間違いなく本物で、張り付いてきた恐怖に冷や汗が滲んでしまうわたし。
「て、てめぇ……っ!」
「フィオナ、あなた一体何を考えて……」
「ふふっ、その答えは、後ほどこの近くにあるキングレイズ砦へとお越しくだされば分かります、フローディアお嬢様?」
「キングレイズ砦?」
「生憎、案内図はご用意できませんでしたので、そこの現地の方にでもお尋ねくださいな。ただ、歓迎の準備がありますので、出来れば少しばかりお時間をいただければ有り難いですかねー?」
 そして、それだけ一方的に告げると、フローディアからフィオナと呼ばれた堕天使はそのまま翼をひるがえし、わたしの身柄を抱えてリコリスたちの元から飛び去ってしまった。
「……さて、姫様にはご無礼な上に、ちょっと飛んでいる間の風が強くてお寒いかもしれませんけど、我慢なさってくださいね?そう時間はかかりませんし」
「…………っっ」
(ちょっ、一体これから何が始まるというの……?!)
「…………」
 ……リコリス、助けにきて……くれるよね?

                    *

「……行っちゃった……」
「フィオナ……!まさかこの私に裏切り行為を働くとは……!」
 やがて、プルミっちゃんを抱えた敵の姿が見えなくなった後、とりあえずどうしたらいいのか分からずに立ち尽くしていたあたしのすぐ側で、同じく茜色に染まった空を見上げながら、憎々しげな呟きを吐くフローディアさん。
「というかさ……。つまり、プルミっちゃんを追いかけてここまで来ちゃったのはフローディアさんだけじゃないってコト?……ったくもう、しっかり話はつけてきてよ……」
 あたしはてっきり、従者長の自分が責任を持って連れ戻しに行ってくると、単独で来てくれると思っていたのに、これじゃ勇者のあたしが魔軍を呼び寄せてしまったようなものである。
「仕方が無いでしょう?私も知らされたのが魔将達との会合中だったんですから。……そもそも、貴女の突飛な行動がすぐにフィオナに気付かれて追跡されていたのが原因ですし、どうせなら事前に私に相談するか、もっと上手く細工は出来なかったんですの?」
「だって、相談したら絶対にダメだと言うに決まってるじゃないのさー」
「当たり前ですわ!大体、貴女は勇者の癖に軽率すぎますのよ!」
「む……」
「なんですの……?!」
 そこで、肩を竦めながら八つ当たり気味に文句をつけるあたしに対し、フローディアさんの方も即座にやり返してきて、やがて睨み合いとなってしまう。
「……はいはい、喧嘩はそこま〜で。まずは冷静になりましょ〜ね?」
 しかし、それから一触即発の空気になりかかったところで、間延びした甘ったるい声の女性が不意に手を叩きながら割り込んできて、内輪揉めの空気がかき消されてしまった。
「貴女は……」
「……もう、いつも来るのが遅いよ、パルフェ姉ぇ……」
 とりあえず、あたしがフローディアさんよりも先に文句を言いたいのは、この聖女サマになんだけどね。

