イド・エージェンシーの派遣読本 〜モンテリナ姉妹編〜  その1

Prologue エージェンシー

 それは春の訪れも間近な、ある晩冬の夜の事だった。
「……メイフェル、“エージェンシー”とは何か、理解しているか?」
「なにって……。王都内を対象にした、メイド育成及び派遣業……でしょ?」
 突然に大事な話があるからと部屋へ呼び出された後で、暖炉の前で椅子に腰掛け、悠然とパイプをくゆらせていた父から、仕事中に見せる目でこちらの視線を捉えながら唐突な質問を向けられて、面食らった顔を隠せずに答えるわたし。
 勿論、知らない筈など有り得ない。エージェンシーは、祖父から親子二代に渡って営まれている”家業”なのだから。
「そうだ。我らが故国、ライオネル王国は三百年以上も続く貴族主義国家。その王族や貴族達の広大な屋敷を維持、管理する為に多数のメイド達を
はじめとした使用人達が必要となってくる」
「……また、労働という行為から遠ざかる事を美徳としている彼らは、雇っている使用人達の質や数が、そのまま自らの権威の象徴ともなっているのだ」
「しかも、近年では王国の産業の発展に伴い平均収入も上がり、上流階級者だけでなくて、中流階級を中心とした一般層にも需要が広がってきているのよね?」
「その通り。しかし、屋敷の内部で働く者という特性から、彼女達へは高い信用が要求されてくる。かつては貧困層の子女を安い賃金で拾い上げ、過酷な労働を強いていたのが通例だったが、それに紛れた産業スパイの存在が社会問題になったりもしたからな」
「その中で特に有名なのは、マルフィック事件ね」
 もう祖父の世代の事件で、わたしは歴史の教科書でしか知らないけれど、マルフィック事件とは十六歳でスパイ活動を生業としていたレミー・マルガリータ(おそらく偽名)が、貧困区に住む天涯孤独の少女に扮して、当時莫大な富を築いていた製鉄業、マルフィック社社長の屋敷へメイドとして入り込み、
当時政府へ申告していた鉄の生産量を誤魔化し、その過剰分を敵国へ武器の素材として流していたという機密を盗んで白日の元へと晒した事が、当時の社会に大きな衝撃を与えたとされている。
 更に、彼女は内部告発という形で、カヴァロフ社長が貧困層から連れてきたメイドへの虐待を日常的に繰り返し、中には死に至らしめた上に隠蔽していた事実までも暴き、結果この事件が王国で労働法を成立させるきっかけにもなった。
「王国内でのメイド雇用の歴史は黎明期より続くものだが、貴族主義社会ゆえの傲慢さなのか、被雇用者の為の環境整備に関してはそれまで真剣に
行われることは皆無で、過去にはマルフィック事件など氷山の一角に過ぎない程に不幸な事件を数多く招いていたと推測されている。現代の価値観から論ずるならば、雇用主、使用人双方に未熟な時代があまりにも永過ぎたと言えような」
「……いずれにしても、だからこそメイドの身分と技術を保障し仲介する派遣業者、エージェンシーが生まれたんでしょ?遅ればせながらだろうが、今から約五十年前に」
 それで一体、父は何が言いたいのだろう?
 まさか、今になってそんな基礎知識を復習するつもりで、わざわざわたしを呼び出したとも思えないけど。
「うむ。我々エージェンシーの負う使命は、雇用主には必要とする労働力と信頼を、そして登録したメイド達には安心して仕事の出来る環境を提供し、健全な形での市場を保持する事だ」
「確かに、それは忘れてはいけない原則だろうけど、でもそんな話は十歳の頃には既に理解していたつもりだけどね?」
 ともあれ、やがてとうとう痺れを切らしたわたしは、まるで初めての登録希望者へ面接をする時の様な説明を続けてゆく父へ横槍を入れてやった。
「ああ、そうだったな。……いやなに、もうじきお前は学生を卒業して、本格的に社会へ出ることになるから、その前に話しておきたい事があったまでだ」
 すると、エトレッド・エージェンシーのマスターはわたしが入室してからずっと浮かべていた、厳格で真剣そのものだった表情を和らげ、自分の子供に何かを言い聞かせる父親の顔へと変えていく。
「社会へ出ると言われても、今までの延長線だから、あまりピンとは来てないけどね」
 実際、今まで学生と兼業でやっていた仕事を、これからは専門でやっていくだけの話だし。
 上流階級の子女が通う全寮制のパブリック・スクールと違い、わたしが通っていたのは通学制の民間向け学校で、初等教育を終えてからこれまでの間、卒業後に就く仕事の経験を、学業の合間に積み重ねてきていたのだから、特に不安も感じてはいなかったりして。
「お前が家計を助ける為に、専属の登録メイドとして働いてくれる事は嬉しく思う。そして、いずれはこの父に代わってこのエトレッド・エージェンシーを継いでくれる事も視野に入れているのかもしれん」
「…………」
 しかし、わたしは何も答えなかった。
 ……いや、答えられないと言った方がいいだろうか。今はまだ、わたし自身が明確な回答を持ち合わせてはいないのだから。
「だから今、お前に尋ねたい。エージェンシーを背負うマスターとして、最も重要な資質とは何か?」
「……最も重要な、資質?」
 そして、長かった前口上の後にようやく本題を向けられ、わたしは再び面食らってしまう。
 確かにそれは、経営者の娘としては知らないと不都合なようで、いざ答えようとすると難しい質問でもあって。
「やっぱり、メイドとしての経験?」
「無論、豊富な実務経験を経て、現場で働く者の立場を理解する事は大切だ。だが、それは最も重要とは言えない」
「それじゃ、人脈の広さ?」
「確かに、それも非常に重要だ。だがそれは積み重ねる実績や評判と共に付随してくるものであって、最初に求めるべきものでは無い」
「う〜ん……それじゃ、何だろう?」
 几帳面さ?商才?決断力?
「そんなに深く考えなくていい。聞いてしまえば、なぁんだと思う事だ」
「そう言われても……」
「では、少しばかり視点を変えてみろ。我々エージェンシーの仕事とは何だ?」
「何だって、それはさっき言った通り……」
「違うな。それより、もっともっと単純で根本的な事だ。よく考えてみるんだ」
「え〜っ?」
 しかし、こちらにしてみれば、そんな事を言われても、ますます頭を混乱させられるだけである。
「ははは、余計に迷わせてしまったか?」
「もう、意地悪しないで教えてよ。それを言いたくてわたしを呼んだんでしょ?」
「ふ……っ、出来ればお前自身で見出して欲しかったが……まぁいい」
 そこで、肩を竦めながら結論を急がせるわたしに、父はまるで娘との会話が終わってしまうのを残念がる様に苦笑を浮かべると、既に煙が消えたパイプを口元から離し、再び真剣な視線をこちらへ向けてきた。
「いいか、メイフェル。たった一つだけ、私がお前に望む事がある。それは……」

Chapter.1 女神のおとしもの

「…………」
「……ちゃん、お姉ちゃんっ!」
「……んあ……?」
 それから、誰かが自分の身体を激しく揺らせているのに気付いた後で、意識が引き戻されるのはあっという間だった。
「もぉ、いつまでもお寝坊さんだと、頭からお水をかけちゃいますよ?」
 ゆっくりと開いた瞼のすぐ先には、エプロンドレスに身を包んだ小柄な少女が頬を膨らませながら、わたしの顔を覗き込んでいた。
「だいじょうぶ……今ちゃんと目が覚めたから……ふぁぁぁっ」
 そこで、ようやく起床時間の訪れを認識したわたしは、いつもの様に起こしにきてくれたメイシアへ欠伸交じりに頷き返す。
 元々、早起きは得意な方で、昔は自分が家族を起こして回っていたというのに、ここ最近はすっかりと一人で起きられなくなってしまっていた。
 ……ただ、疲れていた割には何だか懐かしい夢を見ていた辺り、ぐっすりと眠り込んでいた訳じゃなさそうだけど。
「まったく、最近はメイシアがいないと起きられないんですからぁ……」
「ふぁぁぁ〜っ。モーニング・コールも、立派なメイドの仕事よ」
 そして、まるでお寝坊さんな娘を叱る母親の様な小言を続けてくるメイシアに、再び込み上げてきた欠伸を噛み殺しながらそう告げるわたし。
「お姉ちゃんだって、立派なメイドさんじゃないですかぁ?」
「半年前まではね。それとお姉ちゃんじゃなくて、マスターと呼びなさいって、この前から言ってるでしょ?」
 その後で、トレイに乗せて差し出された洗面器に満たされた冷水で顔を洗い、添えられたタオルでごしごしと乱暴に拭き取りながら、わたしはメイシアへ敢えて素っ気無い口調で指摘してやる。
 ……とはいえ、正式に引退したワケでも無くて、エージェンシーのマスターとなってからは、自らメイドの仕事をする時間が無くなってしまったというのが
本当の所なんだけど。
「ごめんなさいです……つい癖で……」
 ともあれ、そんな洗面用の真水の如く冷たく突き放すわたしに対して、寂しそうにしゅんと肩を落としてしまうメイシア。
(確かに、無理も無いんだけどね……)
 血こそ繋がっていないものの、元々わたし達は姉妹みたいな間柄だったんだから。
「……まぁそれでも、きちんと弁えて、わたしと二人きりの時以外に言わないのなら構わないけど」
 だから、わたしもついつい甘さが出てしまう。
 本人の為にもならない事は自覚してるんだけど、こればっかりは仕方が無いというか。
「それはもちろん大丈夫ですよ♪メイシアがお姉ちゃんと呼ぶのは、お姉ちゃんの部屋でだけです」
「ええ、そう願いたいわね……」
 一応、お姉ちゃん、お姉ちゃんと連呼されるたびに不安感は募っていくものの、確かに急いた所でいきなり変えられるワケもない。
 それに、肉親を一度に失ったわたし自身の気持ちの整理が済んでいないうちは尚更だから、今はまだそれほど厳しく指摘出来ないのが現状だった。
「んじゃ、書斎に朝食を用意するので、着替えたらすぐに来て下さいです」
「分かったわ。ふぁぁぁ……っ」
 ともあれ、顔も洗って身体を起こそうとした所で、再び欠伸。
「…………」
「……大丈夫だってば。二度寝なんてしないから」
 そして、冷水入りの洗面器を持ったまま、幾分の殺気を込めて見つめてくるメイシアに、わたしは苦笑いを浮かべながら着替えの手を動かし始めた。

