事記の文学的意義

 もし僕の卒論に興味をお持ちになられたならば暫しおつきあい下さい。ここでは僕の卒論「古事記の文学的意義」の概略を述べてます。ちなみに幻想神話論の記事もこの論文が基調になっているので、極力重複は避けたいと思います。8/27/98にとりあえず一通り完成してます。


目次

序〜第一章

第二章〜第三章

第四章〜結


序 動機〜神話と文学

 今回このテーマを扱う契機になったのは、「古事記って文学作品なの?」としう疑問を持ったのが始まりでした。僕自身昔から神話や伝説の類が好きで、古事記も日本に伝わる神話として認識していました。そんな僕もやがて大学に入学し、国文学を専攻に選びました。そして3回生の時、ある先生が古事記をテーマにゼミを行うと聞き、僕は喜々として参加したのですが、そこでふと一つの疑問が浮かんだんです。
古事記」って文学作品なのか?

 日本の文学の歴史を紐解いた時、一番最初に出てくる文学作品が「古事記」で、この作品が一応日本最古の文学として位置づけられています。しかし、その一方で古事記を文学として認めないという人もまた、津田氏を筆頭格として多く見られる様です。その反対派の主な理由として、古事記の編纂意図が挙げられていますが、実は僕が古事記が文学作品かどうか疑問を持った一番の理由もここにありました。
 「古事記」とは元々天武天皇が天皇中心の国家体制の確立を意図して編纂を命じた「歴史書」であり、「神話」です。つまり、あまりにも強い権力者の政治的背景を持つ歴史書(歴史書は大概そうですけど)を文学と認める訳にはいかないというのが否定派の主張な訳です。
 では逆に何故古事記が文学作品として一般論的に認められているのか、何故数多くの研究者がこの作品を優れた文学作品として研究しているのか、そもそも文学とは何なのか?とりあえず僕は先生の所へ相談に伺いました。

 バタン(ドアの開く音)
 「先生!!」
 「な、なんや、突然?」
(ノックはしました。念のため^^)
 「先生、教えて下さい!文学とは何なのですか?!」
 「そんな漠然とした質問にいきなり答えられるか!!」

 ...そうなんです。「文学」を一口に定義化してしまうのは非常に難しいんです。とは言え、ある程度は「文学」の定義を明確にして「基準化」しないと今回の研究は成立しません。そこで、とりあえず文献をあさって自分なりに考えてみる事にしました。しかし、最近の文学書は大概がはっきりとした明記を避けていて実に分かりにくい。はあ、前途多難だ。

文学の定義

 とりあえず辞書にはどう記されているか調べてみると、「文字を用いた芸術の一領域」とありました。...成る程。そう言われればその通りだ。そう、芸術なのだよ文学は。うんうん。で、次に大正から昭和初期あたりの少し古い文学書を見ると、「人の情緒を感動に導くもの」と記されてます。うむ、そうだ、感動だ。芸術の本質は感動なのだ。つまり、文学の価値もどれだけ人を感動させられるかなのだ。よし、これで基準は決まった。感動を基準に...ってをい、言うのは簡単だけど感動なんて個人の主観の領域で客観化し得ないものだぞ。うーん...

 で、結局は自分の感性を頼りに書いてみる事にしました。客観化し得ないものはどうしようも無いし、古事記を読みながら研究者の先生方の学説を参考にしながら自分なりにこの作品の文学的価値を考察していこうという事で、主観性が強くなるのはある程度覚悟する事にしました。でもそうなると客観ってなんだろう?って疑問も浮かんできましたけど流石にキリが無いし、話が別の方向にずれていく可能性が高いので先に進みたいと思います(^^)。

 

 あ、そうそう、神話を文学と認めるかどうかは、松前健氏が「神話と文学」という興味深い論文を書かれており、それによると「文学の善し悪しを決めるのはその編纂課程ではなく、その内容がいかに文学的に優れているか、それに尽きるのである」とあります(注「」内は抜粋では無いです)。要するに、動機よりもそれがどれだけ人を感動させられる内容であるかが大事だと述べられている訳です。ちなみに僕の先生は「その意見は文学者の立場に立たない物の意見だ(松前氏は神話学者)」とこの説に対し多少なりとも不快感を示されましたが、まあ確かにこの意見は結果論的で多少乱暴かもしれませんが、大切なのはその内容というのは的を得ているんじゃないかと思います。
 それに、もしあくまで編纂目的を文学かどうかの接点にするならば、文学史から淘汰されねばならない作品は古事記だけでは無い筈ですし、さらに極論するとプロの作家が生計を立てる為に書いたものも純粋な文学作品とは言えなくなってしまいますしね。