                    *

「……なるほど、お嬢様を連れて戻った本当の理由は、こちらの聖女に相談する為でしたのね」
「そ。何とかプルミっちゃんの呪いを解いてあげたいとは思ったんだけど、魔王宮の書庫で調べても、自分の手で仇を討つしか方法が書かれてなくってさ。それで頭に浮かんだのがパルフェ姉ってワケだったんだけど……でも、フローディアさんも聖女サマのコトは知ってたんだ?」
「ええ勿論、先の戦でも有名な存在でしたから。しっかりと魔軍の要注意リストにも入っておりますわよ?」
「それは、あまりありがたくない話としても、悲怨の呪いね〜え……。確かに、ラグナスから話に聞いた事は昔にあるけれ〜ど……」
 やがて、パルフェ姉に促されて一旦ウチへ戻る事にしたあたし達は、早速リビングに集まって事情説明と、今後の作戦会議を始めていた。
「まぁ、本当にアテになるのならば背に腹は代えられないとしても、まさか万策尽きようとした挙句に、プルミエ様の救いの手をラグナスのパートナーに求めるコトになろうとは……」
「あはは、そんなの今更だってば。あたしがプルミっちゃんを助けた時からさ」
 ちなみに、パルフェ姉はウォーディス戦役中に世界各地の戦場へ赴いて傷付いた人々を癒して回り、死人以外なら何でも治してしまうと言われた治癒能力や、困ってる人は放っておけない人柄、さらに女神様の化身とも称えられた(らしい)、年齢不詳ながらまぁ文句なしの美人でもあるトコロから、いつしか「聖女」と崇められるようになった治療師で、元々はパパのサポート役として同じく聖霊様の加護を受けた、もう一人の勇者とも呼べる存在だった。
 ……というか、この聖女サマの治療活動は、戦役が終わった今も続いていて、お陰で顔を合わせる機会になかなか恵まれない身内でもあったりして。
「確かに、奇縁とでも呼ぶべきでしょうかね?私のお嬢様も、今はすっかりと当代勇者殿に御執心なさっておられますし……」
「……おろ、もしかして妬いちゃってる?」
「調子に乗らないでください」
 そこで、「私の」を強調するフローディアさんにピンとくるものを覚えたあたしは、ワザとらしくニヤけた笑みを送ってやると、お茶の入ったカップを片手に、冷たい殺気の込められた短い言葉で一刀両断されてしまった。
「へぇーい……」
 フローディアさんって、弄られキャラとしては結構美味しいと思うけど、やっぱりどこかシャレの通じなさそうなトコロは、絡むにはリスキーかもしれない。
 ……っていうのは、まぁともかくとして。
「やっぱり、相性が良かったのかしら〜ね?ラグナスも、ウォーディスと戦っている中で、何やら奇妙な感覚を受けたって言ってた〜し」
「んー。そう言えば、あたしもそんな感じのハナシを聞いたことある様な……」
 ただ、ウォーディスはあたしと同じくパパにとっても家族の仇だったし、絶対に斃さなきゃならない相手だったから、同列には語れないだろうけど。
「……ま、いずれにせよ魔王宮の警備も担う私には迷惑なお話ですけどね。親子揃っていきなり無断進入してきていますし」
「いやははは……まぁ、結果オーライってコトで……」
「……それにしても、黙って姿を消したかと思えば、やっぱり魔界に忍び込んでた〜のね?」
「あ〜いや、ほら、パパの弔いや遺産整理が終わって、なんか手持ち無沙汰になっちゃったしさー」
「……まったく、勇気と無謀は違うとラグナスや私があれほど教えた〜のに、この子猫ちゃんは……」
 それから、話の雲行きが悪くなって苦笑いを浮かべるあたしへ、溜息交じりにぼやく聖女様。
 ちなみに一応、このパルフェ姉はパパの遺言で、あたしの面倒を託された母親代わりでもあるんだけど……。
「まーまー、後で叱られるのは覚悟の上だったし、お仕置きだって終わってからなら甘んじて受けなくもないけどさ、それより結局プルミっちゃんの呪いは解いてあげられるの?」