                    *

「あら、おはよう。メイフェル」
「おはようございます〜♪マスター」
「相変わらず、今日も眠そうな顔してるわねぇ。お疲れかしらん?」
 やがて、手早く着替えて事務所と応接室を兼ねている書斎へ出向くと、支給品のエプロンドレスに身を包んだ三人がわたしを出迎えてきた。
「おはよう。……あはは、またメイシアに叩き起こされちゃったわ」
 それぞれ、一番の古株でわたしより二十歳近くも年上のマリーと、マリーの娘で昨年からこの仕事を始めた新人のエレン、そして勤続7年目になる働き盛りのアイラと、いずれもうちに専属で登録しているメイド達である。
 元々派遣業という事もあって、就業時間は受けている依頼によって不規則になりがちなので、今朝みたいに三人も揃って鉢合わせというのは、なかなかに珍しい光景と言えた。
「若い身空でエージェンシーを継いで大変だろうけど、あまり無理はするんじゃないよ?」
「分かってる。倒れない程度に頑張るから」
 無理をするなと言われても、それで済むほど経営者ってのは甘くないんだけど、それを口に出してしまう程の子供でもない。
 とりあえず、わたしは労わりの言葉をかけてくれたマリーへウィンクを返すと、机の横の壁に貼り付けた、特大のスケジュール表を確認していく。
「えっと……マリー達はこれから弁護士のオリビアさんのお屋敷で大掃除と洗濯、後は食材の買い出しね。今夜は久々に恋人が訪ねてくるみたいだから、念入りにお願いって」
 とはいえ、オリビア家については、普段から家事のお仕事を受けているので手入れは万全のはずだし、別に改めて念を押される話でもないんだけど、明日はそれだけ重要な日って事なんだろう。
 予約を受けた拘束時間からして、今回だけニ時間も長めに取ってあるし。
「それじゃ、買い出しの時にお花でも仕入れて、キッチンに飾っておきましょうか?」
「悪くない提案ね、エレン。お得意さまだし、その位のサービスはしておかないと」
 この仕事は信用もだけど、顧客満足の高さが命綱だけに、ちょっとした気の利かせ方一つで今後のお付き合いが随分と違ってくるものである。
「まったく、オリビアの家は独身女の一人暮らしとは思えない位に殺風景なのよねぇ。仕事が多忙すぎて、それどころじゃないのかしらん?」
「だからこそ、うちが今日も仕事にありつけるってものよ、アイラ?」
「そりゃ、違いないわね。んじゃ、そろそろ行ってくるわ」
「よろしく。マリーとアイラは夕方からそれぞれ次の仕事が待ってるんだから、忘れないでね?」
「ああ、分かってるよ。今日はコルン坊やへの夕食を用意する日だろう?」
「んで、こっちはスタウト家の晩餐会……っと。終わったら、一杯付き合いなさいよね?」
 そして、わたしの念押しにアイラは手だけを振りながら背中越しに返事をすると、そのままドアを派手に開けたまま先に書斎から出て行ってしまった。
「あ、待ってアイラ……」
「もう、お行儀が悪いんだから……。じゃあね、メイフェル」
「ええ、よろしく」

 バタン

「……でも、あれでパーラー(給仕)をやらせた時の評判は高いんだから、凄いわよねぇ?」
 それから、最後に出て行ったマリーがドアを閉めた後で、苦笑い混じりに一人呟くわたし。
 普段はあんな調子でラフな性格なのに、イザ仕事となると完璧な猫かぶりで客を魅了しているのだから、ホント大したプロ根性である。
 しかも、能力的には給仕だけでなく、どんな仕事でも器用にこなしてくれるので使い勝手も良く、ランクこそCに甘んじていながらも、うちの主力として存分に活躍してくれているし。
 ちなみに、シングルマザーのマリーの方はもう40代の半ばながらも家庭料理の腕が特に好評で、またベテランらしい包容力のある社交性の高さも相まって、アイラと同じくうちの評判を支えてくれている一人である。
 ただそれでも、わたしが不満を持っている唯一の部分としては、年齢を理由に無理をしたくないというマリーはともかく、アイラは単に面倒くさいからと王国公式の昇格試験を受けてくれない所だけど、まぁそれはいいとして……。
「えっと、他には……ミルフィは午後から作家のウィリアムさんの家で書庫整理、プリシスとアスティは外科医のホワイトさんの家で掃除と食事準備で、
ポメリは花屋のエッセンシアさんの依頼でベビーシッターね。んで、Bランクの二人はいつも通り、か」
 ともあれ、書斎へ一人残されたわたしは、改めて本日のスケジュール表の全体を読み上げながら他のメンバー達の予定を確認していく。
(まぁ一応、遊ばせておかない程度の仕事はあるんだけどね……)
 それでも、うちのメインの顧客は中小の実業家や弁護士に医者、そして王宮や役場で働く役人等の、所謂ジェントリに入らない中流階級層で、彼ら相手の依頼は薄利多売になりがちな所から、エージェンシーとしてはあまり上得意とは言えないのが実情だった。
 やはり、割のいい仕事と言えば貴族や銀行家、大手企業の経営者など上流階級層への派遣なんだけど、それには王国が定めるD〜Sまでの5段階に格付けされたメイド評価システムの中で、最低でもBランク以上の公式評価を受けた者でなければ、まず雇用されるのは無理である。
 ちなみに一番儲かる仕事としては、やはりAランクのメイドを貴族の屋敷へと派遣する事で、中流階級までのCランクメイドとAランクメイドの賃金レートは十倍を超える格差があるだけに、実際一件決まるだけでも、うちの様な弱小エージェンシーの売上高は劇的に違ってくる程だった。
(一応、Aランクも居ることはいるんだけど……)
 ただ、その唯一のAランクメイドがマスターのわたしだけとあってはどうしようもない。
 しかも、ランクが高くなればなるほど長期契約の仕事がメインで、スポットの仕事は無くなるという傾向もある為に、メイドとしての今のわたしは開店休業状態だった。
(本来なら、Aランクのわたしが稼ぎ頭になるハズだったのにね……)
 勿論、うちで登録しているメンバーが技術を磨いてランクを上げてくれればいいんだけど、Aランクどころか、CランクからBランクへの壁すら決して低いものじゃないし、仮にBランクのメンバーが増えたとしても、わたしが相応の仕事を新たに調達出来なければ意味が無いワケで、経営者としては、
その辺りのバランスも悩み所の一つなのである。
「ふう……」
 そんなこんなで、我がエトレッド・エージェンシーは祖父の代から続く実績と、数少ない常連のお陰様で決して暇ではないものの、経営状況としては、毎月何とか黒字を確保するのが精一杯の綱渡り状態だった。
 まさに貧乏暇無し。有閑を美徳とする貴族達にしてみれば、わたしの姿は浅ましいコマネズミなんだろう。
(……ううっ、朝っぱらから憂鬱な気分になってきた……)
 只でさえ、今日の午前中は手強いクライアントとの契約交渉が待っているというのに……まったく。
 エージェンシーの認知度が上がり、メイド雇用の客層が広がったのはいいけれど、見栄や体面に縛られている貴族達と違って、やっぱり中流階級層は契約の際に色々と経費に関して細かい事を言ってくる客が多いのが面倒くさい所だった。
(やっぱり、Bランクをもう少し増員して、下級貴族相手の顧客をメインにするのが一番楽かなぁ?)
 公・侯爵クラス以外なら全くアテが無いこともないし、今は専属、掛け持ち合わせてBランク以上が三人しかいない事を考えても、やはりアイラを何とか
説得して……。
「……あれ、そう言えば」
 しかしそこで、わたしはあと一人だけスケジュールのチェックが抜けていた事に気付く。
「アンジェラは確か、今日の朝までって契約だったわね。それじゃ、そろそろ……」

 ガチャッ

「ただいまぁ〜っ……」
 そして、改めてスケジュール表へ視線を戻そうとした所で、赤色のドレスの上にレースがふんだんに使われた派手なエプロンを纏った一人のメイドが、眠そうな顔と疲れ果てた様な足取りを見せながら書斎へ入ってくる。
「あら、アンジェラ。ご苦労様」
 噂をすればなんとやら。先方で支給されたエプロンドレスに身を包んだまま、勤務を終えて戻ってきた当人だった。
「あ〜疲れた……というか、やっぱり早朝仕事はキっツいわ」
「確かアンジェラの仕事は、モーレンジ卿のお屋敷で、今日の朝食準備と給仕までだったわね?」
「そうそう。それで当主様が昨日の夜にいきなり十人近くもお客を連れてきてくれたもんだから……。まったく、アポも無しに人を招いて、苦労する使用人の事も考えろっての」
 それを見て、労いと確認の言葉を向けるわたしに対してぐったりした様子で吐き捨てると、来客用のソファーへ身を投げ出すアンジェラ。
 これまた、Bランクメイドとしてはいささか問題と言わざるを得ないあられもない姿だけど……。
「なるほどね、それでその格好と疲労具合にも合点がいったわ」
 どうやら、その突然の来客のお陰で、昨晩の裏方は蜂の巣を突っついた様に忙しかったらしい。
「……って事で、忘れないうちにほい出勤簿」
「はい、確かに受け取りました。後はゆっくり休んでちょうだい」
 その後、アンジェラが持ち帰ったモーレンジ卿の署名入り出勤簿を確認すると、わたしは改めて稼ぎ頭を労いながら、それを鍵の付いた引き出しへと
仕舞っていく。
(これで、一つのお仕事完了……っと)
 ちなみに、この出勤簿は労働の証明書になるので、わたしは契約期間を終了した後は、必ず当人の手で持って来させる決まりにしていた。
「へいへい、どーも。……でも、午後からはまた仕事があるから、あまりゆっくり出来ないんだけどさ」
「そりゃ忙しないわね。何なら、仮眠室で眠っていってもいいわよ?お風呂もあるし」
「ん〜っ、そうさせてもらうわ。んじゃおやすみぃ……」
 そこでわたしが気を利かせてやると、アンジェラは素直に頷き、再びフラフラとした足取りで部屋を出ていった。
「……やれやれ、別にそこまで無理して掛け持ちでやんなくてもいいでしょーに」
 アンジェラは、現在うちでは唯一の掛け持ちで登録しているBランクのメイドである。
 元々、父の代までは専属だったのに、わたしが後を継いだ後は一旦契約を解除して、他のエージェンシーと掛け持ちという形態に切り替えてしまった。
 そんな訳で、心情的には複雑と言えば複雑なものの、うちの現状を考えれば、たとえ掛け持ちでも残ってくれただけ有り難いとしておくべきなのかもしれない。
「はぁ……」
 それでも、また自然と漏れてしまう溜息。
 特に予定が狂っている訳でもないのに、やたらと憂鬱な気分に陥りがちなのは……。