第一章 古事記の文学性

 さて、この章では、とりあえず古事記の文学性を概略的に考えてみる事にしました。大まかに言って何が古事記の文学性の中枢になっているか。とりあえず一通り読んでみて、2つのテーマらしきものを見つけました。まず、その一つは恋愛譚。古事記全体を見ても物語の素材に恋愛を用いたものが多く、さらに形式としてしは歌謡を織り交ぜた歌物語形式のものが主流を占めている様です。
 又、これらに使われている歌謡は物語歌だけでなく、民謡や歌垣(うたがき、又はかがい)と呼ばれる恋愛遊戯の行事(ちょっと怪しめ^^)の場で歌われた歌を物語に編入したケースもかなり見られる様です。そしてこれらを巧みに挿入する事により、物語における絶妙な演出効果をもたらしている場合もある様です。

 とりあえず一例を挙げてみると、下巻の仁徳記のある悲劇恋愛物語に次の様な歌が歌われてます。

 橋立の 倉椅山を 嶮しみと、岩掻きかねて 吾がて取らすも
とうたひたまひき。又歌曰ひたまはく、
 橋立の 倉椅山は 嶮しけど 妹と登れば 嶮しくもあらず

 この歌は、天皇の求婚を拒んだ女鳥王が、自分の恋人である早総別王に天皇への反逆を仄めかすものの、結局それが発覚した為に皇軍に追われる事になり、二人揃って倉椅山に逃げ登りながら歌った歌という事になっています。が、実はこの歌は元々歌垣の場で歌われた歌の改作で、肥前風土記の逸文に上記の原作となったと思われる歌が収録されています。

 あられふる 杵島が岳を 嶮しみと 草とりかねて 妹がてを取る

 この歌は上記にもある様に元々歌垣の場で歌われた歌で、若い男女が嶮しい山を共に登りながら、草をつかむ代わりに相手の手を取ったりして(危ないって^^)じゃれあってるっていう情景を歌った歌な訳ですが、この歌を物語に合わせて改作し組み込む事により、「おそらく男女行楽の折りか何かに生まれた民謡と思われる歌が、ここに配置されると、追いつめられてゆく男女のかたみによせる恋愛の歌となり、恋愛悲劇としてまことに適切な効果を奏する」(青木生子氏)や、「緊迫した状況の中での、愛の高揚や、愛への陶酔などが見事にうたわれている」(守屋俊彦氏)等、研究者の方々が指摘されている様に、この幸せに満ちた歌を対照的なシチュエーションで用いる事により生と死の狭間で必死で逃げのびようとする二人の愛し合う二人の悲劇恋愛物語としての優れた演出効果をもたらしています。まあホントに作者がそういう意図で用いたかは不明ですが、結果論としてもこれはかなり高度な表現技法と言えるのではないでしょうか。ちなみに最後に彼らは逃げ延びること叶わず、悲劇的にもその命を落とす事となります。

 さて、話を戻してもう一つの古事記のテーマ性らしき物ですが、かなり意外なものが挙がってきました。それは敗者への悲哀です。この作品中には敗れ行く者達への涙を誘う場面が多々あり、いわゆる体制に取り入れられず、排除される運命にある物達への強い思い入れをひしひしと感じさせます。代表的な例としては倭建命や軽皇子の話、そして上記に紹介した女鳥王の話もそれに当たります。
 ただし、この問題はそれ程単純な物では無く、古事記という作品の元々の目的を考えるとある意味矛盾とも言えるテーマな訳です。しかし、この矛盾が逆に古事記の文学的意義を示す為の重要な手掛かりにもなりました。
 って何か謎かけっぽいですが、今回はここまでです(^^)。この結論は第四章で言及していますので、どうぞ最後まで御覧になって下さいね(ちょっと宣伝^^)。

 という事で(どういう事だ)、以上が第一章の大まかな内容です。 

 

  

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