「ん〜。簡単に言われて〜も、正直すぐに頷いてあげられるだけの根拠は乏しいわ〜ね……」
 ともあれ、ゴマかしがてらに話を本題へ戻すあたしに対して、パルフェ姉は腕組みしながら困った様な表情を返してくる。
「ちぇー。というか、何だかんだであたしの大事な人は救ってくれてないじゃん?」
「…………」
「……えっとまぁ、それは冗談だけど。確かにいきなり魔界の呪いなんて持ち込まれても困っちゃうか」
 そこで、あたしはガッカリ感と沸きあがった苛立ちに任せ、溜息交じりに嫌みったらしく肩を竦めてやるものの、パルフェ姉の顔が本気で曇ったのを見て、慌ててフォローに切り替える。
(ったく、なに八つ当たりしてんの、あたしは……)
 ……ちょおっと、自己嫌悪ものだったかな?これは。
「というかね、一応は方法が無いわけじゃないのよ〜お……。ただ、リコリスちゃんが期待しているみたいな、私がぽんっと治癒術をかけてあっさり解けるって話にはならないってコト〜ね」
 しかし、それからパルフェ姉はすぐに表情をいつものおっとりほんわかに戻すと、絶望するにはまだ早いって程度のハナシを切り出してきた。
「んじゃ、時間がかかるってコト?」
「少なくと〜も、まずは患者さんをじっくりと調べさせて貰わない〜と。ラグナスからもなかなか可愛いコだったと聞いてたから、ちゃんと治してあげないと〜ね。んふっ♪」
 しかも、更にそう続けると、口元をだらしなく緩めながらの妖しい笑みを見せてくるパルフェ姉。
「……ちょちょっ、それってさー、パルフェ姉の私情が入ってない?」
 この人、目の前で苦しんでる者がいれば、魔族だろうが見捨てられないような正真正銘の聖女サマだけど、可愛い女の子が何よりも大好きっていうヘンタイさんだしなぁ。
 ……というか、あたしでさえ守備範囲みたいだから、ホントはもっとずっと可愛いプルミっちゃんを引き合わせるのはキケンなんだけど……まぁ、背に腹は代えられないか。
「あら、やる気に満ちてると言ってもらえないかしら〜ね」
「……ただいずれにせよ、まずはお嬢様を取り戻してからのお話になりそうですわね。あと、プルミエ様は“なかなか”などではなく、三界一可愛らしい魔王様です!」
「ああもう、フローディアさんも乗らなくていいから……」
 この、ダブル残念美人どもめ。
「んでさ、結局キングレイズ砦へさらっていったのは、前に言ってたプルミっちゃんを狙ってる連中なの?」
「ええ、お嬢様の力量に疑問を持って、魔王の座から降ろそうと企てていた連中が本格的に動き出したんでしょうね。……特に最近、魔戦士クロンダイクと、魔識のフルールの二人が貴女に撃退されたコトで、余計に焦りを感じ始めていたみたいですし」
「ありゃ、フルールちゃんも魔将だったの?……でも、フルールちゃんとは喧嘩なんてしてないけど?」
 言われてみれば、フローディアさんを呼び捨てにしてたのも気になってたし、魔王宮のあの大書庫のヌシなんだから納得はデキるけど、でも戦うどころか普通にお友達になった空気だったような。
「……まぁ、フルールの話は今は置いておくとして、フィオナ達はお嬢様から魔王の証である封魔剣マーヴェスタッドを譲り受ける為に、キングレイズ砦で待ち構えているハズですわ。おそらく、残った魔将達が中心となって」
「待ち構えてる?あたし達を?」
「ええ……。彼ら曰く、勇者に勝てる者こそが、次の魔王に相応しいとの事ですから」
「あちゃ、そうきちゃったかぁ……」
 だから、魔界でムダな戦いなんてしたくなかったのに。
「…………」
 けど……。
「リコリスちゃん、どうする〜の?助けに行くの?」
「……もっちろん。勇者として、ここで逃げるって道はないよ」
 それから、心配そうに尋ねてくるパルフェ姉へ、静かに立ち上がりながら、躊躇いなく頷き返すあたし。