 ぐぅぅ〜っ

(……ああ、お腹か空いているからか)
「おねぇ……じゃなかったマスター、朝ご飯おまたせです〜♪」
 それから、改めてお腹の虫が小さく悲鳴を挙げた所で、朝食のトレイを持ったメイシアがようやくドアを開けて姿を見せてくる。
「ギリギリだけど、まぁ良しとしますか」
「何がですか?」
「色々な意味でよ。急ぐあまりに手抜きは論外としても、待たせすぎるのも考えものね」
 そう言って、机の上にある置時計の針を改めて確認すると、わたしが書斎へ入ってから約三十分が経過していた。
「あはは……せっかくなので、焼きたてほやほやのパンをと思って用意していたら、ついついです」
 ともあれ、そんなわたしの指摘に苦笑いを浮かべると、早速その自信作を机の上へと並べていくメイシア。
 メニューは自家製の焼きたてパンに、これまた手作りのマーマレード。他にはベーコンエッグ、サラダとニシンの燻製、それにコーヒーといった定番の
ものだった。
 ……本音を言えば、うちの食卓に高級品であるベーコンをふんだんに使うのはなるべく避けたいものの、メイシアの料理の訓練も兼ねている以上は
目を瞑るしかない。
「朝は急いでいる人が多いから、その辺は忘れないでね?んじゃ、いただきます」
「どうぞです♪ちなみに、マーマレードは新作ですよぉ?」
 ともあれ、わたしは焼きたてのパンを手に取ると、早速マーマレードを薄く塗って頬張ってみる。
「…………」
「どうですか?」
「……60点」
「むぅ、辛口ですね?」
 そして、いつもより長めに咀嚼して飲み込んだ後で、わたしがコーヒーを流し込みつつ採点してやると、メイシアは不満そうな顔を浮かべた。
「焼き加減はいいけど、新しく作ったこのマーマレードが、ちょっと甘すぎたからね」
 パンもマーマレードも、確かに質そのものは向上を感じられるけれど、肝心な部分で足りないものがある為に、これ以上の点数は出せない。
「でもでも、最近の流行は甘口なんだそうですよ?」
「残念ながら、わたしはそんなに甘党な方じゃないの。知らなかったっけ?」
 そこで、不当な評価と不満げに弁解してくるメイシアに、容赦なく突き放してやるわたし。
「それは……」
 勿論、味の評価は良し悪しよりも好みが大きいものの、大切なのは食べさせる相手に合わせる事である。
 メイシアにはわたしの食事作りを命じている以上、こちらの口に合わなければ意味が無い。
 とまぁ、メイドの食事作りとはそういうものなのである。
「……という事で、わたしに食べさせるなら、マーマレードは作り直しね」
「うう、分かりましたです……」
 何だか口煩い小姑みたいだけど、ここは心を鬼にしておかなければ、この子の為にならない。
 現に、昔はわたしもそうやって教わってきた事だし。
「ただ、料理の腕は上がっているみたいだから、今後の課題は心配りの方ね。あらかじめ相手に好みを聞くのは失礼にあたらないから、何か疑問があればきちんと尋ねておきなさいよ?」
「はいです、分かりましたですよ♪」
 あと、この妙ちくりんな口癖をどうにかしてくれると嬉しいんだけど……ね。
「それで、今日のメイシアはどうしたらいいですか?」
「えっと、そうね。午前中は来客があるから、自習の課題を出しておくわ。午後はいつもの所で臨時奉公する日だし、一緒に行きましょうか?」
「了解です♪」
「……ああ、今のわたしは、そのメイシアの笑みが何よりの清涼剤よ」
 出来る事なら、来客が来るまでそのひまわりの様な笑顔を見ていたい位だった。
「マスター、何だか心が荒んでるです……」
「あはは……だってこれから待っているのは、ある意味一番しんどいお仕事だしね」

 そして……。

「……では、今回はこの条件でよろしくお願い致します」
「ええ、確かに承りました。マッカレイ様」
 書斎の机を挟んでお互いが牽制し合うような目を向けたまま、先方からサインを入れてもらったばかりの契約書を、引きつった笑みと共に受け取る
わたし。
 一ヶ月間、Cランクのメイドを三人派遣する内容の雑用業務の契約で、交渉時間はおおよそ一時間。
 取引先泣かせで有名な企業家であるマッカレイさんが相手じゃなければ、大体はこの半分もかからないんだけど。
「半年前と比べて、見る見るうちにしっかりとしてこられていますな。その向上心は、うちの若い者にも見習わせたいくらいですよ」
 と言っても、本当に話にならない条件を求めてくる人では無くて、むしろ生かさず殺さずのラインで交渉そのものを楽しんでいる風なのが、余計に厄介と言えば厄介だった。
「そりゃもう、看板を背負っていますから」
 しかし、泣き言なんて言ってられない。
 わたしがやれなきゃ、エトレッド・エージェンシーはそこで終わりなのだから。
「なるほど。では、また来月の交渉も楽しみにしておりますよ?」
「……いつもご贔屓に、どーも」
 ついでに言えば、このマッカレイさんは先代からのお得意様でもあり、旧知の仲ながら父も随分と泣かされてきたみたいだった。
 ……ただお陰で、交渉術を鍛えられているのも確かだし、最初の頃は無知なわたしがタブーを冒そうとすれば指摘してやり直すチャンスをくれたりと、
実際にそういう素振りも見えるんだけど……。
「あーもう、疲れた……」
 とにもかくにも、マッカレイさんを見送った後で、ようやく午前中に予定していた交渉を全て終えたわたしは、ぐったりと机にうつ伏せてゆく。
「でもこればっかりは、何度やっても慣れない上にしんどいわね……特にマッカレイさんは……」
 一応、今回も全て無事に契約が成立したのはいいものの、交渉時間の方も少しずつ伸びてきている傾向にあるし。
「お疲れ様です、お姉ちゃん……」
「……マスターと呼びなさいって言ってるでしょ?しかし予想はしてたけど、やっぱりみんな厳しくなってきたわね」
 最近は安さを武器にしたエージェンシーも出てきて競争が激しくなってきているからか、少しでも安く、シビアなプランを要求してくる顧客が多い。
 確かに、信頼出来るメイドを一時間単位で雇える手軽さがエージェンシーのウリだと言っても、中途半端な時間帯にうちの主力を本当に1コマだけとか、途中で中途半端に空いてしまうドーナツみたいなスケジュールの切り売りを要求されても、こっちは商売にならないというのに。
(一応出来高制とは言え、専属メイドには最低保証賃金を払う義務があるんだからさぁ)
 やっぱり、一般層相手だとジリ貧は必至なのかもしれない。
 だからと言って、多額の負債を抱える覚悟で冒険する気も起きないし、そもそも担保もロクに無いのに資金を貸してくれる銀行があるのかどうかすら
不明だった。
「それで……そろそろ時間ですけど、どうするですか?」
 ともあれ、それから未だに動く気力が沸かなくて机の上に胸を張り付かせたままのわたしへ、メイシアが遠慮がちに尋ねてくる。
「ああ、もうお昼なんだっけ……。メイシアに出した課題の結果も見たいけど、そっちは後回しにしておくとして……」
 一応、最大の山場は乗り越えたとはいえ、そういえば、今日の自分の仕事はまだ半分も終わっちゃいなかった。
「それじゃ、お出かけするですか?」
「ええ。大目に見てくれる相手とはいえ、遅刻は厳禁だしね。メイシアも準備してちょうだい」
 ……となれば、こんな所でいつまでも伸びてはいられない。
 わたしは頬を叩きながら、気力を振り絞って立ち上がると、メイシアに促して次の仕事の支度を始めていった。

                    *

「あ、いらっしゃいませ〜。二名様ですか?」
「いらっしゃいませです〜♪」
「……だから、語尾の”です”は余計よ、メイシア?」
「あはは、つい癖でですねぇ……」
 やがて、出向いた先で二人揃って午後のお仕事に従事していく中、お客には見えない様に気を配りながら、こつんと軽く後ろ頭を小突いて小声で指摘してやるわたしに、メイシアはあまり反省しているとは思えない苦笑いで言い訳を返してくる。
「ホント、その癖はいつになったら直ってくれるのかしらね……」
「まぁまぁ、年相応でいいじゃねぇか。うちの客にも可愛いと好評だぜ?」
「マスターは黙っていて。ヘンな癖は今のうちに直しておかないと困るんだから。……あと、お辞儀の角度は四十五度位を意識しなさいって、いつも言ってるでしょ?」
 こういった、ネチネチと細かい指導は小煩い様でも、パーラーメイドとしては生命線に関わる部分でもある。
 ……何せ、相手の機嫌を取ってナンボと言われる仕事だけに、一瞬の緩みが不興へと繋がり、最悪には仕事を失いかねない事態を招いてしまうのだから。
 ちなみに世間のイメージでは、パーラーは容姿で全てが決まるみたいに思われているらしいけど、実際は見てくれだけで勤まる程に甘い仕事ではないのである。
「さっすが、Aランクメイドのチェックは厳しいみてぇだな。ほれ、8番テーブルのランチ上がったぞ?」
「……ここで、その話は持ち出さないでよ。はい、了解です」
 ともあれ、午後からエージェンシーを一時クローズ状態にしてまで何をしているのかと言えば、近所の丘の上にあるカフェ、星辰の麓亭でウェイトレスをしていたりして。
「はい、本日のマスターお勧めの海鮮サンドセット、お待たせいたしました♪」
 ここの店主であるタレットさんとは父の代からの古い付き合いで、わたしがエージェンシーを継いだ時に、金に困っているならウチで働いて足しにしろと強引に誘われ、こちらの手が空いた時で構わないという条件で副業をさせてもらっていた。
「おっ、きたきた……」
「やっぱり、お昼はこれよね?毎日食べても変化があって嬉しいし」
「ありがとうございます。……では、ごゆっくりどうぞ」
(しっかし、相変わらず人気よね、この日替わり海鮮サンド……。見た目より手間隙かかりすぎて、ちょっと盗めないけど)
 「金に困ったならうちで働け」なんて大見得を切るだけあって、実はこの星辰の麓亭は熱心な常連客を多く抱えた、知る人ぞ知るの名店である。
 王都内にしては珍しく、魚介類を中心とした料理もさる事ながら、マスターの入れる紅茶やコーヒーが特に評判で、大衆店ながらお忍びでやってくる貴族や、お屋敷からお使いを命じられて通ってくる使用人も多くて、取材は一切お断りながら、申し込み自体は後を絶たないんだそうで。
 ついでに言えば、実はこのタレットさんはわたしがメイド見習い時代、料理やお茶の淹れ方を教わった師匠でもあり、そんな縁や勝手知ったる気軽さがあって、ついつい好意に甘えてしまっている。
「それでも、やっぱりここで副業に励むのは複雑なのよねぇ……」
「……ああ?やってる事は別に屋敷の給仕と大差無いだろうが?ほら、6番テーブルの注文が出来たぞ?」
 やがて接客後、カウンターまで戻って溜息混じりにぼやくわたしへ、タレットさんが繊細な加減で淹れた絶妙の芳香漂うダージリン・ティーとスコーンを
トレイに乗せながら、デリカシーの欠片もない言葉をかけてくる。
「いや、そういう問題じゃないってば……」
 そこはエージェンシーのマスターとして、そして王国から一流の証である公式Aランクの称号を受けたメイドとしてのプライドとでも申しますか。
 大体、宮廷で働ける程のクラスにまで到達したメイドが副業で食い繋ぐというのは、世間体的にも決していいものじゃないし。
「まぁまぁ、固い事は言いなさんな。金が入るだけじゃなくて、見習いメイドの接客訓練にもなるし、営業活動の効果もあって一石二鳥だろうが?」
 すると、そんなわたしにそう言って、好意で店内に数カ所ほど貼らせてもらったうちの広告ポスターの一つを親指で差して見せるマスター。
「まぁそれを言われたら、いつも感謝しておりますって言うしか無いんだけどね……んじゃ、冷めないうちに持って行ってきます」
 確かに、店の奥で接客しているメイシアの実地訓練にも都合がいいし、ここの客層はうちの顧客になってくれそうな人達も多いしで、実際にここで働かせて貰うメリットは少なくない。
 それに何より、持ちつ持たれつの関係を保ちながらも、タレットさんは亡き親友の娘であるわたしを助けようとしてくれている。
「お待たせ致しました♪ダージリン・ティーセットです。ごゆっくりどうぞ」
 ……だからマスターの言う通り、体面さえ気にしなければ、確かに悪い話じゃないのは確かなんだろう。
「お〜っほっほっほっ。ごきげんようメイフェルさん、今日も見事な看板娘っぷりですわねぇ?」
 しかし、そんな事を考えながらオーダーを運んで再びカウンターへと戻る途中、来客を告げる鈴の音が小さく響くと、ブロンドの髪を縦ロールで決めたお嬢様が、高らかな笑い声と共に来店してきた。
(あとは、こいつさえ来なければね……)
「……いらっしゃいませ、お嬢様」
「それにしても、ここは相変らず豪勢なお店ですわねぇ?王国公認のAランクメイドの方に給仕していただけるなんて。他ではちょっとあり得ませんわよ?」
 むかっ。
「ではどうぞ、お席へご案内致します」
「メイフェルさんも、天職が見つかったみたいで良かったですわねぇ?」
 むかむかっ。
 店に入るなり、嫌味たっぷりの台詞を途切れなく続けてきているこのお嬢様の名は、ラトゥーレ・リースリング。この王都を代表する一つに数えられる、
名門リースリング・エージェンシーの跡取り娘であり……そして不本意ながら、わたしの幼馴染みでもあった。
 ……もっとも、幼馴染みというよりは、同じエージェンシーの娘としてライバルだったと言うべきだろうけど。
「どうでもいいんだけどさ、ラトゥーレ。もしかしてワザワザわたしが働いている時間を見計らって来てんの?」
 いつもあんな感じで、ドアを潜るなり確認もしないでわたしを名指ししながら登場する所とか見ていると、そんな風に思えてならないんですが。
「あらあら、自意識過剰な方は困りますわ。今日はお父様より任させた、大事なお仕事の打ち合わせに立ち寄っただけですのに。……ほら、行きますわよスクラ?」
 しかし、そろそろ減らず口の連鎖を止めてやろうと、力の限り冷淡な視線を向けて囁きかけてやるわたしなものの、ラトゥーレからは鼻で笑いながら肩を竦めて見せられてしまった。
 むかむかむかっっ。
(だったら、最初から嫌味なんて言わないで、シカトしてなさいよっ!)
「……はい、お嬢様」
「…………っ?!」
 しかし、それからラトゥーレに促された後で、背後に控えていた青系のエプロンドレスに身を包んだストレートロングの少女が静かに頷いた姿を目にすると、わたしは沸騰しかけた怒りも忘れて、思わず目を見張ってしまう。
 それは、ひと目惚れした時にも似た感覚。
 ……と言っても、別に恋愛方面でという意味じゃなくて、あくまでエージェンシーのマスターとしての話だけど。
(うわ……ぁっ)
 やや感情に欠ける印象はあるものの、まるで美しい人形を思わせる白雪の様な肌に、蒼く棲んだ瞳を持つ美しくも整った顔立ち。そして女性にしては
長身で自己主張し過ぎない整ったプロポーションに、一切の隙を感じさせないキレのある立ち振る舞いは、わたしをその場へ硬直させるほどの底知れない雰囲気を醸し出していた。
「そ、その子、新入り?」
「ええ。先日、お父様から教育とマネージメントを任されましたの。貧乏エージェンシーの貴女の所などへは決して寄り付かない逸材ですわよ?お〜っほっほっほっ♪」
 そこで、引き寄せられる心地の赴くがままに尋ねるわたしへ、ラトゥーレは買ってもらったばかりのオモチャでも自慢するかの様な口調で高笑いを返してくる。
「…………っっ」
 むかむかむかむかっっっ。
(人がちょっと羨ましがったと思って、図に乗るんじゃないわよ……っ!)
「…………」
「……それで、本日のご注文は?」
 しかし、それでも息を止めて感情を飲み込み、二人がテーブルに着いた後で何事も無かったかのごとくオーダーを伺うわたし。
 ロクな奉公の経験も無い誰かさんと違って、このわたしとて公式Aランクメイド。その程度の安い挑発で激昂するほど落ちぶれてはいませんとも。
「それでは、わたくしはいつものマリアージュフレールとスコーンを。スクラも同じで宜しいわね?」
「ええ」
 すると、わたしをやり込めた上機嫌さを表情に浮かべてオーダーしてくるラトゥーレに対して、スクラと呼ばれた少女の方は、さして興味も無さそうに頷き返した。
(やっぱり、綺麗だなぁ……)
 しかし、だからといって本来はメイドとしては致命的な欠点になりかねない無愛想さが、彼女の場合は寧ろミステリアスな雰囲気をより引き立てている
感じだったりもして。
(まったく、神様は不公平よね……)
 いずれにしても、わたしにとっては目に毒だった。
「かしこまりました……少々お待ちくださいませ」
「……ああそうだ、メイフェルさん。先日お父様に、貴女の所と統合して差し上げてはいかがかしらとお願いしてみましたの」
 ともあれ、オーダーを受けた後に、ようやく嫌な奴から離れられると踵を返した所で、わたしの背中へ向けてラトゥーレがそんな台詞を続けてくる。
「ちょっと、勝手に余計な打診をしないでくれるかしら?」
 悪いけど、敵対的買収はお断りさせていただきたいのですが。
「そうしたら、お父様からの返事は、考えるまでも無く“ノー”でしたわ。まぁ、所詮はそれだけの価値も無いって事ですわね?」
「……く……っ!」
 何の苦労も知らずに、ぬくぬくと育ってきたお嬢様がっ。
「……マスター、マリアージュフレールとスコーンのセットを二つ。何か打ち合わせするって言ってたから、そんなに急がなくてもいいんじゃない?」
 そして、唇を噛みながらカウンター前へ戻ったわたしは、これ以上無い位の素っ気無い口調でラトゥーレ達のオーダーを伝えた。
「ははは、まぁそう尖がるな。昔はあんなに仲が良かったじゃねぇか?」
「そうね、よく一緒に遊んでいたってのが信じられないわ」
 今ではそんな過去なんて、お互いが黒歴史って所だろうけど。
「それに、ラトゥーレ嬢ちゃんもあれで結構苦労してるみたいだぞ?名門エージェンシーの跡取り候補ってのも、色々あるもんだ」
「……だけど、ラトゥーレのは全てを保証された上での苦労でしょ?」
 そんなぬるま湯とわたしの苦労とを同列にされても、不愉快なだけなんですが。

                    *

「はぁ……」
「お姉ちゃん、また疲れが溜まってきているですか?」
 やがて、星辰の麓亭での仕事が終わった帰り道、夕暮れの住宅通りを歩きながら溜息を吐くわたしに、隣で手を繋いで一緒に歩いていたメイシアが
心配そうに声をかけてくる。
「ん?疲れていないと言ったら嘘になるけど、そうじゃなくてね……」
 ぶっちゃけてしまえば、ラトゥーレが羨ましかった。
 先程からわたしの頭の中には、あいつに連れられてやってきた、スクラと呼ばれたメイドの姿が脳裏から離れない。
 全員が公式ランクじゃないとしても、王国御用達エージェンシーの一つであり、Aランクメイドを数十人単位で抱えているリースリングなのに、まだあんな新人を引っ張ってこられるなんて。
(……いや、むしろ逆か)
 所詮、人材なんて集まるところにしか集まらない。名門は何もしなくても勝手に人材や仕事が集まり、弱小は益々痩せ細っていく。
(やっぱり、下駄を履き違えたのかなぁ?)
 思えば、代が変わって主力の殆どが抜けてしまった時から、既に手遅れだったのかもしれない。
「…………」
 今から約半年前、当時の御得意様だったクラウス伯爵の屋敷へ契約交渉に向かう途中で両親が不幸に遭い、その頃メイドとしてさる貴族のお屋敷で
働いていたわたしは、突然に人生の岐路を突きつけられてしまった。
 暴走する馬車に轢かれ、ほんの一瞬にして失ってしまった両親に代わり、わたしが祖父、父と親子二代で続いていたエトレッド・エージェンシーを継ぐのか、それとも看板を閉じてしまうかを。
 しかも、わたしが悩んでいる短い間を待たずして、今まで登録していたメンバーは次々と離れていき、父がマスターをやっていた頃にはAランクメイドが
4人、Bランクが10人、Cランクが20人いた人材も、決断を下す約束の日には、既にAランクが自分を除く残り全員、Bランクが8人、そしてCランクも半分程が居なくなっていた(後に、アンジェラは掛け持ちという形で戻ってきたけれど)。
「…………」
 正直な話、後を継ぐかどうかの話はまだまだ先だと思って、経営に関してはろくに勉強していなかったし、既にメイドとして一人前に仕事がこなせる様になっていた事もあり、わたし自身はエージェンシーを継ぐのに執着はしていなかったというか、むしろ最初は解散に傾いていたのが本音だったものの、
それでもここにいるメイシアや、自分を頼って残った少ないメンバーの中には長年務めてくれた功労者もいて、彼女達を見捨てる事はどうしても出来ず、結局は新たなマスターとしてエージェンシー継続の申告書にサインをしてしまった。
(けど……本当に、それで正しかったのかな?)
 いずれ沈んでしまう公算が極めて高い船に留まらせても、所詮は時間の問題でしかない。
 むしろ、新しい船に乗り移る機会を逸して、結果的に間違った決断だったという可能性だって……。
「…………」
(……まぁ、今更考えても仕方が無いわよね)
 何とか沈まずに済んでいる今はただ、自分に出来ることをやるしかない。
 これも弱小とは言え、エージェンシーの娘に生まれた宿命なのかもしれないし。
(ああ、そういえばさし当たって、自分に出来る事が一つ残ってたわね……)
「……メイシア、わたしはちょっとウィリアムさんのお宅へ行ってくるわ」
 ともあれ、そんな回想を続ける中で、ふとミルフィの事を思い出したわたしは繋いでいたメイシアの手を離すと、親指でウィリアムさんの家の方角へと
指差す。
 ちょうどこの場所からならば、目的の場所はすぐ目と鼻の先だった。
「あはは、やっぱりミルフィお姉ちゃんが心配ですか?」
「もうちょっと落ち着きを持ってくれれば、いいメイドになれると思うんだけどね」
 すると、苦笑いを浮かべて水を向けてくるメイシアに、小さく肩を竦めて同じく苦笑いを返すわたし。
 ミルフィは代々貴族の屋敷で家庭教師をしている家柄の娘で、現在は以前のわたしと同じく、学業の傍らで学費稼ぎと社会勉強を兼ねて、うちのエージェンシーにやってきた登録メイドだった。
 ……と言っても、やってきたというよりは、彼女の母親がうちの登録メイドだった縁で連れて来られたという方が正解だけど。
 元々、使用人の雇用においては血縁関係での繋がりは好まれていたけれど、登録メイドの身分を保証しなければならないエージェンシーとしても、身元保証がしっかりしているミルフィやマリーの娘のエレンといった縁故採用は歓迎すべき話といえた(ついでに、ディテクティブを雇って身辺調査にかかる
費用も大分違ってくるし)。
 ちなみに、ミルフィは本の虫で学業成績は抜群、卒業後はメイドを続ける傍らで作家を目指したいという事なので、将来は家庭教師や書庫の司書等の高度な知識を要求される仕事へ派遣出来る様になるんじゃないかと期待は抱いているものの、基本的な部分で欠点を抱えているのが、マスターとしては頭の痛い所だった。
(さて、ちゃんとやってくれてるといいんだけど……)
 一応は、王都でも著名な劇作家に指名してもらえる程のお気に入りなんだからさ。