 無駄な戦いは嫌いでも、やる時はやらないとね。
「敵は手ごわいですわよ?……おそらく砦で待つのは、魔将でも筆頭格の者達でしょうから」
「そらまぁ、あたしだっていつもノリだけで行動してるワケでもないけどさ。……でも、決して退けない時だってあるよね?」
 おそらく、これはそういう戦いのハズだし、そもそも今回は結果的に魔軍を呼び寄せてしまった責任もあるから、このままじゃ聖霊様にも怒られるだけじゃ済まなくなるかもしれない。
「……それは、人間界の守護者として?それとも、プルミエ様の為ですの?」
「もっちろん、全部に決まってるっしょ?優先順位なんているの?」
 理由や損得をいちいち考えながら動いて、勇者様が務まりますかってーの。
「……そうですか。ならばお好きに為さればよろしいですけれど、しかし貴女も本当に風変わりな方ですわね?本気で勇者が魔王の為に命を張るおつもりですの?」
「え〜?勇者と魔王が仲良くなっちゃいけないルールなんてあったっけ?」
「さて、有ったような〜。無いよう〜な?」
「んなの、周りが勝手に決め付けたコトでしょ?言葉では聞けなくとも、おそらくプルミっちゃんはあたし達が来るのを信じてくれてるんだろうから、それに応えなきゃ」
「ですわね……。では、プルミエお嬢様を取り戻すまでは、休戦協定を結びますか」
 それから、あたしに続いてフローディアさんも立ち上がると、素っ気無くそう持ちかけてくる。
「リコリスちゃんと共闘するってこ〜と?でも貴女もいいの?相手は同胞なのでしょ〜う?」
「致し方がありませんわ。私はあくまでプルミエ様の剣であり盾ですし、魔軍の同胞と言えど、彼らは反逆者です」
「そっか……互いに譲れないなら、しゃーないよね?んじゃ、同盟成立の握手……」
 と、そこであたしは笑みを浮かべて右手を差し出すものの……。
「……貴女と馴れ合いはしませんわ。私も“敵”ではないだけでライバルのつもりですから」
 しかし、フローディアさんからは、ぷいっと視線を横へ逸らせながら拒否されてしまった。
「あらら……」
「……でも確か〜に、グランディール領の砦を魔将達が占拠しているのなら、放っておくわけにはいかないわ〜ね。出来れば私も一緒に行きたいところだけ〜ど……」
「聖女さんはここで待っていてください。貴女には、後で何としてもお嬢様の呪いを解いていただかなければなりませんから」
「うん。ホントは一緒の方が心強いけど、真っ先に狙われたら困るしね?……まぁ、今度は”こっち”側のフィールドだから、何とかしてみるよ」
 敵の過小評価や油断は論外だけど、逆に必要以上に恐れてしまうのは勇者として致命的だから、厳しそうな戦いほど「何とかなる」の気持ちを持ち続けろってのは、パパの教えだし。
「分かった〜わ。それじゃ、二人共死なないで戻ってくれば勝ちって事は覚えておいて〜ね?」
「心得てますわ……。出来れば、私は聖女の助けにはなりたくないですけど」
 そして話が決まった後で、同じく昔にパパから言われた言葉を送ってくるパルフェ姉に対して、相変わらずツンツンとした態度を見せるフローディアさんなものの……。
「まぁまぁ、そう言わず〜に。出立前にちょっと二人きりになっていいかし〜ら?」
「は……?」
 しかし、そんな魔将の一角に対してパルフェ姉はニヤニヤと人懐っこい笑みを見せると、立ち上がって馴れ馴れしく擦り寄ってゆく。
「ち、ちょっ……?!一体どういう……」
「……なに、まさかフローディアさんにも、あんなコトやこんなコトとかしちゃうつもりなの?」
 まさか、聖女サマはたとえ相手が魔将だろうが構わず手を出しちゃうヒトだったとは……。
「失敬ね〜え!育ちすぎちゃった女性には興味無いわ〜よ!」
「…………」
「…………」
 ……えっと、それは失礼しましたと謝るべきトコなんだろうか?