                    *

「すみません、御免ください」
「……おやおや、これはエスプリシア様。ごきげんよう」
 やがて、ウィリアム家の玄関まで着いた所で呼び鈴を鳴らすと、しばらく待った後にフォーマル・スーツを上品に着こなした初老の老人が出てきて、
わたしの姿に気付くや否や、柔和な笑みを浮かべながら挨拶してきた。
 互いに見知った顔で、ウィリアムさんの執事を務めているクレイメントさんだった。
「いつもお世話になっております。ええと、うちのミルフィは上手くやっていますでしょうか?」
「ほっほっほっ、マスター自ら御視察という訳ですな。どうぞどうぞ」
 早速、不安な感情を押し殺す事を放棄して、苦笑いを浮かべながら用件を伝えると、クレイメントさんはまるでわたしの心配を楽しむかの様な笑いと
共に、屋敷の中へと招き入れてくれた。
「ミルフィ嬢には大変良くして頂いておりますとも。特に旦那様がお求めになられる資料を探し当てられる速度は、私共では足元にも及びません」
「まぁ、それだけが取り得と言えば取り得なんですけどね……」
 それでも、素晴らしい能力には違いない。
 現に、その能力を見込んでウィリアムさんが贔屓にしてくれているんだし。
 ……という訳で、ミルフィの長所を生かす部分においては、わたしも特に心配はしていなかった。
「ささ、お入り下さいませ。旦那様もいらっしゃいます」
「すみません……。それでは、少しだけお邪魔させていただきますね」
 そして、ウィリアム家の書庫件、仕事部屋へと快く通されると、わたしは辺り一面に広がる本棚の森を見回しながら圧倒されてしまう。
(うは、相変らず凄いなぁ……)
 この部屋を訪れたのは初仕事の日以来だけど、さすがは創作を生業としている人の仕事場だけあってか、お屋敷全体はごく一般の中流家庭の家より多少広いという程度なのに、書庫だけは貴族のお城にも負けない規模だった。
「ミルフィ?何処にいるの?」
 ともあれ、書庫の中央付近に設置されている、本や紙で溢れた大きな机にしがみついて熱心にお仕事中(というか、何だか頭を掻きむしっているみたいだけど)のウィリアムさんの邪魔をしない様に気遣いながら、書庫整理をしているはずのミルフィを探すわたし。
 出来れば、先に家主へ挨拶を済ませておきたいけれど、作家や作曲家といった先生方の仕事中にヘタに声をかけて手を止めてしまうのは、一番やってはいけないタブーだから仕方が無い。
「あ、マスター?お〜い、こっちこっち♪」
 すると、程なくしてわたしを呼ぶ声が上方から聞こえたので見上げてみると、脚立に昇って最上段の本棚を整理しているらしいミルフィが、こちらへ向けて両手を振っていた。
「ちょっ、そんな不安定な場所で危ないから、やめなさいって」
「え〜?何が危な……きゃあっ?!」
 そこで、慌てて注意するわたしだったものの時既に遅く、最後まで言い終える前に足を滑らせたミルフィは脚立から転げ落ち、そのまま棚に並んだ本が追い打ちをかける様に次々と彼女の上へ降り注いで、あっという間に書籍の山に埋もれてしまった。
(あっちゃ〜っ……)
 これが、ミルフィの悪い癖。
 確かに集中力は優れているんだけど、その代わりに注意がほぼ一方にしか向かなくなってしまう。
「ミルフィ、大丈夫?!」
「あはは……またやっちゃいましたぁ」
 とにもかくにも、わたしは慌てて近寄りながら声を掛けると、降ってきた大量の本に押し潰される形で倒れ込んだまま、脳天気な声で返事を返してくる
ミルフィ。
 どうやら、無事みたいだけど……。
「…………」
「…………」
「……ねぇ、どこか打ったの?痛むとか」
 しかし、そのまましばらく経過しても一向に動こうとしないミルフィに不安を覚えたわたしは、恐る恐る今の状態を尋ねてみる。
 急いで本をどけてやりたいのは山々なんだけど、打撲なり最悪は骨折でもしているのなら、慎重に動かないとならないし。
「いや、こうして沢山の書物に埋もれるのって、なんだか幸せだなぁ……って」
「…………」
 ダメだ、こりゃ。
「おやおや、これはなかなか凄い事になっておりますな?」
「おっ、お騒がせしてすみませんっ!わたしも手伝って、すぐに原状回復しますからっ」
 やがて、空模様でも眺めている様に穏やかな口調で感想をもらしながら顔を出してくるクレイメンスさんへ、慌てて平謝りするわたし。
 まったく、嫌な予感が的中……。これだから、安心して任せられないのよね。
(もう、どうしてうちに登録しているのは、こんなのばっかりなのよぉ……)
 まぁ、だからミルフィもいつまで経ってもCランクなのかもしれないけど。
「いえいえ、構いませんとも。こういったハプニングは、時として旦那様に良い刺激を与える事がございますからな」
 しかし、そこで内心の苛立ちを強めるわたしに対して、クレイメンスさんは好々爺の笑みを浮かべてそう告げてくる。
「え……?」
「……うむ。さっきので何かが閃いた気分だ。そうそう、ここで敢えて全部ひっくり返してしまうという手もあったか。ふむ……」
 そして、クレイメンスさんの台詞に呼応する様に、背後からウィリアムさんの声が聞こえたので振り返ってみると、腕組みと共にこちらを見据えながら、
満足そうに何度も頷いていた。
「あ、あの……?」
「よし、これでプロットがまとまった。助力に感謝するぞ?」
 それから頭の中で自己完結したのか、独り言が収まった後でそう締めくくると、ウィリアムさんは再び机にかじりつき、一心不乱に作業を再開していく。
「えっと……」
「ほっほっほっ、お手柄でしたな、ミルフィさん」
「いえ〜い♪」
 それを見て、嬉しそうにそう告げてくるクレイメンスさんに、ようやく本の山から自力で抜け出してきたミルフィがVサインを見せた。
「…………」
(……あ〜もう、どういう展開よ一体……)
 まぁ先方さんに喜んでもらえたなら、それでいいんですけどね。
(結局、積み重なるのは、余計な気苦労ばかり背負い込むわたしのストレスだけですか……)
 今晩の夕食の後は、胃薬でも飲んでおいた方が良さそうだった。