                    *

「さーて、と……」
 やがて、出立を前にあたしは二階にある自分の部屋まで戻ると、まずは聖霊様から勇者となった時に支給された装備品をクローゼットから持ち出し、着ていた服を脱ぎ捨てつつ、慣れない手つきで一つ一つ装備してゆく。
「ん〜〜っ、久々に鎧なんて身に着けると、やっぱりちと違和感が……」
 仕立師のアリウムさんが刃を通しにくい魔法の糸で織ってくれたワンピースをベースとして、軽量化と強度の両立を見極めながら鍛えられた、聖霊様の加護付きオリハルコン合金製のブレストプレートに、パルフェ姉があたしの為に少女趣味を多分に含めて仕立ててくれた、炎や冷気、雷など魔法攻撃各種からの耐性を持つ真紅のサーコート。
 更に、風のエレメントの力を自動的に集めて脚力を補正してくれる羽根付きの靴に、お気に入りのアクセとしてこれだけはいつも頭に着けている、実は精神攻撃に対して強い耐性を持つ大きな赤いリボンなど、女の子の勇者ってコトで先代と比べて軽量を重視したコーディネートになっているし、実際に重量を感じない位に軽いんだけど、それでも普段から着慣れていないだけに、ちょっとかさばった感触と落ち着かなさを感じるのは否めなかったりして。
「……しっかし、フル武装なんて、襲名した日以来だったっけ?」
 確か、カーディアス山中の鍛錬場で協力者のみんなへお披露目をやって、そのまま実家に戻ってパパに晴れ姿を見せたっきりだった、かも。
 魔界へ行こうとした時は、極力争いごとは控えるつもりだったから、無用に目立つのを避けようと軽装に抑えていたし、考えてみればこれが勇者として万全の装備を整えて挑む、初めての戦いである。
「……えっと、んじゃついでにパンツも替えておくかな?」
 別に意味があるワケじゃないけど、まぁ気合入れとして。
「さて、後は持ち物だけど……ん?」
 それから、ごそごそと下着も新品に履き替えた後に、脱ぎ捨てた服のポケットから持ち物を取り出していく中で、鍵の感触が指先に触れ、思わずまさぐる手を止めるあたし。
「ああそうだ、行きがけに戸締りしておかなきゃね……」
 そして、古ぼけた銀の鍵を取り出すと、あたしはまじまじと見つめてしまう。
「…………」
 これは、パパから受け取ったゲートのある部屋の扉を開く鍵で、最初は魔界行きに興味を示すあたしを強く諌めていた癖に、死を迎える直前になって託してきた形見の一つだった。
(……やっぱり、パパは予兆してたのかな?)
「…………」
 やがて、あたしはそんなコトをふと想いながら、パパがこれを渡してきた時の会話を思い出し始めていった。

                    *

「……リコリス、お前にこれを渡しておく」
 結果的に息を引き取る前日となってしまった夕方、徹夜での看病に備えて必要な物を駆け足で買い込んで帰宅したばかりのあたしへ、ベッドの上で苦しそうに呼吸を荒らげるパパが、今まで見たコトのない形をした銀製っぽい鍵を差し出してきた。
「ん?なにこれ?……っていうか、もしかしてあたしが出てる間に勝手に起き上がったの?」
 医者からは絶対安静だって言われてるのに、油断もスキも無いんだから。
「いいから、まずは受け取れって。……んでもってだ、ルルドの南にあるメフィストの森の奥に、小さな遺跡があるのは知っているか?」