                    *

「はーっ、ただいま〜」
「あ、おかえりなさいです〜♪」
 やがて、ミルフィの仕事が終わるのを見届けて、他の雑用も片付けた後でうちへと一人で戻った時は、既に午後九時を過ぎていた。
「すっかり遅くなっちゃったけど、いい子にしていたかしら、メイシア?」
「もう、いつまでもそうやって子供扱いしないでくださいです〜っ!」
 早速、玄関まで走ってきて出迎えてくれたメイシアの頭を撫でながら軽口を返すと、予想通りに頬を膨らませて、ぷんぷんと怒り出してくる。
(……悪いけど、子供扱いするなと言われても、全然説得力が感じられないのよね)
 とはいえ、まだ十三歳という年齢を考えれば、幼さが残っていても当たり前ではあるんだけど。
「これでも、ちゃんとお姉ちゃんの為にディナーを作りながら待っていたですよ?」
「ゴメンゴメン。それじゃ早速、その成果を書斎まで持ってきてもらおうかな?」
 一応、うちにもちゃんと食堂はあるものの、多忙なマスターになってからは食事を摂りながら事務仕事を片付ける事が多くなり、行儀が悪いと自覚しながらも、専ら書斎の机がわたしの食事場所となってしまっていた。
「はいで〜っす♪お疲れだと思って、ちゃんとデザートも用意しているですよ〜?」
「……メイシア。何度も言う様だけど、勤め先の先方にそんな返事をしちゃダメよ?」
 確かに、メイドとしての技能は日に日に向上しているものの、この甘えた口調と、語尾に「です」を付ける癖も何とかしてもらわない事には、とても実地へ出せないワケで。
「大丈夫です、勿論分かってますですよ?」
 しかし、そんなわたしの心配を余所に、メイシアは満面の笑みを浮かべながら頷くと、スキップしながらキッチン方面へと走り去ってしまった。
(ホントに、大丈夫かしら……?)
 それでも、やっぱり生まれの違いなのか、“スーパー”じゃなくて“ディナー”、そして“スイーツ”じゃなくて“デザート”と無意識に言っている所とか、根っこの部分での言葉遣いや発音は貴族階級のものに準じているだけに、期待はしているんだけどね。
「生まれの違い、か……」
 まぁ本来は、子爵家のお嬢様として甘やかされ尽くしている年頃なんだし、わたしがメイド時代にお世話をした、メイシアと同年代の貴族の子女と比べれば、比べ物にならない位にしっかりしているとは思う。
「……ああ、そうだ。そろそろ今月分の報告書を書かないとね」
 そこで、「子爵家のお嬢様」という単語から、ふとメイシアの父親へ提出する書類の事を思い出したわたしは、のそのそと重い足取りで書斎へと向かって行く。
 こういう疲れている時にやる書類作成は正直気が滅入るし、どうせ提出した所でロクに読んでもいないんだろうけど、約束は約束である。
「まったく、貴族ってのは自分勝手なものよね……実の娘だってのに」
 実は、うちのメイシア(フルネームはメイシア・プラムナード)は、さる子爵家の当主から頼まれ、見習いメイドとして二年ほど前から預かっている貴族の娘だった。
 どうして貴族の娘がメイド見習いになる羽目になったのかといえば、メイシアの父親であるスチュワート子爵が、一夜の過ちでパブの踊り子に産ませた妾の子であるからだった。
 メイシアが生まれた当初は、郊外に家を与えられて母子二人で暮らしていたものの、十一歳の誕生日を迎えた年に、母親が流行り病にかかって亡くなってしまい、父親である子爵は残された忘れ形見の扱いに頭を悩ませる事となった。
 自分には既に正妻との間に四人の子供がいるから、隠し子のメイシアを嫡子として屋敷へ迎え入れる訳には勿論いかない。しかし、妾とはいえ幼い自分の娘を天涯孤独の身として放り出すのも心苦しい。そんな中でスチュワート卿が思い付いたのが、場末の信用出来るエージェンシーに見習いメイドとして預ける事だった。
 そこで子爵は、当時スチュワート家へメイドを派遣していたうちのエージェンシーに目を付け、当代のマスターだった父が頼み込まれる形でメイシアを預かることになったものの、つまる所はうちへ呈のいい厄介払いをされたという事になる。
「…………」
 それでも、成人するまでは毎月報告書を提出するのと引き換えに、決して少なくない額の補償金(おそらく口止め料込み)を支払う約束を交わした所から、娘に自分の力で生きていける術を身に付けさせてやりたい親心も見えないとは言えないものの、やっぱり安心してメイシアを遠ざけられる引き取り先が見つかった事に安堵しているのが本音なのは間違い無いだろう。
 その証拠に、メイシアを預かって以後は派遣の依頼が無くなり、事実上、報告書の提出以外ではうちとの一切の関わりを拒否しているし。
(……まぁ、今となってはお互いにその方がいいのかもしれないけどね……)
 ちなみに、メイシアの方はそんな父親の心情を知ってか知らずか、寂しいとか会いたいとか、もしくは憎んでいる等のいかなる感情もわたしの前で一切見せたことはなかった。
 その為、時々常に笑顔を絶やさないメイシアの姿が酷く痛々しく思えることもある。
「…………」
 だから正直な話、わたし個人としては子爵にメイシアの父親面をされるのは気分が悪いんだけど、それでもギリギリの経営が続いている現在の財務状態では、定期的に入ってくる補償金が占めるウェイトは決して軽くないのが哀しい所だった。
 ……ともあれ、そんなこんなで見習いメイドの訓練として、わたしを主人のつもりで世話をする様に命じながらも、自分を姉と慕うメイシアにはついつい
甘くなってしまいがちになるのも否定出来ない部分である。
 何より、両親を失った身の上である今のわたしにとって、血の繋がりは無くとも、メイシアは唯一の家族なのだから。
(いつの間にか、すっかり似たもの同士の境遇になっちゃったわよね、わたし達……)
 ただ、メイシア自身にとってもうちにとっても幸いだったのは、彼女がメイドとしての高い資質を持っていた事である。働きに出ていた母との二人暮しで
幼い頃から家事をしていたという事情もさることながら、特に大きいのが母親の生前、度々お忍びで会いに来ていた父親から躾を受けていて、言葉遣いや物腰が貴族流に準じているという点だった。
(ここだけは、子爵に感謝しておくべき所なのかしらね……)
 かつて、言葉遣いが気に入らないという理由だけで解雇されたメイドも多かったという記録が残っている様に、位の高い貴族になればなるほど、自分の屋敷で雇用するメイドに対して厳しい礼儀作法を要求してくる。
 勿論、時代に合わせた貴族の礼儀作法を学ぶのはメイドとしては必須科目ながら、知識を得ても体現出来るかどうかは別問題であり、そういった点で特に一番難儀する発音を含め、ナチュラルに振る舞う事が出来るメイシアは、大きなアドバンテージを持っていると言えた。
 そんな訳で、メイシアは将来うちの看板メイドにもなってくれる可能性を秘めているし、上手く育ってくれれば、うちのエージェンシーの建て直しも見えてくるかもしれない。
「……ま、その前に経営破綻しなければ、だけど」
 そうなったら、リースリングにでも引き取りを頼むしかないんだろうけど、さすがにそれは腹立たしい。
 いずれは飲み込まれるか、消滅してしまう運命だとしても、育ち盛りのメイシアやミルフィ、それにエレンはわたしの手で一人前にしてやりたいしね。
「さて、それじゃ始めますか……ん?」
 ともあれ、気を取り直して報告書の作成に専念しようとした所で、机の真ん中に一通の郵便物が置かれているのに気付くわたし。
 それは、白地に女神像を象ったライオネル王家の紋章が入った特別製の便箋で、王室から送られてきた手紙である事を示していた。
(王室からの手紙……まさか、事業税でも上げるってんじゃないでしょうね?)
 それを見て、いきなりこんな思考に陥ってしまうのも哀しいけれど、最近はエージェンシーも過渡競争になってきて、そろそろ足切りにかかってくるという噂もあるし。
「……いや、これは……」
 しかし、とりあえず開封しようと手に取った所で、便箋の裏に見覚えのある署名を見つけるわたし。
 そこには、やや丸みを帯びた綺麗な筆記体で、『ルフィーナより、親愛なるメイフェルへ』と記されていた。
「ああ、いつものお手紙だったのね……」
 嫌な予感は杞憂に終わって安堵しつつ、早速ペーパーナイフで封を空け、香水がほのかに薫る手紙の内容に目を通すと、久々にわたしの顔が見たくなったので、明日の正午に噴水広場でお待ちしていますとの事。
「……また、こっそりと城を抜け出して、羽を伸ばしたくなりましたか、お姫様」
 一応、うちのエージェンシーの営業時間を知っているからだろうけど、前日にお誘いをかけて有無を言わせずって辺りが、実にワガママ王女らしい。
 この、時々お誘いの手紙を送ってくるライオネル王国第二王女のルフィーナ・A(アゼリアーネ)・ハイランド姫は、幼い頃に帝王学の一環とか何とかで
庶民向けの学校へ一時期通っていた事があり、わたしと彼女はクラスメートの間柄だった。
 ちょうど席が隣で、担当の先生に命じられて案内係も務めた縁で仲が良くなり、王宮へ戻った後も時々こうして手紙をくれている。
 勿論、立場の違いで滅多に会えなくなった友人への想いは否定しないとしても、そろそろ宮殿を抜け出して気分転換でもしたくなったのが半分くらいは
あるんだろうな。
「明日、かぁ……」
 確かに明日は休日ながら、さっき思い出した報告書も含めて、溜まっていた書類仕事を片付けるつもりだったんだけど……。
(んー、明日遊んじゃって間に合うかな……?)
 だけど、せっかくの王女様のお誘いを無碍にする訳にもいかないし、ずっと働きづめのわたしにも、そろそろ休息の一つも必要だろう。
(でも、あまり仕事を溜め込むと後がつらくなるし……うーん……)
 メイド時代は、雇用主から決まったお休みの日を「与えられて」いたけれど、経営者となった今は、お休みを取る事すらこんなに難しくなるなんてね。
「……はぁ……」
「おまたせしましたです〜♪メイシアのスペシャル・ディナーですよぉ♪」
 するとそんな時、慌ただしい足音と共に入り口のドアが派手に開かれたかと思うと、顔を出して来たメイシアの底抜けに明るい声が、書斎の雰囲気を
一変させた。
「……メイシア、今朝わたしが言った事、覚えてる?」
 正直、そんな愛すべき妹の無邪気さが、重苦しくなりかけた気持ちを吹き飛ばしてくれたものの、しかしそれでも、マスターとしては見過ごすわけに
いかない。
 よっぽどの自信作なのか、上機嫌な面持ちで大きなトレイを持って書斎へ入ってくるメイシアへ、わたしは笑みを返してやりたい気持ちを抑え、敢えて
厳しい視線を向けながらそう尋ねる。
 時計の針を見ると、彼女が夕食の支度に向かってから、既に三十分近くが経過していた。
「だって、お姉ちゃんの帰りが遅いですから、すっかり冷めてしまった料理を温め直すのに時間がかかったですよぉ……」
「それを主に合わせて保温方法とか、調理のタイミングとかの工夫でどうにかするのが優秀なメイドってものなんだけどね。……まぁ、お陰で今は何を食べても美味しいだろうけど」
 そしてわたしはそう告げると、自分の胃袋を指差して、先程からぐーぐー鳴っているお腹の音を聞かせてやった。
「あはは、空腹は最高のスパイスだって言うじゃないですかぁ♪」
「……だからって、自分で言わないの」
 ともあれ、将来は有望でも、まだまだ先は長そうだった。
「まぁ、いっか……んじゃ、明日はわたしも気分転換させてもらいますかね」
 もう、これ以上悩むのも面倒くさくなったし、気を滅入らせたまま週明けを迎えるよりはマシでしょ、多分。
「明日はって、どこか遊びに行くですか?」
「ええ、メイシアは連れて行けないのが悪いけど……」
「むぅ……。つまり、メイシアが戻ったら届いてたそのお手紙は、やっぱりルフィーナ様からのデートのお誘いでしたか……」
「デートって……まぁ、そんな所かもね」
 語弊がある様で、何が違うと言われたら、それはそれで反論も難しいし。
「いいなぁ……メイシアも、お姉ちゃんとデートしたいです」
「いや、本来のデートってのはね……」
 しかし、そこまで言いかけた所で、わたしは言葉に詰まる。
「ふぇ?本来のデートってのは、何ですかぁ?」
「……いや、そうね。またいずれ付き合ってあげるわ」
「あは、約束ですよ?指切りげんまんしますからね?」
「へいへい……」
 まだ心も身体も半人前のメイシアに、色気を覚えるきっかけを与えるのも早いかなと、言われるがままに指切りしながら、心の中で苦笑いするわたし。
 大切な妹が、妙な男にでも引っかかったら困るし……ね。