 そこで、鍵よりも大人しく寝ていない不良親父の容態が心配で軽く睨むあたしなものの、パパは構わず上半身を起こして強引に鍵を押し付けてくると、再び横になった後で天井を仰ぎながら言葉を続けてくる。
「……うん、何度か行ったことあるし」
「お前なぁ……。あそこは迷い易いから勝手に行くなと言っておいたろう?ぶっちゃけ迷信だが、悪魔が出るって噂もあったのに」
「まぁまぁ、もう昔の話だからさ。……んで?」
 というか、むしろその噂だけで目撃者のいない悪魔の姿をわざわざ探しに行ってたなんて、病床のパパにはとても言えないけど。
「その遺跡の地下奥に……ゴホッ、一つだけ閉じられている扉があるはずだ」
「あー、あったね……。頑張って開こうとしたのに無理だったけど」
 それで、結構気になり続けながら、パパに聞いてみようかと思いつつ怒られるのがイヤだったので黙っていたけど、もしかしてこれが……?
「……ハナシが早いのがいいやら悪いのやらって感じだが、こいつはその扉を開ける鍵なんだ。そいつを潜った先には……魔界へ続くゲートがある……ゴホッゴホッ」
「魔界へ?!……って、大丈夫?!」
 もう、無理して喋らなくていいのに……。
「ああ……。それも、魔王の住む宮殿裏の森に通じている。……そいつは昔、俺がウォーディスを倒しに魔界へ乗り込む際に聖霊の協力で開けて貰った穴なんだが、実は未だ塞がずに残しておいたのさ」
「んじゃ、あたしがこれであの扉を開ければ……」
「ああ、魔界へ……魔王に会いに行ける。会ってもらえるかは別だがな?」
「魔王に……。でも、前にダメだって言ったじゃん?」
「父親として、俺の目の黒いうちは……な。だが、俺が死んだ後は自由ってこった。もう既にお前は一人前の勇者なんだから、自分の心の赴くままに行動すればいい……グフッ」
 そしてパパはあたしへそう告げると、やつれた顔で寂しそうな笑みを見せてきた。
「もう、魔王ウォーディスを倒した不死身のラグナスが、気弱なコト言ってんじゃないの……」
 聖霊様だって、歴代の勇者でも類を見ないデタラメな強さだったって言ってたのに。
「はは、何でも手遅れになったり、忘れないうちにってやつさ……それと、出来れば……」
「できれば?」
 それから自虐的に笑いつつ、急に真顔に戻って何かを言いかけたパパなものの……。
「……いや、何でもない。ま、冒険してみたいならしてみるがいいさ。勇者ってのは本来あらゆる世界を駆け回ってナンボだとも思うしな?」
 しかし、結局は一度口をつぐんでしまい、その後で切り出してきたのは、全く別の趣旨のセリフだった。
「でも、愛娘にはできればずっと傍に居て欲しいって?」
「ヘッ……まったく、まさかこの俺が親バカになっちまうなんて、現役時代は夢にも思わなかったが、それでも今はもっと早く家族を作るべきだったとも思ってるんだ」
「…………」
「……なんでかと言うとな、リコリス。魔王の娘との出逢いや、お前と始めた親子生活を経て、今までの俺は勇者という使命に溺れ、命というモノをあまりに軽視していたコトに、ようやく気付かされたのさ」
「……ただ、もうすっかり手遅れだったがな……フッ」
 それからパパは、自嘲気味に寂しい笑みを見せた後で、「喋りすぎて疲れちまったから、もう休むぜ」と告げると、不貞寝をするようにシーツを頭から被ってしまった。
「パパ……」