                    *

「さてと、お姫様はもう来てるかな……?」
 それからやってきた楽しい休日の午前、約束の時間の十分前に待ち合わせ場所である噴水広場へやってきたわたしは、早速あたりを見回して目的の人物の姿を探していく。
 王都でも憩いの場として有名なこの広場は、平日でも人の多いスポットだけど、今日は天気もいいだけあって、いつも以上に人で溢れかえっていた。
 そんなこんなで一見、お姫様とお忍びで会うには不向きな場所と思えるものの、逆にこの人通りの多さが衆目から上手く外れている感じで、正に「木を隠すなら森の中」という諺を地で行っているという所だろうか。
 そして、広場の中央に設置された、王国の守護神として信仰されている女神の像を奉った円形の大噴水の前が、わたしとルフィーナのお決まりの待ち合わせ場所になっていた。
 ……というか、目印としてはこれ以上無いくらいに分かりやすい場所だし。
(えっと多分、今日もこの辺りにいるはずなんだけど……あ、いたいた)
 やがて、挙動不審に思われない程度で人捜しをしているうちに、わたしは少し離れた視線の先で、エメラルド色のバッスル(お尻を強調したドレス)に、
合わせてコーディネートされた帽子、そして小さめの丸い眼鏡をかけたウェーブヘアの女性と、黒ずくめのフロック・コートを怖い位に着こなした長身男性の姿が目に映る。
 二人とも上流階級の証である白い手袋を身に着け、さる子爵家の御転婆お嬢様とそのお付きという設定をでっち上げて、それに準じた出で立ちをしているものの、間違いなくルフィーナと、普段は王室直属の近衛兵として宮殿を守っている護衛のゴードンさんだった。
(さて、どうやって声をかけようかな?)
 ルフィーナに会うのもかれこれ二ヶ月ぶりだし、ここはひとつ、御無礼をお許し頂いて驚かせたりしても面白いかも……。
「…………っ?!」
「へ……?」
 しかし、そんな事を考えている間に、視線の先にいる変装したルフィーナがわたしに気付くや否や、一目散にこちらの方へと駆け出してきた。
「……メイフェルっ、ちゃんと来てくれたのね?!」
 それから、あっという間に目の前までやって来たかと思うと、全身全霊でわたしを抱きしめてくるお姫様。
 まるでそれは、今まで抑制していた何かが弾けてしまったかの様に。
「え、ちょっ……ルフィーナ……?!」
 一方で、そんなお姫様の熱烈な再会の挨拶に、どうしていいか分からず目を白黒させてしまうわたし。
 ……というか、驚かせるつもりが、逆に驚かされてしまうなんて。
「まったくもう、久々にお誘いの手紙を出したのに、返事が無いんだもの。メイフェルならきっと来てくれるって信じていたけど、ちょっとだけ不安になっちゃったじゃない?」
「あはは、でも仕方が無いのよ……。わたしが受け取ったのは、昨日の夜中だったんだから」
 さすがに、あの時間は郵便屋さんも営業時間外だし。
「……そう。相変わらず忙しいみたいね?」
「ん〜。多忙でも、儲かっているなら文句はないんだけど……。正に、貧乏ヒマ無しって感じ」
 その後、抱きしめる力を幾分緩めて言葉を続けるルフィーナに、自虐気味な笑みを返すわたし。
「もしかして、誘ったのは迷惑だった?」
「いえいえ。王都に住む臣民として、姫様からのお誘いをどうして断れましょうか」
「もう……今は単にルフィーナとメイフェルの関係で話をしているの。クラスメートだった昔みたいにね」
 そこで、わたしがちょっとワザとらしい恭しさを見せながら言葉を返してやると、ルフィーナは怒った様な口調で口を尖らせてきた。
「分かってるってば。だからわたしも、今日は一緒に羽を伸ばすつもりで来たんだし」
「あは。だから好きよ、メイフェル♪」
 そして、「冗談よ」とばかりに片目を閉じてわたしがそう告げてやると、嬉しそうに再び全力で抱きしめてくるお姫様。
「ちょっ、ちょっと……いくら変装しているからって、往来でこんなコトしてたら目立っちゃうってばっっ」
 現に、ふと周囲へ視線をやってみると、それなりに人目を引いているみたいだし。
(……というか、あの人達の目には、わたし達はどういう風に映っているんだろう?)
 仲の良い親友同士?それとも……。
「それじゃ、そろそろ人気の少ない所へ移動しましょうか?」
 ともあれ、するとお姫様はわたしをようやく抱擁から解放した後で、今度は手を取りながら丘の上へ向けて指差していく。
「……それって何だか、言葉の響きがいかがわしいんだげど」
「なぁに?いかがわしいコトができる所へ行きたいの?うふふ……」
「もう……はしたなくてよ、お姫様」
 ゴードンさんも見張っているというのに、そんなお誘いに乗ったりしたら、この王都に住めなくなっちゃうでしょうが。
(……というか、ルフィーナ自身、何処まで本気で言っているのやらね)
 まぁ確かに、わたし達って「友情」って言葉じゃ足りない間柄なのかもしれないけど。

                    *

「おう、らっしゃい。何だメイフェル、今日は休みを取ってデートか?」
「あははは……まぁ、見ての通りよ」
 やがて、ルフィーナと手を取り合いながらいつものお店へ入るなり、いきなり聞き慣れた野太い声で歓迎と野次を同時に受けるわたし。
 結局の話、先程の会話で出てきた「人気の少ない場所」というのは、わたしが普段副業をしている星辰の麓亭のことだったりして。
 曲がりなりにもお忍びだけに、事情を話せる店の方が好都合なのと、このカフェは平日のランチタイムこそオーダーの声が止む暇が無いのに対して、
休日は常連達があまり姿を見せず、比較的空いているという傾向があった。
 まぁ、元々が「日常の憩いの場」というコンセプトなのだから、せっかくの休日までやってこようという者は少ないのかもしれないけど。
 ……とまぁ、それはいいとして。
「ふふふ。では、二人のデートに相応しい席を取ってくださいますか?」
「はいよぉ。ジョゼット、いつものテラスの特等席へ御案内して差し上げな」
「あ、は〜い。ではどうぞこちらへ♪今日は絶好のデート日和で良かったですね、メイフェル?」
「……そりゃ、どーも……」
(どうでもいいけど、どうしてみんなデートって表現を使うんだろう……?)
 まぁ、他に適当な表現も見つからないと言えば、それまでだけど。
(えっと、別の言い方を探すとしたら、密会、逢い引き、逃避行……)
「…………」
 なるほど、デートがちょうどいい落とし所ってワケね。
「それでは、こちらのお席へどうぞ♪」
「ありがとう。……いつもながら、ここは本当にいい眺めよね?空気も綺麗だし」
 やがて、ジョゼットにテラスの最端にあるテーブルへ案内してもらうと、気持ちよさそうに潮風の混じった空気を吸い込みながら、満足そうな笑みを浮かべるルフィーナ。
 帽子や眼鏡で変装しているとはいえ、こういう時に見せるナチュラルな笑みは、やっぱり王家自慢のお姫様らしい気品と、見惚れてしまいそうな美しさに溢れていた。
「天気さえ良ければ、ここは最高の席だからね。夜間は夜間でとっても綺麗だし」
 街の中でも特に高い場所にあるこの店のテラス席からは王都の港が一望出来て、昼間でも景色は抜群なものの、夜は夜で見上げると「星辰の麓亭」という店名に相応しい満天の星空が広がり、しばしば食事をするのも忘れて見入ってしまう絶好のスポットだった。
「いいわね……いつか、夜にも来てみたいなぁ……」
「あはは。ゴードンさんにでも相談してみたら?」
 多分、これでもかって位に渋い顔をされるだろうけど。
「そんな、返答の分かりきった相談なんてしないわよ。……あれ、ところでゴードンは?」
「あそこ。いつもみたいに店内にひとりでいるみたい」
 そこで、一緒に来ているはずの護衛の姿が見えなくなって、きょろきょろと店内を探し始めるルフィーナに、親指でさり気なく彼のいる方向を指示する
わたし。
 ゴードンさんは、ちょうどこちらの様子が見えるテーブルの一つを占拠していて、いつもの如くコーヒーと新聞をお供に、有閑紳士を気取っているみたいだった。
 ちなみに、パッと見では武器は持っていない様で、実はテーブルに立てかけているあのステッキは仕込み剣だし、店内でも脱がないコートの袖の下には短銃も隠し持っているはずだから、予めタレットさんに身分を明かしているとは言え、お店にとっては相当物騒な存在なのは間違いない。
「……でも、いつも思うんだけど、ゴードンさんって一人だと結構浮いてないかしらん?」
 武装の件は知らなければ気付かない問題だからともかくとして、やっぱり年がら年中黒ずくめというのは、端から見ると随分と異質な空気を感じさせられてしまう。普通の紳士が着ているスーツは、同じフロック・コートでも烏色の黒というのは珍しく、灰色系が主流だし。
 というか、一応はルフィーナに合わせて変装しているつもりみたいだけど、やっぱりセンスがちょっとズレているというか。
「私もそう思うんだけどね……。でも本人曰く、護衛役としてはある程度相手に威圧感を与える服装の方がいいって聞かないのよ」
「あー、そう言われたらアリなのかもしれないけど、やっぱり悪目立ちしてるのも確かなのよねぇ」
 追い剥ぎなどに絡まれた後よりも、それ自体を防ごうとする為なのかもしれないものの、威圧感なんて出していたら、本来のお忍びって意味では本末転倒な気も。
「そう言うメイフェルだって、私から見たら結構浮いているわよ?」
 しかし、続けてルフィーナから返ってきた言葉は、わたしに対するものだった。
「へ?わたし?」
「ほら、メイフェルは女の子なのに、最近は男性用の服ばかりじゃない?」
 そこで、目をぱちくりとさせてしまうわたしに、ルフィーナは不思議そうな顔でそう告げてくる。
「ああ、そういえばそうだったわね……」
 確かにエージェンシーを継いでからのわたしは、専らディットーズ(上下お揃い)系のスーツを着用する様になっていて、今日のデートも例に漏れず、無意識にタイトな赤で決めていたんだった。
「昔は普通にタイト・レイジング系を好んでなかったっけ?」
「別に趣味が変わったんじゃなくて、やっぱり女のマスターってのは軽く見られちゃうのよ。だから、これは苦肉の策だったりするんだけどね」
 せめて外面で舐められないようにしているというか、要は罰当たりにも男装している様なものである。
「それじゃ、もうスカートは履かないの?」
「別に、そんな事はないわよ?たとえば、ここで副業している時とか、わたしもジョゼットが着ている様なフリフリのエプロンドレスを着てるし」
 ただ、本職のメイドとしては、胸元が微妙に空いていたりとかスカートが短めだったりとか、露出度が高めのものはやっぱり邪道だと思うんですけどね。
 まぁ実際に、そういう制服を支給している貴族も少なくはないとしても。
「……見てみたいなぁ」
「別に構わないって言いたいけど、そんな物欲しそうな目で見つめられると、何だか恥ずかしい様な……」
 とりあえず、艶めかしい微笑を浮かべながら、嘗める様な視線を向けてくるのは止めて頂けませんかね、お姫様。
「良かったら、メイフェルに支給している制服をお持ちいたしますよ?ただその前に、オーダーを決めて下さるとありがたいですけど」
 そんな中、不意にジョゼットがわたし達の会話に口を挟んできたかと思うと、メモを片手に待ちくたびれた様な顔を見せてくる。
「あ、ゴメンゴメン……さっきからずっと待ってたんだ。ルフィーナはいつもの?」
「ええ。メイフェルも一緒に食べない?勿論、今日は私の奢りでね」
「……うう、ごちになります……」
 ここで、「いいよ、今日はわたしが」と言えないのが、情けないというか何というか。
 まぁ、ルフィーナもそれを分かって言ってくれているので、素直にお姫様の好意に甘えている次第だけど。
「かしこまりました。それじゃ、『セイレーンの贈り物コース』を二人前ですね?」
 ちなみに、セイレーン贈り物コースとは、王都沿岸のセイレーン海で獲れた、選りすぐりの魚介類を食材に使ったタレットさん自慢のコース料理で、この星辰の麓亭では最高級のメニューだった。
「しっかし、ルフィーナってここに来た時は、いつもこのオーダーよね?」
「私、肉より魚料理の方が好きなんだけど、なかなか食べられる機会が少ないのよ」
 それから、ジョゼットがオーダーをカウンターへ伝えに行った後で水を向けてみるわたしへ、うんざりした様な顔で肩を竦めて見せるルフィーナ。
「まぁ、宮殿で出てくる食事に、あまりシーフード料理は出ないだろうからね」
 近年、中流階級層を中心として急速に普及しているシーフード料理だけど、上流階級では未だに肉料理一辺倒で、ご馳走の代名詞と言えば舶来物の黒コショウをたっぷりと効かせたステーキである。
「宮廷料理長へたまには作ってみてよと要望しても、変な顔されるし。嫌になっちゃう」
「あは。世の中には、その逆で貴族に嫌気が差したコックさんもいるのにね」
「……え?」
「ううん、こっちのコト」
 ただこういう話を聞くと、巡り合わせってのは大切なものだと実感せずにはいられないわたしだった。

                    *

「……ところで、メイフェル。一昨日から次のコンテストのエントリーを募集し始めたわね?」
 やがて、料理が運ばれ始めた後は、しばらくお互いに舌鼓を打つ方に集中していた中で、ルフィーナが不意にそんな話題を切り出してくる。
「え?……ああ、確かに告知は来てたっけ」
 それに対して、ボイルされた蟹のハサミと悪戦苦闘しながら、イマイチ気のない返事を返すわたし。
 コンテストとは、二年に一度王室主催で公式に行われる、ライオネル王国最高のメイドを決める名物イベントである。
 優勝者は王国最高クラスのメイドである証、Sランクの称号を受け、そして彼女を擁するエージェンシーは莫大な賞金と、王室御用達業者としての指名が与えられる。
 正式な事業者登録をしているエージェンシーには補助金を給付するなど、近年メイド派遣業の発展を急速に推進してきている王国政府としては、その
成果を確認する上での欠かせない舞台といった所だろうか。
 もちろん、更なる高みを目指すメイドや王室御用達の指名こそが最高の栄誉であるエージェンシーにとっても、避けては通れない登竜門ではあるんだけど……。
「それで、エトレッドからは今回誰が参加するの?」
「う〜ん……残念ながら、今の戦力だとエントリーすら難しいかなぁ」
 そして、興味津々な目でそう続けてくるルフィーナに、わたしは溜息混じりに首を振ってみせた。
 確かに、コンテストの出場実績はエージェンシーの格付けや評判に直結するから、出来る限り参加しておく必要はあるものの、なにぶん今は絶望的に持ち駒が足りない。
 一応、出場条件として明記はされていないものの、Aランクかそれ相当の技能、経験を持つ者じゃないと話にならないし。
「なら、メイフェルが出ればいいのに。前回だって、一時審査は通過していたじゃない?」
「無理だって。そりゃ、わたしが今でも一介のメイドのままなら再挑戦したろうけど、今はエージェンシーの看板を背負っている身だから……うおっ」
 そこで、ルフィーナに答えながら、あらかじめ入れられた切れ込みを中心に、厚めの殻に包まれた身を取り出そうと力任せに引っ張ると、そのままバラバラに壊れて中身がこぼれ落ちてしまった。
「ああ、もったいない……っ」
 蟹なんて、滅多に食べられないのに。
「……もう、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるってば。でも気軽だった一昨年とは、状況が違うしね」
 ルフィーナの言った通り、かくいうわたしも、前回のコンテストではAランクの検定試験に合格した直後だったコトもあり、腕試しのつもりで出場していた。
 そして、運良く一時審査は突破したものの、二次審査であえなく撃沈。
 まぁそれでも、当時のわたしとしては、Aランクになって天狗になりかけていた鼻を、取り返しのつかない事になる前にへし折ってもらったというだけでも、充分収穫はあったと思ってる。
 ……けど、エージェンシーのオーナーとなってしまった今回はそういう訳にもいかない。一応、マスターがメイドを兼任しているというのは、中小規模の
エージェンシーでは珍しくはないものの、自らコンテストに応募するのは暗黙のタブーとされていた。
 やっぱり、マスターとはメイドを育てて送り込むべき立場なのだから。
(んー、せめてマスター代理を任せられる人がいれば、話は別なんだけど……)
 まぁ、そんな人材がいてわたしがメイド稼業に戻れるなら、こんなに苦労はしてませんがね。
「…………」
「……ね、メイフェル。約束は覚えてくれてる?」
 すると、わたしの返事を聞いた後で、ルフィーナは食事を中断させてしばらく黙り込んでしまったかと思うと、やがて徐に沈黙を破り、そんな質問を向けてくる。
「約束?」
「いつかメイフェルが、私付きのメイドになって仕えてくれるって」
「まぁ、一応は」
 それは、ルフィーナがうちの学校生活を終えて宮殿へ戻る前日、わたしの部屋で二人だけのささやかなお別れパーティを催した時に交わした口約束。
「良かった。すっかり忘れていたなんて言われたら、私は大切な友人を一人失う所だったから」
 とりあえず、忘れてしまう話ではないので、語尻を弱めながらも肯定すると、ルフィーナは皮肉めいた口調と満面の笑みで、わたしに圧力をかけてきた。
「あ、あははは……」
 ただ、わたしの方としては、あの時に寂しいと泣き出したルフィーナを何とか宥めようと言い出した、今では思い出すのも恥ずかしい大言壮語ではあるんだけど。
 そもそも、お姫様付きのメイドなんて、なりたいと思ってなれる様なものでもないし。
「その為には、まずはメイフェルのエージェンシーが王室御用達になってもらわないと」
「うーん……そう簡単に言うけどさ」
 確かに王室御用達エージェンシーになれば、王宮内で王室や来賓のお世話を担当するメイドを派遣する仕事を請けられるようになるし、その上で
ルフィーナがわたしを強く指名すれば、もしかしたらトントン拍子で叶うのかもしれない(それでも、王宮は厳格な年功序列社会なので、そんなワガママが
通るかどうかは不明だけど)。
 ちなみに、御用達になる方法としては何種類かあるものの、やはりこの王都でトップクラスの実績や名声を持つ大手が競争の末に選ばれるのが通例で、うちの様な弱小が入り込む可能性があるとすれば、問答無用で指名を受けられる、コンテストでの優勝ただ一点という事になるだろうか。
「だから、コンテストは絶好のチャンスじゃない?」
「そりゃ、出場候補者がいればね……」
 いくら頭の中で思い巡らせても、今の所、うちで可能性がありそうなのはメイシア位である。
 それでも、メイシアはまだまだ見習いの身で、もう数年ほど修行を積んで一人前に仕事を任せる事が出来る様になれば、あるいは……という話である。
 つまり、良くて志の範疇を超えていない。
「……まぁ、気長に待っていてよ。いつかは何とかするから」
 だからとりあえず、今は実情としてこれだけ言うのが精一杯だった。
「いつかは……か……」
 しかし、お姫様の方はお気に召さなかったのか、物憂げに溜息をついて見せる。
「ルフィーナ……?」
「ううん、何でもないわ。そうよね……あの頃とは立場が違うんだもんね……」
「え……?」
「…………」
 そんなルフィーナの寂しそうな呟きがわたしの心に引っ掛かりを与えたものの、しかしこの場ではもうそれ以上その話が続くことは無かった。

                    *

「……ああ、もう夕暮れなのね……」
 やがて、日も暮れて待ち合わせ場所だった噴水広場まで戻って来た所で、空を見上げながら残念そうに呟くルフィーナ。
 食事が終わり、いつもの市場通りを見て回るというお決まりのコースを消化し終えた頃には、スカイブルー一色だった空は、すっかりとオレンジ色に染まっていた。
「うん。休日の楽しい時間が過ぎるのは早いよね……」
 まぁ、最近は忙しくて平日の時間の流れも早く感じられる様になってきたとはいえ、それでも名残惜しさは雲泥の差である。
「メイフェル、今日は付き合ってくれてありがとう。楽しかったわ」
「ううん。わたしこそ、ごちそうさま。お陰様で久々に美味しい物を食べられたし」
 最近はメイシアの作る料理も大分レベルが上がってきているものの、常にマスターとして採点しながら食べなければならない分、純粋に食事を楽しんだ事自体が久しぶりだった。
「メイフェルも大変ね……エージェンシーを継いでから、一気に遠くへ離れてしまったみたい」
「ルフィーナだって一国の王女として、わたしなんかよりも遙かに重い責務を背負っているじゃない?」
 わたしと一緒に居る時はそんな素振りは見せないし、以前はわたしも言葉で労うだけで実感も無かったけど、今ならしっかりと分かる気がする。
 半年前までは常に派遣先があるのは当たり前で、自分は単に与えられた仕事さえ片付けていればそれでいいと思っていたけれど、今はマスターだった父が当時どんな苦労をしていたのかを否が応でも体験させられているのだから。
「……あのね、メイフェル……」
「え?」
「…………」
「……ううん。また近々誘ってもいい?」
 すると、そんなわたしの言葉を受けて、ルフィーナは一瞬思いつめた様な表情で何かを言おうとしてきたものの、結局思い直して別の台詞にすり替えてしまった。
「う、うん……。いつでも構わないけど」
(やっぱり今日のルフィーナ、ちょっと変だよ……?)
 そこで、わたしは親友の様子が少しおかしい事に触れたくなったものの、言葉としては出てこなかった。
 彼女にもわたしには分からない苦悩があるんだとは思うけど、今の自分がしてやれる事なんて、こうして快くお忍びの休日に付き合う程度である。
「さて、申し訳ありませんが姫様、そろそろ戻りませんと……」
「……ええ。それじゃあね、メイフェル?」
「うん。またね、ルフィーナ。ちゃんと休日は空けておくから」
「ありがとう、またお手紙を出すわ」
 そして、ゴードンさんに促されて静かに頷くと、ルフィーナは最後にわたしの手を強く握り、どこか儚げな微笑を残した後で静かに立ち去って行った。
「…………」
(何だか今日は、特に寂しそうだったわね……)
 別れ際に名残惜しそうな顔を見せるのはいつもだけど、今日は特にそれを強く感じさせられたし。
(……やっぱり、ルフィーナも王宮で色々あるのかな?)
 だからせめて、わたしに自分の側へ仕えて心を休ませて欲しいと願っているのかもしれないけど。
 その為には……。
「コンテスト……か」
 そりゃまぁ、確かに優勝出来れば、約束も経営も何もかもが一発逆転なんだけどね。
 でも、現実的に出場は無理だから、埒のない妄想をしても仕方がないというのに、ルフィーナが話題に出して以来、自分の心の中で何かが燻る様な
感覚に苛まれていた。
「はぁ……」
 まぁいいや。ちょっと歩き疲れたし、その辺で休憩して頭の中を整理しよう。
 とりあえず、わたしは視界のすぐ前にベンチの背もたれが見えたのを受けて、そのままフラフラと吸い寄せられる様に腰を下ろそうとしていく。
(あの、スクラみたいな子でも、いきなり来てくれたらなぁ……)

 ぐにゃっ

「え……?」
「きゃあっ?!」
 しかし次の瞬間、小さな悲鳴と共にわたしのお尻へ伝わってきた感触は、ベンチの素材である堅くて冷たい樫の木とは全く異質の、生暖かくて柔らかいモノだった。
「え?ああ、ゴメンなさいっ?!」
 そこで、自分が腰を掛けたのが人の身体の上だと認識したわたしは慌てて立ち上がりながら振り返ると、そこには大きなフリルの付いたエプロンドレスに身を包んだ少女が横たわっていた。
「う〜〜……っ」
「ご、ごめん、怪我はない?」
 職業柄、どうして見慣れないエプロンドレスを着て、こんな所で横になっているのかという疑問はあるものの、まずは身体の心配の方が先である。
 現に、さっきから自分の顔に腕を当てたまま動かないし。
「……ううっ、怪我は無いですけど……」
 ともあれ、まずは様子を見ようと相手が動くのを待っていると、少女は横たわったままの体勢で、弱々しい呟きを返してくる。
「けど……?」
「…………」
「……ふぇぇっ、お腹空きましたぁ……っっ」
 そして、少しの間を置いた後で、突然エプロンドレス姿の少女はわたしの前へ身を起こし、涙ながらにそう訴えた。
「はぁ?」

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