                    *

(今思えば、パパはあたしにプルミっちゃんの所へ逢いに行って欲しかったんだろうな……)
 まったく、あたしってば何だかんだで孝行娘……。
(……ううん、これはあくまで、あたしが選んだ道だから……)
 だから、あとは心の赴くがままに、「助けて」という叫び声すらあげられない大切な友達を迎えに行ってあげるだけ。
 ジャマする敵は指先一つで……までは無理か、うん。

 コンコン

「ほら、準備は終わりましたの?そろそろ出立しますわよ?」
 それから、すっかりと身支度も整ったところで、フローディアさんからのノックが届く。
「……ああ、はいはい。今行くってば!」
(とにかく、信じて待っててよね、プルミっちゃん……!)

                    *

 ルルドの南西に広がるヘレネの森を抜けた大陸の果て、グランディール領の最南端に位置する軍事拠点、キングレイズ。
 元々は群雄割拠だった時代に、海からの侵略に備えて多数の砲台が配備された沿岸要塞で、ウォーディス戦役の時にもセチア海を隔てた近隣のアルタミラ島にゲートを開いて侵攻してきた魔軍を防ぐ最前線の要として活躍し、また最後まで原型が残っている数少ない難攻不落の砦としても有名だった。
「……それが、今になってこっそりと魔軍に占領されてるってのもねぇ」
 一応、既に役目は終えて、今は誰も寄り付かない廃墟になってるけど、国王様がこの事を聞いたら癇癪でも起こしそうである。
「魔界からの侵入者がこっそりとコトを運ぶには都合のいい場所ですけれど、確かに皮肉ですわね」
「さぁーて、ここからどーすっかなぁ……」
 ともあれ、すっかりと日が暮れた頃に、指定された砦の目の前まで辿り着いたあたしとフローディアさんは、ヘレネの森の出口付近にそびえ立つ大木の枝の上から、跳ね橋が下ろされて開門された正門付近の様子を伺っていた。
 唯一の陸からの入り口である跳ね橋の周囲は深い堀で囲まれてる上に、外壁や門前などの松明には火が灯されていて、闇に紛れてこっそりと入り込むのは、ちょっと無理っぽい。
「……やっぱり、見張りの兵士がいるねー。しかも、正面はきっちり固めてるカンジかな?」
 そして、ここからでは正門を守る六人と、上層で見回ってる何人かの武装した兵士がちらちらと見える程度だけど、少なくとも魔将だけじゃなくて軍団として砦に立て篭もってるのは間違いなさそうだった。
「ですわね……。ただ、昔と違って大軍を送り込むのは無理ですし、勇者に誘拐された魔王陛下を取り戻す為に選ばれた精鋭達って所でしょうか」
「げ、もしかして、悪役はあたしの方なの?」
 せっかく、囚われのお姫様を助けるつもりでテンション上げてきたのに。
「“我々”から見れば、貴女こそがプルミエ様誘拐犯ですから。おそらく、彼らは純粋に魔王陛下の奪還と、勇者討伐の名目で持ち場に就いていると思われますわよ?」
「ん〜……となると、正面からなぎ倒していくってのもなぁ……」
 派手な戦闘になりそうだし、ちょっと忍びない部分もあるかも。
「……では、二手に分かれましょうか。私は正面から行って兵達を引き付けておくので、翼のある貴女は手薄そうな屋上から進入するというコトで。ちなみに、あの砦へ入ったコトは?」
「一応、勇者になった時に散歩がてらで入ったことはあるけど、ホコリっぽいだけで何も無かったんで、さっさと帰っちゃったんだよね……」
 というか、人骨なんかも転がってたりしてたから、なんだかいたたまれない気分になったし。
「そうですか……。まぁ、お嬢様が貴女に助けを求めているのなら、いずれその首輪が導いてくれるはずですわ」
 すると、肩を竦めるあたしへ向けて、少しだけ不機嫌っぽく告げてくるフローディアさん。
「ああ、そういえばプルミっちゃんとは、今も見えない糸で繋がってるんだっけ?」
 元々は逃げられないようにする為とは聞いたけど、まさかこんなトコロで役に立とうとは。
「……とにかく、我々の最優先すべき任務は、砦の何処かに囚われたプルミエ様を見つけて、安全を確保しつつ脱出する事ですわ。魔将だけでなくフィオナもいるので、口で言うほど簡単ではないかもしれませんが、よもやこの人間界で堕天使に遅れをとったりはしないでしょう?」
「あはは……。そう願いたいけどね。でも、残った敵はどうすんの?」
「当然、魔王プルミエ様に仇為そうとする者は、誰であろうがこの私が処断致しますわ」
 そして、フローディアさんはそう宣言した後で、愛銃を取り出して今一度丹念にチェックし始めてゆく。
「やれやれ……。先のコトを考えると、なんだか気が重いね」
 どうやら、ここでプルミっちゃんを助けられれば、全てハッピーエンドってワケでも無さそうだし。
「まぁ、諸々全ては私が主導して何とかしますわ。先代陛下も、おそらくこんな事態に陥る可能性を予感されたからこそ、お嬢様への生涯の忠誠と引き換えにこの私を魔将に任命されたのでしょうから」
「予感されたからこそ、か……。もしかしたら、あたしのパパもそうだったのかもしれないけど」
 何だかんだで、ずっと魔王の娘のコトも気にかけてた風だったしね。
「……いずれにせよ、自分からノコノコ現れてここまで関わってきた以上、貴女にもまだまだ手伝ってもらいますわよ?」
「へいへい、この調子じゃ首輪もいつ外してもらえるのやらって感じだけど……。んじゃ、そろそろ行っちゃう?」
 それから、武装の確認を終えてこちらを一瞥してくるフローディアさんに、あたしも頷き返して、目指す場所へと視線を向けてゆく。
「……ええ、これより互いの義務を粛々と果たすとしましょう」
(粛々と、ね……)
 確かにそうありたいけど、そうそう上手くいくもんじゃないんだろうなぁ。
「うっし、最後に確認しておくけど、パルフェ姉の言葉は忘れてないよね?」
「……貴女こそ、こちらの戦力は二人だけなんですから、簡単にやられてしまわない様に精々気をつけてくださいな」
「大丈夫、だいじょーぶっ♪根拠はないけどさ」
「ホントかしら……」
 ……だって、こっちの世界なら、このあたしが主役なんだから。

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